創業半世紀を超える老舗
地下鉄の千駄木駅を降りて不忍通りを北上すると、道端に立つ小さな看板が目に入る。これに気づいたあなたは幸運だ。今日はいいランチタイムを過ごせますよ。
飲食店が連なるディープな路地・すずらん通りに、『とんかつ みづま』はある。昼間は特別人通りの多い道でもないけれど、『みづま』を探してやってくる人は多い。「掲載された雑誌を片手に来てくださる方も結構いらっしゃいますよ」と話してくれたのは、店主の水間篤彦さんだ。
『みづま』は1971年、水間さんが23歳のときに開業した店。成城の有名なとんかつ店『椿』での見習い期間を経て、銀座や青山でフランス料理の経験も積み、23歳のときに四谷で開業した。1977年に千駄木の大給坂(おぎゅうざか)に移転、1985年から現在の場所で営業している。
「四谷でやっていた時には、みのもんたさんやアナウンサーの吉田照美さんがよく来てくださっていました」。落合恵子さんも当時雑誌のエッセイで『みづま』を取り上げているなど、開業当時から注目され、愛されてきた店だということがわかる。
見た目と味のギャップに頬が落ちる
「うちはコロッケもおいしいよ」という妻みち子さんの言葉に惹かれて、ひれかつとコロッケの相盛り、ミックスBを注文した。
まず驚かされるのは、ひれかつにまぶされたその大粒の衣! これは、ひとつひとつ食パンを手でちぎって作ったパン粉で、粉というよりはもはやパンのかけら。
「トーストかラスクを食べてるみたいなものですね」と笑っていたが、たしかにそのくらいふんだんにパンを使っていることがわかる。食パンも新しいものより、水分が抜けている方がおいしく仕上がるのだという。
いざ頬張ってみると、ゴツゴツした見た目とは裏腹に、食感は軽くてサックサク、脂っこさは一切ない。秘訣は揚げ油だ。
水間さんは「とんかつは、一番は油、二番に肉、三番に腕」と言い切る。豚油100%の純ラードは新鮮さを重視し、揚がり具合で常に油が酸化していないかどうかをチェック。「少し時間がかかってしまうけれど、絶対に新鮮な油で揚げたものを出したいですから」と、営業中でもお客さんに断りを入れて油を取り替えることもあるという。
物腰柔らかな口調のなかにも、「おいしいものを提供したい」という確固たるこだわりが垣間見える。
そのお隣のクリームコロッケもまた、箸で割ってみて驚いた。衣の間からクリームが流れ出るくらい、とろっとろなのだ。口に運ぶと、コーンの甘みで思わず耳の下がキュンとなる。
細やかなこだわりと心遣い
肉や油だけではない、カツカレーに使うショウガに至るまで、材料のほとんどを国産にこだわっている。「中国製の安い割り箸だと、臭いことがあるから」と、割り箸も奥多摩の間伐材を使ったものなのだという。
遠方から来てくれるお客さんも多く、外国人観光客も少なくない。韓国から来た青年が日本語で「おいしかったです」と手紙を書いていってくれたこともあるそう。「その手紙、とってあるんですよ」とうれしそうに話してくれるお二人を見ていると、青年が手紙を書きたくなった気持ちがなんだかわかる気がする。
水間さん夫妻は「雑誌に載せてもらって、ありがたい」と言ってくださるが、このお店のあたたかさに触れるとどうしても紹介したくなっちゃうのだ、きっと。細部に至るこだわりが生み出すおいしさはもちろん、夫婦のやさしさが店内に充満しているからこそ、また来たくなってしまうのかもしれない。
『とんかつ みづま』店舗詳細
取材・文・撮影=中村こより