山本直樹

1960年2月1日、北海道松前郡福島町生まれ。
1984年に森山塔名義でデビュー、同年山本直樹名義でも執筆開始。代表作は『はっぱ64』『BLUE』『ありがとう』『レッド』他多数。幾度もの有害コミック指定を受けつつ、文化庁メディア芸術祭での受賞歴を持つ唯一無二の漫画家。

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早稲田大学時代の紆余曲折

—— 大学入学で上京されて、最初は新井薬師前にお住まいになったとか。

山本 どれだけ僕が散歩しないかというと、9カ月間住んでいたのに哲学堂公園に一度も行っていないという。

—— それなのに、今日は散歩コースまで作っていただいてありがとうございました。

山本 国分寺崖線は好きなんですよね。仙川に引っ越した理由も、京王線に乗っていたらいつのまにか電車が地下に潜っている、段差になっているというとこに惹(ひ)かれて。

仙川駅入り口のバス停から住宅地を中心に散歩。
仙川駅入り口のバス停から住宅地を中心に散歩。
一度訪れたことがあるという実篤公園は、残念ながらこの日はお休み。
一度訪れたことがあるという実篤公園は、残念ながらこの日はお休み。
若葉町をぐるっと回るだけでも、国分寺崖線の高低差を感じられる。
若葉町をぐるっと回るだけでも、国分寺崖線の高低差を感じられる。

—— 大学周辺で行ってらっしゃったお店はありますか。

山本 居酒屋の「呑兵衛」かな。高田馬場に東京ヴォードヴィルショーの事務所があって、柴田理恵さんとかも飲んでたらしいです。

—— 『レッド』では連合赤軍を描かれていましたが、当時の早稲田は?

山本 僕が入ったころは全く。タテカンとかは並んでましたけど。

—— ご自身は?

山本 ノンポリです。モダンジャズ研究会に入ってました。

—— ライブはどちらで。

山本 リサイタルを年に1回。九段会館の横の千代田区公会堂かな。

—— 割と大きいホールですよね?

山本 そうですね、1年の時の司会はブレイクしたてのタモリさんでした。10年先輩なんです。60周年のリサイタルをやった時もタモリさん出ました。重鎮です。

—— 新井薬師前のあと、福生の米軍ハウスに住まれたとか。

山本 知り合いの女性が出る入れ替わりで。当時ハウスは借りにくくなってて、誰かの後釜という感じでしか借りられなかったんです。

—— お1人で住まれたんですか?

山本 高校の同級生と3人だったり4人だったり、12畳のリビングに6畳の部屋が3つと結構広いんです。リビングで宴会やって、修学旅行みたいに布団敷いて寝て。それで家賃4万8000円。当時でも安かったけど、それを滞納してました。お酒飲みすぎたり、漫画買いすぎたり、本買いすぎたりで。

—— 外で飲むことは?

山本 あまり飲んでなくて、友だちが住んでた下北沢で飲むようになりました。その時に飲んでた『ZAJI』は今でも行ってます。

—— 福生のあとは西武柳沢に。夜逃げなさったとか。

山本 お金の問題で。夜逃げというか昼逃げ? 向かいのおばさんと近所づきあいしてて、事情を知ってたから「夜逃げしちゃいなよ」って。

—— すごい提案です。大学の後半に劇画村塾に通われてたそうですね。

山本 大学4、5年の頃かな。漫画は描こうと思っていたけど、にっちもさっちもいかないから、学校行ったほうがいいかな〜って。高橋留美子さんも行ってた学校です。

結婚、週刊連載……多忙を極める日々

—— 仙川に移られたのが……。

山本 1983年に緑ケ丘に越してきました。道路向こうは三鷹市みたいなところで。

—— 崖線が気に入られてということでしたが、ご縁はあったのですか?

