ねぶたの置かれたポストの不思議
20年ほど前に青森を旅行していた際、青森県観光物産館アスパムの入り口でねぶたのオブジェが載った郵便ポストを見た時、私は雑然としたわが家を真っ先に思い出した。そこにねぶたが置かれている理由、それは「ポストの上が平らだったから置いちゃいました」以外の何ものでもなさそうだったからである。
現在、各地にはさまざまな趣向を凝らした郵便ポストが設置されている。川崎市に設置されている川崎フロンターレカラーのポスト、調布駅近くの妖怪ポスト、上野動物園前のパンダポスト……。これらのポストはボディカラーからして新たに塗り直されており、ポストに対する気合いの入れようがうかがえる。しかし、通常のデザインと同じ赤いポストの上に何かが置かれているケースは、気合いというより、適当に置いてしまった感じが否めないのである。
そもそもポストに何かを足し加えるというのは、やってもよいことなのだろうか。郵便法の第78条には「郵便専用の物件又は現に郵便の用に供する物件に対し損傷その他郵便の障害となるべき行為をした者は、これを五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する」と規定されている。「ポストの上に何かを置く」という行為は、損傷もしていなければ郵便の障害にもなっていないので良し、ということなのかも知れない。
のほほん系置いちゃいましたポスト
街にある「平らだったから置いちゃいました」系のポストを眺めていると、置かれているものには幾つかのパターンがあることがわかる。
まずは地域のキャラクター。巣鴨地蔵通り商店街イメージキャラクターのすがもんが載ったポストや、浅草オレンジ通りのキャラクター、オレンテくんが載ったポストなどはその一例だ。どちらもノホホンとした姿で、郵便物を出す客を出迎えている。
不安定系置いちゃいましたポスト
その地の特産物を載せたポストもある。青森・弘前駅前には「りんごのまち 弘前」と書かれたポストが、愛知・蒲郡駅前には「蒲郡みかんポスト」がそれぞれ設置されている。平らな台とはいえ、不安定な丸いものを載せようと考えた設置者に敬意を表したい。
建築系置いちゃいましたポスト
建築物が載せられたポストもある。奈良の各所にある「大和路おもいで発信ポスト」の上に載せられた建築物のオブジェは、どこか特定の寺社をかたどったものではなさそうだ。しかし東京駅構内のポストには東京駅舎が、滋賀・彦根城のポストには彦根城の模型が、大分・宇佐神宮のポストには社殿の模型が載せられている。なぜ本物の建築物が間近にありながら、そのレプリカをポストの上に置かねばならないのだろうか。謎は深まるばかりだ。
ポストの上はゆるく膨らんでいる⁉
ところで、約20年前に撮った青森のねぶたポストの写真を見ているうちに、ふと気が付いたことがある。ポストのデザインが、今現在あるものとちょっと異なるのだ。郵政博物館のHPによれば、私が見た2001年のねぶたポストは、1966年から使用されている「郵便差出箱8号」であった。一方、ネットで現在のねぶたポストの画像を見てみると、大型郵便物も投函できる「郵便差出箱13号」に変えられているようなのだ。下のポストが変わっても上のねぶたオブジェはそのまま載せられ続けているということに感心しつつ、実はもう一つ重要なことを発見してしまった。それは「今現在のポストは上面が真っ平らではない」ということだ。
雨よけの都合か、デザイン上の問題か。ともかくも「郵便差出箱10号」以降は、ポストの上面はゆるく膨らんでいるのである。にもかかわらず、ポストの上にはものが置かれ続けている。これは設置者の気合いの表れか……と思ったが、よく考えてみればこれぐらいのゆるい膨らみであれば、私も気軽にものを置いてしまう。「平らな場所があればものを置きたい欲」の前には、現在のポスト上面ぐらいのゆるい膨らみでは到底敵わないのである。
デザイン的に完成されたポストの上にものが置かれるたびに、街の風景は雑然としていく。しかし私はその風景が嫌いではない。実家に帰ってきた時のような安心感が、そこにはあるような気がしている。
絵・撮影・文=オギリマサホ