「危険!」よりも「あぶない!」
「危険!」と「あぶない!」とでは、さほど意味が変わらないのではないかと考える人も多いだろう。しかし、われわれが危険な場面に遭遇した時、とっさに出る言葉は「危険!」ではなく「あぶない!」である。そのぶん、「あぶない!」の方がより緊迫した状況ということもできる。
「危険!」ではなく「あぶない!」という言葉が選ばれた看板、それは設置者の強い思いの表れなのではないだろうか。
駅の「あぶない」看板
そうした視点から「あぶない」看板を見てみる。街の中で命にかかわるような危険が潜んでいる場所の一つが駅のホームだ。東京メトロ・大手町駅に設置されている看板は、蛍光色で「あぶない!」と大書され、電車のドアに足を挟まれて尻餅をつくヤンエグ(死語)風の男性のイラストが添えられている。
この男性の困り顔もなかなか味わい深いが、駆け込み乗車の危険性が十分に伝わる一枚である。
中目黒駅に貼られていたポスターは、電車とホームの隙間に落ちる「あぶない!」である。
こちらも確かにあぶない。さらに、ホームに転落してしまった場合はより一層危険性が高まる。太田駅(群馬)の駅改札に掲げられていた、恐らく駅員さんの手作りと思われる看板は、「あ~」「あっ!」「キャー」などという緊迫した悲鳴を添えて、ホーム転落の危なさと非常ボタンの重要性を訴えている。
子供向けの「あぶない!」
危険な場所へ立入りを禁じる看板にも「あぶない!」が使われることが多い。
こちらは主に、「危険」という漢字が読めない子供に向けても優しく注意するという意味合いの「あぶない」であろうと推測される。こうした子供向けの「あぶない!」は、送電鉄塔に多く掲げられている。
ハシゴのようで登りたくなる気持ちはよくわかるが、落下や感電の危険性は非常に高く、確かにあぶない。
道路の「危い」表現
ところで、これら「あぶない」看板は、「危険を伝えなければ」という設置者の強い思いが溢(あふ)れるあまり、「危険」看板に比べて逆にとぼけた表現になってしまうことが多い。たとえば国道246号三宿付近に設置された、スピード超過を注意する看板。
この道路は交通量も多く、事故も多いことから、看板を設置する側の焦りや危惧もよくわかる。それは「あぶない!!」「アッ危い!!」という二重表現にあらわれているが、送り仮名が足りないため、いつ通りかかっても「あぶい」としか読めない。なおこの「危い」表現は、各地の道路標示に見ることができ、端的に「あぶない」を示すための一つの表現方法なのかも知れない。
府中に設置されたチカン注意の看板は、「この辺はチョットあぶない」などと、まるで緊迫感が感じられない。
もう少し真面目にやってくれという気持ちにもなってしまうが、注意喚起として効果があるのだろうか。
ある種の芸術なのだ
さて、これまで数々の「あぶない」看板を見てきたが、私が一番気に入っているポスターがある。京王バスの停留所に掲示された手描きのイラストポスターだ。
誰が描いたのかはわからないが、恐らく絵心のある社員ではないかと推測される。バス車内の転倒防止を訴える内容なのだが、黒子風の人物が「危な~い」「あぶな~い」と叫んでいる慌てた表情、転んでいる人たちの痛そうな顔、にもかかわらずまるで緊迫感のない印象。これはある種の芸術作品と呼んでも差し支えないように思う。本来の看板設置の目的とは異なる見方ではあろうが、こうした趣深い「あぶない」看板を、今後も眺めていきたいと思う。
イラスト・文・撮影=オギリマサホ