山本 仙川という駅名の認識もなかったくらいです。縁もゆかりもないけど、なんとなくいいなあって。

—— その頃の街の様子は覚えていらっしゃいますか。

山本 駅を出ると小さいロータリーがあって、深大寺そばの立ち食いそばとアートコーヒーと、和菓子屋さんかなんかが並んでいる以外は思い出せない。それくらい何もなくて。

—— 飲み屋とかも?

山本 いや〜、飲み屋に行くほどお金持ってなかったから。

—— バイトはされていなかった?

山本 バイトは時々してましたけど、漫画を描く暇がなくなっちゃうから控えてました。

—— 1985年にご結婚を。

山本 そうですね。その時はドタバタだったから、緑ケ丘でそのまま1年間くらい風呂なしアパートです。

—— お風呂は銭湯ですか?

山本 銭湯ですね。1980年代でもそんな生活ないですよ。次の年にそこそこお金も入ってきて。『スピリッツ』や『スコラ』の連載が同時に始まって地獄のように忙しくなったので、三鷹の北野に家を借りました。

—— 相当お忙しかったんですね。

山本 原稿遅いから編集さんがスナックで待ってくれてて、そこに届けてそのまま飲むこともありました。駅の北側に八百屋さんがあって、今の『麺処かずや』あたりかな。八百屋さんが閉まっても通路だけ開けてあって、そこを通るとスナックみたいなのが何軒かあったんですよ。今はガールズバーになってます。

—— その他には?

山本 仙川に仕事場があった頃は、中畑清がやってる定食屋で食べたり、「キッチン中村」っていう2021年頃に閉まった洋食屋に行ったり。「家族庵」っていうそば屋にもよく行ったんですが、今日通ったら和食屋になってました。

—— なくなったお店が多いんですね。

山本 おにぎり屋の『てしま』は残ってる。昔は米屋さんで、横のスペースでおにぎりも売ってたんです。お弁当とかもおいしかった。

—— 今度行ってみます。

山本 昔は久住(昌之)さんと月1くらいで飲んでましたけど。『きくや』っていう焼き鳥屋さんや『こしじ』というイワシ料理屋さんで。

仙川でついにできた、カルチャー臭漂う行きつけ

—— 『TINY CAFE』(以下タイニー)に来るようになったきっかけは?

山本 2014年頃に、吉祥寺の『闇太郎』で飲んでたら、(『TINY CAFE』店長の)池田君にナンパされました。来てみたらすごく居心地が良くて。

—— タイニーではどういう飲み方をされるんですか?

山本 普通にだらだらと。どこか都内に出かけて、まっすぐ帰るのがかったるいから、ここに寄って夜中まで飲む感じです。大体カウンターでいつもいる人とグダグダしゃべって、ビール飲んだりハイボール飲んだり日本酒飲んだり、バラバラ。

—— おつまみとかは。

山本 食べてくることが多いんですが、おなか減ってればカレーとか。大体なんでもおいしいです。

—— (『散歩の達人』2024年4月号での)特集は芦花公園から調布まで入るんですけど、他の駅はあまり行かないですか。

山本 うちからバスの便はすごくいいんですけど、割と通り過ぎるばかりですね。テニス仲間が千歳烏山でクラフトビールと料理の店をやってたんですけど、2023年に閉めちゃったんで、もう行かなくなりました。バス停から駅までちょっと遠いんだよな〜。

—— テニスやられるんですね。

山本 38歳から始めてます。漫画家でテニスやってる鈴木みそ君とかとり・みきさんに誘われて。週1くらいでやってたのが、今は週4、5とかになってしまった。

—— 2021年の「JAZZ ARTせんがわ」で、山本さんたちのライブペインティングを拝見しました。

山本 3人でやったときね。大友良英さんがギター弾いて、僕ら3人が即興でペインティング。プロデューサーの坂本さんからライブペインティングやりませんかと言われて。絵描いたことないんだけど……出たい! って。池田君も絵描くよね〜って。もう1人多摩美の学生だったナナちゃんと3人で。誰が演奏するのかな〜って思ったら、大友さん⁉ って。

