スポーツを愛し、このラグビー場の完成を喜んだ秩父宮殿下の名を冠した秩父宮ラグビー場は、ラガーマンの聖地だ。だがなぜ1964年はサッカーだったのか?「大宮や三ツ沢の競技場をオリンピック用に整備したが、それでも試合会場が不足していたため、ここが選ばれたのでは」と、日本サッカーミュージアムの小野沢洋さんは推測する。ちょうど今年4~5月に2回、秩父宮ラグビー場で55年ぶりにサッカーの試合を開催したが、その苦労を関係者にうかがうことにした。
過去と未来の熱い思いがわくわくのオリンピック
まずラグビー場だからゴールがない。主催者のFC東京が味の素スタジアムから試合運営機材と共にゴールを持ち込んだ。芝生の長さは、「年間の維持管理の中で刈り込んで調整しました」と秩父宮ラグビー場担当者。
ちなみに芝生が年中青々と水はけよく改良されたのはここ30年くらいのことで、以前は冬枯れした。前回オリンピックは10 月開催だから状態が悪かったのか、イラン対メキシコの予選では、「秩父宮ラグビー場のコートが陥没し10分間試合中断」と記録されている。
それでもこのラグビー場は観客席が近いのが醍醐味だ。FC東京広報部の森田さんは「ボールを蹴る音やスライディングの迫力が伝わる臨場感を感じていただける所が最大の魅力です。選手もファン・サポーターの応援の声が近くて励みになったようです」。ちなみに1964年の日本チームは3試合とも駒沢競技場で、ここで行われたのは別の国の予選と準決勝の5試合。ほかにも大宮サッカー場など5会場で14チームが戦った。
ところで次回オリンピックではサッカーは全国7カ所で行われるが、その一つ、味の素スタジアムは、FC東京の本拠地でもある。前述の4月のルヴァン杯では、秩父宮ラグビー場でFC東京の久保建英(くぼ たけふさ/現:スペイン・マジョルカ)の活躍が脚光を浴びた。奇しくもそこは1964年オリンピック会場。不思議な縁に2020年は大躍進の予感がする。
ところでここは、秩父宮ラグビー場と違って住宅地が迫る土地柄だから、地元とのつながりも強いと味の素スタジアムの担当者。「感謝デー開催など、地域と交流を図っています」。近所の人々は年間チケット持参でFC東京を足しげく応援に来る。地元鉄道会社も協力的。だからこそオリンピックがわが街にやって来るうれしさはひとしお。盛り上がるぞっ!
取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
(散歩の達人2019年6月号より)