まずは雪女のあらすじをおさらい
小泉八雲の有名な怪談「雪女」の舞台は東京の川辺で、季節は春っぽいということをご存じだろうか。
短い話だし、青空文庫でも読めるのでぜひ読んでほしいが、あらすじを書いておくと(ネタバレ注意)、老いた茂作とイケメン巳之吉が山仕事の帰りに大吹雪に遭う。舟がなくて川を渡れず、渡し守小屋に避難したが、夜中に超絶美人の雪女が押し入って、茂作の命をさっさと奪う。巳之吉はイケメンだから生かされたが、だれかにチクったら命はないという。翌冬のある晩に巳之吉は雪女そっくりのお雪と出逢い、結婚。男女10人の子を授かる。皆、超色白で美しく、お雪も変わらず美しい。ある晩、巳之吉は、雪女を見たことをお雪にチクってしまう。お雪は「それは私」と言い、だが子どものためにまたも巳之吉を生かし、霞になって立ち上り、夜に消えた……。
小泉八雲の「雪女」は青梅の伝説がルーツだった
この「雪女」を含む『怪談』が出版されたのは明治37年だが、平成になって、この話が東京都青梅市の旧調布村の伝説に拠っていることを、帝京大学講師だった芦田文代さんらが明らかにした。
それを受け、地元の昭和レトロ商品博物館が中心になって「雪おんな探偵団」が結成された。作家の山口敏太郎さんも加わって調査し、青梅にさまざまな雪女伝説があることがわかった。八雲に雪女の話を伝えた調布村の父娘が、多摩川の千ヶ瀬の渡し(恋瀬の渡し)の近くに住んでいたことも判明。だから、巳之吉が雪女を見たのは青梅宿に近いこの渡しだとされる。
ただし、八雲の「雪女」と同様の伝説は発見されていない。だから八雲がどの程度脚色したのか不明だが、冬期は渡しに仮橋が架けられるので、巳之吉が雪女を見たのは、仮橋が外され、山仕事ができる3月下旬、つまり春の大雪だったのではと、芦田さんは推測する。雪女というと、だれもが東京近郊でなく雪国をイメージするが、江戸時代は小氷期(ミニ氷河期)で、今よりずっと寒かった。だから青梅にも雪がよく降った。
青梅の雪女は妖怪より"女神"のイメージ
雪女は深い山中に現れるイメージが一般的だが、青梅の雪女は違う。千ケ瀬の渡しあるいは河辺の渡し、生活用水だった男井戸女井戸(おいどめいど)など、人が行き交う身近な水辺によく出現する。多摩川の水面の1尺くらい上を、すーっと渡る雪女を見かけたともいう。
だから青梅の雪女は、弁天、羽衣天女、橋姫、瀬織津姫などの水辺の女神とイメージが連なる。妖怪というより女神っぽい。とくに八雲の雪女はどこまでも美しく情け深くて、断然、女神だ。八雲は青梅の雪女がもともと持っていた女神性を、さらに増幅したのだろう。
母なる川=多摩川で生と死を司るお雪
川や井は、この世とあの世の境だった。三途の川の畔にいる鬼女、奪衣婆は、大阪大学名誉教授の川村邦光さんが指摘するように、生と死を司る、恐ろしくもやさしい女神だ。青梅の雪女もまた、生と死を司る女神であり、地母神なのかもしれない。
八雲の雪女=お雪は、人の命をかんたんに奪う一方、たくさんの命を生む。利根川=坂東太郎が父なる川なのに対して、多摩川=玉川は母なる川だと思う。母なる川ゆえに、母なる雪女、多産のお雪がいる。川を守る雪女という女神が、多摩川を豊かにするのだ。
雪女の話は各地にあるが、八雲の「雪女」は雪女伝説の標準となり、その後、各地の雪女伝説に大きな影響を与えたという。今や青梅は雪女伝説の中心地といっていい。雪女は昼間にも現れるが、原則、夜行性だ。巳之吉が雪女に出逢ったのも再会したのも別れたのも夜だった。というわけで、雪女の中心地、青梅を夜散歩してみよう。(つづく)
写真・文=中野 純