—— 面白かったです。他のお2人が山本さんに遠慮してるようにも。

山本 いやいや、ナナちゃんが一番好き勝手やってたな〜。あの人。俺描いたとこどんどん消してくからね。

『TINY CAFE』店内では、山本さんが描いたオリジナル手ぬぐいも販売している。
『TINY CAFE』店内では、山本さんが描いたオリジナル手ぬぐいも販売している。

—— 池田さんに少し聞いたのですが、昔、仙川にライブハウスが……。

山本 そう「ゴスペル」っていうのがあって。僕は1回しか行ってないですけど、2〜3年続いたのかな?

——どのような音楽を。

山本 アヴァンギャルド系。巻上(公一)さんとかフリージャズが多い感じです。最初知らなくて、仕事場から歩いて帰るときにギターかついでいる三上寛さんとすれ違って。なんで仙川に三上寛がって。「ゴスペル」に行く途中だったんじゃないかな。

僕が見た1回も、三上さんと灰野敬二、吉沢元治のトリオで、ものすごい轟音のライブで。ハコも結構広かった。ウェイティングバーみたいなのがあって、上下ツーフロアだったような。オオバコだった。そういう音楽ばっかりやってるから。

—— それはいつ頃ですか。

山本 1990〜92年くらいかな。三上さんのトリオがCD出したくらい。

—— 巻上さんたちが「JAZZ ARTせんがわ」を始めたのが2008年なので……。

山本 「ゴスペル」とつながりがあるのかないのかは分かんないけど、巻上さんは仙川でそういうつてがあったのかな? 僕は3回目か4回目くらいから行くようになって。バスで行けるフェスだし。2024年も正月やってたんですよね。今度は多分11月に。フリージャズのお祭りだからか、住民はあまり食いついてない感じなんですけど、僕は食いついてます。タイニーに来る人くらいしか食いついてない感じがします。

—— ジャンルが難しいんですかね。11月は出演されないんですか?

山本 出ません。

—— それは残念です。

山本 私は出ませんが、「JAZZ ARTせんがわ」来てください。珍しい即興のフェスですから。もちろんタイニーも。こういうところが仙川には他に全然ないので。

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『TINY CAFE』

1999年の開店で、店長の池田敏彦さんは3代目。写真の砂肝とレバーのオイル煮500円やドライいちじくクリームチーズサンド550円などのつまみの他、チキンカレー750円など食事も充実。ライブも時折開催され、山本さんが出演することも。ハートランド650円。

住所:東京都調布市若葉町1-42-2/営業時間:16:00~24:00/定休日:水/アクセス:京王電鉄京王線仙川駅から徒歩6分

取材・構成=久保拓英(『散歩の達人』編集長) 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2024年4月号より

住みたい街として注目度急上昇の仙川。再開発で便利になっただけでなく、新旧の店や住人が混在する相乗効果でますます魅力が増しているようだ。駅前に渋い風情を残す隣のつつじヶ丘も趣味性の高い店が毎日を楽しくさせる。
京王線仙川駅から徒歩5分という好立地の『天然温泉 仙川 湯けむりの里』。仕事帰りに気楽に温泉に入れるとあって、サラリーマンにも好評だ。ほかにも、自慢の岩盤浴ではゆったりと体を癒やせたり、マンガを読んでリフレッシュできる。都心にありながら緑あふれる空間で、のんびりと過ごそう。
世田谷から調布まで横に広く飲み歩いた今回。そのためかジビエや中華、クラフトビールに自然派ワインまでキャラの立った小さな個人店をあちこちで発掘!京王線沿線で、楽しき夜を――。
看板に誘われて扉を開ければ、そこは別世界。照明、調度品、器などにも店主の趣向が散りばめられ、スイーツや軽食を頬張れば、丁寧な味に目を見張る。静かに湧き上がる高揚感とともに味わい尽くそう。