雪女さんぽのスタートは「千ヶ瀬の渡し」から

まずは、青梅(あおうめ)の古木がある金剛寺の裏手から、多摩川の河岸段丘をだらだら下ろう。古青梅道沿いに2つの湧泉が並ぶ。水量は昔より減っただろうが、今も水が湧いて鯉がいる。この男井戸女井戸の井戸端に、赤ん坊を抱えた雪女が現れ、この子を抱いてと頼んでくるという。が、ここは今は、街中すぎて、浸りにくい。

柳淵橋と鮎美橋を渡り、青梅街道を経て調布橋に寄ろう。北詰に「雪おんな縁の地」の石碑がある。でも、「雪女」の舞台とされる千ヶ瀬の渡しはここじゃない。北詰から下流方向に少し行くと、右へ下る道がある。そこから川岸へ下りると、ちょうど千ヶ瀬の渡しがあったあたりだ。対岸はそこだけ小広く渡しの雰囲気が遺っていて、水位計の立つ闇に、ボーっと白い雪女の影が浮かんできそうだ(対岸にも渡し跡へ下りる道がある)。

そこだけいつも雪が積もっているような柳淵橋。多摩川に架かる人道橋。
そこだけいつも雪が積もっているような柳淵橋。多摩川に架かる人道橋。
千ヶ瀬の渡し跡と調布橋。
千ヶ瀬の渡し跡と調布橋。

だが、もっといい場所がある。少し下流からいったん道路にもどり、鋸屋根の町工場、林川寺などを経て、河辺の渡し跡を目指そう。ここにかつて渡し守小屋があって、雪女(雪女郎)が出るといわれていた。

織物産業が盛んだった青梅には、鋸屋根の工場がたくさん遺っている。
織物産業が盛んだった青梅には、鋸屋根の工場がたくさん遺っている。

石灰岩が白く浮き上がる広大な別世界「河辺荒野」

古い地図を参考に、河辺の渡しに通じる道を探したら、青梅市河辺町3丁目1056番地付近にあった!

河辺の渡しへのおぼろな道。昭和初期まで重要な交通路だった。
河辺の渡しへのおぼろな道。昭和初期まで重要な交通路だった。

階段から始まる坂道を下って多摩川の河川敷に出たあとも、少し道をたどれる。去年の台風のせいで道はほどなくかき消されてわからなくなるが、その道のまっすぐ先がまさしく河辺の渡し跡だ。

河辺荒野。賽の河原のような石ゴロゴロ地帯。
河辺荒野。賽の河原のような石ゴロゴロ地帯。

ゴロゴロの石に足首をクネクネさせて歩くが、スゴい。奥深い。闇のあちこちでボーッと白く浮き立っている石は石灰岩だ。振り向くと、河原の闇の果ての河岸段丘に建ち並ぶマンションなどの街並みが、完全に別世界。千ヶ瀬の渡しのあたりは渓谷的で、河原と呼べる空間はほとんどなかったのに、少し歩いただけでいきなり広大な河川敷が現れて、そのドラマチックな展開が素晴らしい。かつて川砂利が採取されていたせいか、河川敷内に結構起伏があるのも楽しい。こんなスゴい場所に呼び名がないのか。とりあえず「河辺荒野」と呼びたい。

青梅の土地が纏っている雪女の気配

小さな支流の鳶巣川が合流するちょっと手前が、河辺の渡しのあったところだろう。ここも、渡しがあった雰囲気が地形などに感じられる。下流側へ少し行くと河川敷の中に疎林があり、その中はゴロゴロの石からさらさらの砂になって世界が変わる。

河辺荒野のさらさらの砂地に広がる疎林。市街を流れる川の河川敷とは思えない景色。
河辺荒野のさらさらの砂地に広がる疎林。市街を流れる川の河川敷とは思えない景色。

なんだか、あの世をさ迷っているような、『日本昔ばなし』の世界に入ったような気分になり、振り返ると雪女が立っている気がする。雪がなくてもこんなだから、雪が積もったらもう雪女だって出ないわけにいくまい。ホント、雪女がいても全然おかしくない場所だ。八雲の「雪女」の舞台は、実は千ヶ瀬でなく、こっちなんじゃないかという気すらする。

昔の青梅の人は、雪女をたびたび目にしてきたが、今はもういない。温暖化のせいで、ますますいなくなった。だが、気配はかんたんには消えない。その土地がまとっている気配、雰囲気は、100年や200年程度では、なかなか変わらない。夜、市街からちょっとだけ離れて水辺に身と心を置けば、雪女が生きていた時代の空気を体感できるのだ。

闇の疎林の中で、急に獣臭くなった。強烈な気配が立ち込める。猪でも鹿でも狐でも穴熊でも、なにがいてもおかしくない。

闇の中でゾウの顔に見えて、二度見した。去年の台風のせいで、河川敷に流木が多い。
闇の中でゾウの顔に見えて、二度見した。去年の台風のせいで、河川敷に流木が多い。

ここからはもう河辺駅が近い。ちょっと歩けばピカピカの郊外の街並みだ。街の光を浴びて夢から醒める。この先、温暖化が進めば、雪女の気配がさらに薄れていく。プラスチックは、劣化の過程で温室効果ガスを出すから、河川敷でプラスチックごみを見つけたら、雪女のために拾って持ち帰ろう。

ところで、メッチャ色白で美形の子どもたちがその後どうなったのか、気になりすぎる。お雪は、子どもたちを大事にしなかったらただではおかないと脅して消える。巳之吉は10人の子を必死で守り育てただろう。10人とも無事育ち、またたくさんの子をつくった違いない。今の青梅は、雪女の末裔だらけなのかもしれない。

写真・文=中野 純

小泉八雲の「雪女」を含む『怪談』が出版されたのは明治37年。平成になって、この話が東京都青梅市の伝説に拠っていることが明らかになった。さらに驚くべきことに、この話の季節は春だというのである。雪女の出現地をめぐって夜の青梅を歩いた。
私たち哺乳類はもともと夜行性だった。今こそ哺乳類の初心に帰って、ご近所闇と宅闇をいろいろ楽しみまくろう。全然知らなかった世界が近くに数多あることに、きっと驚く。ご近所は意外に広大だということを思い知る!