まず切なさ軽めの落とし物について。駅の階段を上っていた時、ふと一輪の造花のバラが落ちているのが目に留まった。
なぜこのようなところに造花を一輪落としたのか、どのような人が落としたのかは分からないが、感じられるのは「切なさ」よりも「粋」である。
雨の降る路上で発見した、証明写真はどうだろうか。
時を同じくして、友人も別の場所で証明写真が落ちているのを発見したと聞いたので、結構メジャーな落とし物なのかも知れない。考えてみれば、これほど落とし主がはっきりしているものなのにも関わらず、恐らく本人の手元に戻る可能性は低い。証明写真を撮るからには、履歴書やパスポートなどに使う必要があったはずで、落とし主はさぞかし困っているだろう。少し切なくなった。
バスに乗った際、前の席の隙間にヨックモックの銘菓シガールが落ちているのを発見した。
落とし主は気づいていないのか、或いは落として必死に取ろうとしたけれども、隙間が狭くて届かなかったのか。後者であれば、とても切ない。
シガールは別の理由での落下だろうが、食品が落ちている場合、買い物袋から転がり落ちたか、自転車のカゴに入れていたものがはずみで飛び出したか、といったケースが多い。かくいう私自身も「自転車のカゴに入れていた食パン一斤を落としたのに気づかずに走り続け、後から拾って追いかけてきてくれた女性を百メートルほど走らせる」という迷惑をかけた経験がある。
路上に落ちていたマーマレードも、そのような「買い物袋から落ちた組」だろう。
落とし主は、きっと朝食のトーストにマーマレードを塗ることを楽しみにしていたはずなのに、落としてしまったのだ。悲しくトーストのみを頬張る落とし主を想像して、切なくなる。
渋谷駅の柱には、ミツバがもたれかかっていた。
人混みで踏まれないように、誰かが親切で立てかけたのだろう。落とし主はミツバを何に使うつもりだったのだろうか。お吸い物か、親子丼か。いずれにしても、ミツバのない寂しい色合いの料理を思い浮かべると、切なさも一層増してくる。
食品系の落とし物の中で最も衝撃を受けたのが、駅のホームのベンチ下に落ちていたかにぱんである。
かにぱんは1袋に2個入っているので、恐らく1個食べたところでもう1個を落としてしまったのだろう。落とし主は気づいていてそのまま立ち去ったのではと推測され、その点では切なさは弱めであるが、1匹寂しくベンチ下に取り残されたかにの姿は、大変物悲しいものがある。
私がこれまでで一番切なさを感じた落とし物、それは7年前、新宿のオフィス街に落ちていた就職祈願のお守りである。
落とし主はすがるような思いでお守りを入手したはずで、しかしそれを落としてしまった。切なくてたまらない。落とし主が現在無事に就職できていることを祈りつつ、自分も物を落とさないように気を付けたいと思うのであった。
イラスト・文・写真=オギリマサホ