選び抜いたそばとつゆを堪能する
『布常更科』のイチオシはなんといっても、このおそば。
多くの人が思い浮かべるそばの色と違い、非常に白いのが特徴的だ。これがこの店の伝統的なおそば、御前更科そば1210円。
「更科そばは、ソバの実を大胆に削って、真ん中の美味しい部分だけを抜き出したものです。かつてはお殿様などに献上もされていました。自分で碾くのは難しくて、専門の業者さんに頼んで作っています」
そう語るのは、店長の伊島巧さん。この店のそば作りを一手に引き受けている。
一口食べると、つるりとした食感の後に、そばの香りが口の中を包む。
店のそばは、すべて厨房奥のスペースで手打ちをしており、また、御前更科そば以外のそばは、石臼を使って直接お店で碾いたそば粉を使用する。
また、ソバの実自体もこだわりがある。
「そば粉は、深山ファームというところと契約を結んで、厳選したソバの実を仕入れています」
そばだけでなく、つゆも店のオリジナリティが詰まっている。
「今の主流のそばつゆは、出汁を効かせるものが多いんです。でも、うちのは昔ながらで、醤油の味が濃いものを出しています」
冷蔵庫を使わず、昔ながらの製法を守り抜く。保管をする中で、ちょうどいい時期になったら火にかけ、つゆの熟成を止める。そのタイミングによって、つゆの味が決まる。
「うちは冷蔵庫を使っていないので、温度管理は、これまでの経験に頼っています。発酵が進みすぎるので遅すぎてもいけないし、逆に早すぎてもいけない。そのタイミングは長年培ってきたものでもありますね」
季節に合わせたメニューで、お客さんを楽しませる
布常更科では、特にランチの特別なメニューを作っているわけではない。夜のメニューと同じ商品を提供している。そのため、ランチの時間帯からそばだけではなく、天ぷらやおつまみなどを食べることもできる。
「仕事が休みの人が、ランチからお酒を飲んでいたりしますよ。うちは年中お正月みたいで、そういう人が多い(笑)」
その気持ちもわかる。ここで提供される天ぷらは、大森の海で獲れた新鮮な魚を使ったものも多い。
「時によっては、僕自身が釣った鯵を提供することもありますよ」
私がお店を訪れたときは、ふぐの天ぷらも提供されていた。市場に行ったところ、フグが安くてに入ったから、と伊島さんは言う。また、これ以外にも季節に応じたさまざまな天ぷらや料理のメニューを提供している。
「やはり、常連さんだといつも同じでは飽きてしまいますからね。なるべく楽しんでもらえるように、いろいろなメニューを出したいと思っています」
お店の定番メニューであるそばも“変わりそば”を提供している。例えば、春のシーズンには桜の葉を練り込むなど、季節に合わせたおそばで訪れた人を楽しませているのだ。
“昔ながら”を守り続けて
『布恒更科』が誕生したのは、1963年のこと。伊島さんの祖父がこの地で開いた。伊島さんの一家は代々そば屋を営んでいた。
「元々、私の祖父は“布屋恒二郎”という名跡を継いでいました。更科そばを江戸に開店した人がもともと“布屋太兵衛”といったのですが、一族がそこで修業をしたので、布屋を名乗ることができました。そして、祖父が、この大森の地に“布屋恒二郎”の更科そば屋を作るということで『布恒更科』を開店したんです」
更科そばの伝統を引き継ぐ店として、伊島さんの祖父が開いた店は、現在は伊島さんがその味を守っている。そのような歴史があるからだろうか、布常更科を訪れて感じるのは、お店の伝統を守っていこうという意識だ。
伊島さんは、昔はどの店もランチメニューとして特別に何かを出すことはしていなかったという。それに倣う形で、『布恒更科』ではランチメニューを作っていない。これもお店のスタイルを守り続けていることにつながるだろう。また、つゆに関しても、受け継がれた作り方を守り続けている。
「昔からあるものを変わらず出し続けている、それが、うちの強みだと思います」
伊島さんは、そう、力強く語る。
取材・文・撮影=谷頭和希