アダワープジャパン株式会社
「Autoware」を搭載した、小型ロボットとPLATEAUの3D都市モデルを再現した空間ディスプレイを展示
「Autoware」を基盤とした自動運転のソフトウェア開発を行うアダワープジャパン株式会社(代表取締役:安谷屋 樹、以下 アダワープ)は、株式会社竹中工務店(本社:大阪府大阪市、取締役社長:佐々木 正人)、株式会社センシンロボティクス(本社:東京都品川区、代表取締役社長 CEO:北村 卓也)と共同で、国土交通省主催、大阪・関西万博テーマウィーク:展示「Digital Twin Perspectives ― 現実と仮想が描く都市の未来」(主催:国土交通省)に出展いたします。
2025年5月20日(火)~24日(土)の出展期間は、小型ロボット「AdaCart(アダカート)」のデモ走行や、国土交通省が推進する3D都市モデルプロジェクト「PLATEAU(プラトー)」のデータを活用した自動運転シミュレーションを、空間再現ディスプレイを通じてご体験いただけます。
▶︎【公式】「2025年大阪・関西万博」都市デジタルツイン体験
本展示を通じて、自動運転の社会実装に向けた最新技術を多くの方に体験いただき、その理解促進と啓発を目指しています。
◼️展示概要
展示ブースのイメージ(CEATEC 2024 出展の様子)
◼️見どころ
- 小型ロボット「AdaCart」の実機展示
「Autoware」を搭載した小型ロボット「AdaCart」のデモ走行を間近でご覧いただけます。実際に動くロボットの挙動を通じて、自動運転の技術をよりリアルに体感できます。
- 「PLATEAU 3D都市モデル」シミュレーションの空間再現ディスプレイ展示
現実の都市を再現した3D都市モデル上での自動運転シミュレーションを、裸眼で立体視できる最新ディスプレイで体験可能です。仮想空間内を走行する自動運転車の挙動をリアルタイムで観察でき、バーチャル環境での技術検証を疑似体験していただけます。
◼️詳細説明
3D LiDARを搭載した小型ロボット「AdaCart」
小型ロボット「AdaCart」
アダワープが開発したAdaCartは、小型電動モビリティに自動運転ソフトウェア「Autoware」を組み込んだ、自動運転ロボットです。
点群取得センサー、自動運転の開発用PCを搭載したロボットが会場内でデモ走行する様子をご覧いただくことで、Autowareを活用した自動運転システムの実例に触れていただけます。
自動運転ソフトウェア「Autoware」のシステムイメージ
走行シミュレーションのデモブースのイメージ
「PLATEAU 3D都市モデル」シミュレーション
アダワープが開発した「PLATEAU Autoware Simulator」を使い、現実の都市空間に近い3D都市モデル上で自動運転車両の走行を再現します。
空間再現ディスプレイ上に、仮想空間内を立体的に表示し、車両が道路を自律走行する様子をリアルタイムに可視化します。
これにより、実車を使わずに仮想空間内で自動運転の検証テストを行う様子を体験できます。
3D都市モデル上(横浜市)で自動運転シナリオを再現した例。複雑な交通状況や環境条件を設定し、安全性検証を行う
◼️アダワープジャパン株式会社 代表取締役 安谷屋 樹のコメント
代表取締役 安谷屋 樹
アダワープは、遠隔操作システムの開発を出発点として、自動運転の社会実装を支援するB2B向け技術開発に取り組んできました。
今回のブースでは、自動運転の仕組みや活用例をご紹介します。
10年後、この展示でお見せした技術が当たり前の社会インフラとなるよう、アダワープはこれからも企業の遠隔化・自動化の推進に貢献してまいります。
◼️メディア取材について
展示ブースやデモ体験などの当日取材やインタビューを受け付けております。ご希望の方は下記連絡先までお問い合わせください。
◼️問い合わせ先
アダワープジャパン株式会社
担当:八耳 悠人(やつみみ ゆうと)
メール:eight[@]adawarp.com
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