6歳上の姉は、梅田からそう遠くないマンションに住んでいる。姉一家がそのマンションに住みはじめたのは15年ほど前で、私は何度もそこに滞在してきた。特に20代の頃は、山小屋バイトと下界の短期バイトの合間に数週間滞在することもあった。
なぜ私がそんなに姉の家に滞在していたかというと、姉の夫は勤務時間が長くてほとんど家におらず、姉が完全にワンオペで育児をしていたからだ。私が家事や育児を手伝えば少しは姉の助けになるし、私は私で社会に居場所を感じられずにいたので、姉の家で子供たちと過ごすのが心地よかった。
そんなわけで、私は20代の多くの時間を姉の家で過ごした。ただ、結婚してからは姉の家に行く頻度も減り、行ったとしても2泊程度で帰ってくるようになった。最後に行ったのは一年半前だ。
最寄り駅からの道は覚えていて、Googleマップを見なくても行ける。途中でスーパーに寄って缶チューハイとお総菜を買い、8時頃、姉の家に到着した。
出迎えてくれた姉は黒のワンピースの上にエプロンを着け、メイクをしていた。現在の姉はキャンドル作家だ。今日はワークショップのあと、制作をしていたのだろう。
靴を脱ぎながら「Aぇ! groupがデビュー発表したよ」と報告すると、姉はキョトンとして「まだデビューしてなかったん?」と言った。姉は18歳から関西で過ごしているため、やや関西弁だ。
居間に行くと、ダイニングテーブルの半分ほどが作りかけのキャンドルの材料で埋まっていた。姉はポップアップストアを控えていて、商品のキャンドルを大量に作っているところなのだ。加えて土日は百貨店でワークショップの仕事があるため、かなり忙しい。
姉は作業を続け、私は空いているスペースにお酒とお総菜を広げる。姉がキャンドルを作る横で、私は夕飯を食べながらAぇ! groupがいかにかっこよかったかを語った。姉はキャンドルを作る手を動かしたまま、笑って話を聞いてくれる。
すると、この春高3になった長男のせいちゃん(仮名)が部屋から出てきた。高1になった次男のしょうちゃん(仮名)は在宅しているが別室から出てこず、中1の長女のメイちゃん(仮名)は所属しているバレーボールチームの打ち上げで不在だ。
せいちゃんに、ポチ袋に入れたお小遣いを渡す。
「あ、すみません、ありがとうございます」
彼が私に対して敬語を使うようになったのはいつからだろう。小さい頃は私のことを「サキちゃん」と呼んでいたが、いつの頃からか「あの……」などと呼称を避けて話しかけるようになった。
そのうち次男のしょうちゃんが部屋から出てきたので、お小遣いを渡す。彼もまた、「あ、すみません、ありがとうございます」と敬語でお礼を言った。
せいちゃんは186㎝、しょうちゃんは175㎝あるので、2人がいると居間が急に狭くなったように感じる。ついこの間まで私よりずっと小さかったのに、もう彼らを抱えて歩くことはできない。もし一緒に街中を歩いているときにテロなどに遭遇したら、私はどうやって彼らを守ればいいのだろう。
正直なところ、でかい甥っ子たちは、今の姿だけを見ればそんなに可愛くはない。だけど、今の姿の後ろに無数の「小さかった頃の思い出」が見えるので、いくつになってもかわいい。
2本目のチューハイを飲み終えたところで、メイちゃんが帰ってきた。玄関で出迎えて「メイちゃーん、久しぶり~」とハグすると、「サキちゃーん!」とうれしそうな声を上げて抱きついてくれる。こちらは現在進行形でかわいい。最後に会ったときより、ずいぶんと背が伸びていて驚く。ポチ袋を渡すと、「ありがとう~!」と無邪気に喜んだ。
姉の家には、甥や姪との思い出が詰まっている。
もうすぐ18歳になるせいちゃんとは、3人のうちでもっとも多くの時間を一緒に過ごした。
せいちゃんは生まれつきオタク気質で、ひとつのものにハマると寝ても覚めてもそればかりになる。そんな彼が生まれて初めてハマったのは、車でも恐竜でもなく「色」だった。
せいちゃんは四六時中「色」の話をし、よく色鉛筆にある12色だけではなく「群青色」や「マゼンタ」などのマイナーな色も次々と覚え、「萌葱色」などの和の色まで習得した。姉がデザイナー用の色見本を買い与えると大喜びで読み込み、赤いジャージを着たうちの父を見て、「じいじのジャージ、シグナルレッドだね」と言った。
せいちゃんが2歳のとき、弟のしょうちゃんが生まれた。当時のせいちゃんはイヤイヤ期真っ盛りだったので弟と仲良くできるかみんな心配したが、せいちゃんは赤ちゃんにあまり興味を示さなかった。
あるとき、何かの話の流れで姉が「しょうちゃんは男の子だもんね」と言うと、せいちゃんが「しょうちゃんは男の子じゃないよ」と言った。
「えっ!?」
「しょうちゃんは男の子じゃなくて赤ちゃんだよ」
せいちゃんの中では、「男の子」と「赤ちゃん」は別のカテゴリーらしい。よくよく話を聞くと、「僕とパパは男の子、ママとサキちゃんとばあばは女の子、じいじは大人」とのことだった。ばあばとじいじが別の階層に分類されているのも興味深い。
その後、せいちゃんはトーマス、国旗、折り紙、ポケモンなどにハマった。何かにハマるたび、その圧倒的な知識量で親戚中から「この子は天才だ!」と褒めそやされる。しかし、小学校に入学する頃にはそこまでオタク気質でも、天才でもなくなっていた。妹が生まれた頃からきょうだいにも関心を持つようになり、今ではしょうちゃんともメイちゃんとも仲良しだ。天才じゃなくても、優しい子に育ってくれてうれしい。
