1989年創業、宮益坂の路地裏に佇む喫茶店
渋谷駅から宮益坂をのぼり、路地に入ってもまた坂道。渋谷駅周辺って坂ばかりなんだよなぁと思いながら、目の前をハイヒールでガシガシ歩いていくお姉さんに尊敬の眼差しを向けた。
やっぱり坂の途中にある『茶亭 羽當』は1989年にオープンした喫茶店で、店頭には花が生けられており粋な佇まいだ。
オープン10分前に店の前で待っていたらパラリパラリとお客さんが訪れ、外観をバックに写真を撮りながら開店を待っている。話し声に耳をそば立てたらなんと全員、外国人だ。
店内に入るとゆったりと座れるカウンター席が広がり、その後ろにはさまざまなカップがズラリと並んでいる。奥にはテーブル席があり、5〜6人のグループでもOKな大きなテーブルも完備。カウンターの真ん中で次々と入るオーダー伝票を見ながら、1杯ずつコーヒーをドリップするのは店長の寺嶋和弥さん。
寺嶋さんはコーヒー好きで、若い頃から喫茶店でアルバイトをしていたそう。「僕が22歳のときに今のオーナーと知り合って、コーヒー好きなら一緒に店をやってみないかと誘われました」と口元を緩める。
若い時には銀座『カフェ・ド・ランブル』の関口さんや吉祥寺『もか』の標さんなどの影響を受けたそう。「弟子でもないのにね、カウンター越しに図々しく教えを乞いました(笑)」と当時を振り返って笑う。ほかにもあるバーテンダーさんやら、かの焙煎士さんに考え方を教わり今があるという。
店内はチョコレート色の木の質感がやさしく包み込んでくれるよう。店頭、エントランスホール、店内の大テーブルなど各所に季節の花が生けられていたり、店の外は水が打ってあったり。季節に合わせた装飾品を飾るのにも日本の茶の心のようなものを感じられる。
「店内の装飾や絵はオーナーの好みもありますが、僕らがこれを準備するのにはお客さんをもてなすっていう気持ちがあるんです。最初の頃は、お客様と談笑しながらのんびりやってたので、けっこう形になってたんですけどね。だけど、最近は忙しくてなかなか追いつかないんですよ」と笑う寺嶋さんだ。
開発が進み、どこかからコピペしてきたような店が集まる渋谷駅前で、こうした温かいもてなしが受けられる喫茶店は貴重だ。「昔はこの辺りに銀行や証券会社が点在していたんですよ。個人でやられてる喫茶店もいっぱいありました。今は紙コップで出てくるコーヒー屋さんやマシンで出てくるコーヒーが増えてますよね」と寺嶋さん。「それが悪いことじゃなくて」と語るが少し寂しそうだ。
この店は毎日、オープンから続々とお客さんがあとを絶たず忙しいのだが、ピークは14~18時。しばし落ち着いたと思ったら、次は夕食後のコーヒーを飲みに客がやってくる。夜の客席を占めるのは意外にも20〜30代の若い人たち。『茶亭 羽當』に来たくなるのは年齢に関係なく、居心地の良さについつい惹かれてしまうのだろう。わかるな〜、その気持ち。
苦味と酸味がいいバランス。「コーヒー、苦手」も改善した⁉︎ 羽當ブレンド
炭火で自家焙煎するコーヒーは、ブレンドとシングルオリジン、カフェ・オ・レやカフェ・カプチーノ。紅茶だって厳選した茶葉を用意している。
でもこうして目の前で寺嶋さんが1杯ずつ丁寧にドリップしているのを見ているとコーヒーが飲みたくなった。
「コーヒーって、季節と産地のお国柄とかでね、表情が変わってくるんで。そういうことを図りながらコーヒーを点てるのってすごく楽しいですよね。ドリップの方法はね、見よう見まねでやってるんですけど、なかなかうまくいかないんです」という寺嶋さん。
寺嶋さんがタダ者ではないと感じていたが、この店がブルーボトルコーヒーのCEO、ジェームズ・フリーマンのお気に入りだということを後になって知った。
上手にコーヒーを点てる条件とはなんでしょう?
「1番は豆の鮮度、2番目は焙煎です。うちは3〜4日に1度店で豆を焙煎して鮮度のいいものを提供しています。あとはその豆の状態を見極めることです。豆を荒く挽いておいしいところだけ抽出しているんですよ」。
当然ながらこの店では高品質な豆を使用しており、1杯のコーヒーに25〜28グラムもの粉を使うというからかなりリッチなテイストだ。
さっそく、羽當オリジナルブレンド900円を点てていただいた。苦みと酸味のバランスがよく、カドがとれたまろやかさがある。
「ブレンドはお店のメインなので万人に受け入れられるようにしていますね。コーヒーを今まで飲めなかったんだけども、ここに来て飲めるようになったっていうお客様がいました。そういう言葉をかけてもらうとうれしいですね」。
ずっとカウンターで寺嶋さんを見ていて気になった。壁一面にあるカップをどうやって選んでいるんだろう。
「まあ季節感のある柄だったり、お客様の洋服の雰囲気に合わせてみたり。やっぱりこれだけカップが並んでるんでね。なじみのお客さんは、前回、前々回に出したカップを覚えておいて、今日は違うものを選ぶんです」。
それをさり気なくやっている寺嶋さんがカッコイイ。
ふんわりと弾力がありしっとりしたシフォンケーキ
コーヒーのお供に選んだシフォンケーキ600円〜は、いちばん人気のため平日でも1日7、8台作るという。また、ホール5300円でも購入可能だ。フレーバーも多彩で、メープルや抹茶、黒糖、紅茶にシナモン、オレンジ、バナナの7種類ある。
ふんわりと弾力があるのに、口の中に入れるとしっとり。生クリームは立てすぎずさらっとなめらかだ。これらのケーキも毎日スタッフたちが手作りするのだという。
「シフォンっていうくらいだから、軽く仕上げるやり方もあるんでしょうけど、しっとり感を重視しています。あとはメープルシュガーとか、抹茶とかは結構いい素材を使っています」と寺嶋さん。
シフォンケーキはもちろん、ほかのケーキもけっこう大きめなのがうれしい。
ステキなお店だから上品にグミくらい小さく切って食べたいところだけど、取材先では常日頃「ささっと食べなければ」という姿勢が前に出て、池のコイのごとくあっという間に平らげてしまった。
空になった皿に気づいた寺嶋さんは、コーヒーを点てる手元から一瞬視線を筆者に向け「すごくおいしいでしょ、シフォンケーキ。人気なんですよ。うちも店を長くやってるんで、人が入れ替わりながらこうしたらいいんじゃないか、ああしたらいんじゃないかって、みんなで意見を持ち寄って今の味にできあがっていったんですよね」とやさしく微笑んでくれた。
シフォンケーキの味もこの店と一緒に今も成長しているのだ。ってことは10年後はもっとおいしくなっちゃう計算だ。だったらちょくちょくシフォンケーキを食べて、進化の度合いを確認しに来なければ。『茶亭 羽當』の楽しみ方がまたひとつ増えた。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