しょうちゃんは、せいちゃんとは正反対だ。せいちゃんが頭脳派であるのに対し、しょうちゃんは愛嬌だけで一点突破している節があった。赤ちゃんのときからよく笑う子で、くりくりのおめめが笑うと鶴瓶師匠のように細くなる。
しょうちゃんは甘えん坊で、私が抱っこするのを嫌がらない。腕で作った輪にしょうちゃんを座らせるようにして抱っこし、「エーッサエーッサエッサホイサッサ、おさるのかごやだホイサッサ」と歌いながら縦に揺らして家中を練り歩く、という遊びをよくしていた。この遊びは家族の中で「エッサホイ」と呼ばれていて、しょうちゃんはエッサホイをしてほしいときは私の足元に来て背中を向けた(後ろから抱っこするため)。
しょうちゃんは言葉の発達が遅かったため、3歳になってもまだ片言だった。そこがまたかわいい。実年齢よりも赤ちゃんっぽくて、一日に100回くらい「おかしゃん」と言って姉にまとわりついた。
そんなしょうちゃんは4歳のとき、メイちゃんが生まれてお兄ちゃんになった。赤ちゃんに嫉妬するんじゃないかと誰もが心配したが、しょうちゃんはメイちゃんを溺愛してなでまわした。
その頃、私はしょうちゃんに『きょうはマラカスのひ』という絵本を買っていった。主人公のクネクネさんの家にお友達のパーマさんとフワフワさんがやってきて、3人でマラカスの演奏会をする話なのだが、クネクネさんは一人暮らしをしているらしく、お友達が帰ったあと家で一人で過ごす描写がある。それを見たしょうちゃんは泣きそうな顔で、「なんでクネクネさん一人なん? お父さんとお母さんおらんの?」と言った。
「さぁ……。クネクネさんはたぶん大人だから一人暮らししてるんじゃないかな」
「一人暮らし? 一人暮らしってなに? 僕、一人は嫌や!」
一人暮らしという概念を知ったしょうちゃんは、その後しばらく「大人になってお父さんとお母さんと暮らせなくなったらどうしよう」と心配していた。
今の彼は昔ほど笑顔の多い子ではないが、相変わらず繊細で優しく、妹思いだ。
姉がメイちゃんを出産するとき、母が姉の家に泊まりこんで子どもたちの面倒を見た。当時、父は単身赴任で横浜に住んでいて、私と母は札幌の実家に住んでいたのだが、母が大阪にいる間に愛犬が病気で天国に旅立ってしまった。メイちゃんが生まれて20日後のことだった。
母は愛犬の葬儀のために札幌に帰ってきた。そして今度は、私が姉の家に手伝いに行くことになった。愛犬を亡くして落ち込んでいたから、環境を変えて気分転換するのも狙いのひとつだった。
そして、私は姉の家で子供たちの世話を手伝いながら過ごした。新生児のメイちゃんは、甥っ子たちが赤ちゃんのときよりも柔らかくてふにゃふにゃしていて、泣き声も子猫のように頼りない。私はメイちゃんが泣くたびに胸に抱き、何十分も歌いながら揺らして眠るのを待った。愛犬を失った悲しみは、メイちゃんのぬくもりによって少しずつ解けていった。
その1年後に私は結婚し、前ほどは姉の家に行かなくなった。そのため、メイちゃんに関してはほかの2人ほど成長を見守ってきていない。なんだかあっという間に大きくなった気がする。
メイちゃんは末っ子として家族中から可愛がられ、すくすく成長した。小さな頃はピンクを好んだが、今はスポーティーな服装と少年漫画を好む。きょうだいの中で唯一、今も私のことを「サキちゃん」と呼んでくれる。
メイちゃんが幼児のときに、姉がキャンドル作家としての活動を始めた。3人の育児をしながらの仕事はかなりハードそうだったが、姉は頑張り抜いた。そして今に至る。
姉の家に泊まった翌朝は日曜だったが、せいちゃんは部活があるらしく、朝から制服を着ていた。私が玄関まで見送ると、せいちゃんは「デビューツアー当たるといいですね」と言い残して出かけていった。ゆうべ、私が姉にAぇ! groupの話をしているのを聞いていたのだ。いい子だなぁ、と思う。
その後、メイちゃんがお友達とカラオケに行くと言うので、また玄関まで見送った。別れ際にハグをして、あらためて大きくなったことを実感し、愛しさが込み上げる。
ゆうべ遅くに帰ってきた姉の旦那さんも、早くに出かけていった。姉は今日もワークショップがある。姉が出かける前に、私もこの家を出ることにした。
私が玄関に行くのを、姉が「お構いできずごめんね、また来てね」と見送ってくれた。友達と通話しながらゲームしていたしょうちゃんも、ゲームを中断して見送りに来てくれる。しょうちゃんは年頃になってからあまり私と話さないが、もごもごと「お気をつけて」というようなことを言っていた。メイちゃんとはまた違った可愛さがある。
そういえば、この子たちを最後に抱っこしたのはいつだろう。
「これが最後の抱っこかぁ」と噛みしめた記憶はない。つまり、最後に抱っこしたときは、それが最後になるとは思っていなかったのだ。最後になると知らずに抱っこし、次の機会を失ったまま今に至るのだろう。
甥や姪との時間はいつも、最後を最後と気づかないまま過ぎていくのかもしれない。こうして会ったり話をしたりできるのも、あと数年のことなのかも。
今の私が10年前を思い出して「あのときの甥姪たちは可愛かったなぁ」としみじみ感じるように、10年後の私も、今日の彼らを思い出して懐かしむのだろう。
文=吉玉サキ(@saki_yoshidama)