『いいだばし萬年堂』。歴史は江戸時代前期にさかのぼる。
JR飯田橋駅・東口を出て左手に進み、大久保通りを100mほど歩いたところに『いいだばし萬年堂』がある。神楽坂からもほど近い。ペコちゃん焼の『不二家飯田橋神楽坂店』からは神楽小路へ進み、徒歩4分程度だ。
江戸時代前期に京都で創業し、明治5年(1872)に東京へ移転した銀座『萬年堂本店』11代目の次男、樋口悠治さんが1993年に独立開業した同店。現在は息子の秀徳さんと店を守る。
お赤飯そっくり「御目出糖」
『いいだばし萬年堂』といえばお赤飯そっくりな蒸し菓子「御目出糖(おめでとう)」。脈々と受け継がれてきた伝統の味だ。
こし餡に数種類の米粉を混ぜ合わせたものをそぼろ状にして、蜜漬けの小豆をのせて蒸し上げる。甘さは控えめ。もっちりとした食感と小豆の風味がたまらない。日が経ち固くなっても蒸し直せば食感や香りがよみがえる。
ショーケースの「御目出糖」の隣には、同じ製法でつくる2つの和菓子が並んでいる。「ありが糖う(ありがとう)」と「茶の香糖(ちゃのかとう)」だ。
特におめでたいことがなくても「御目出糖」は喜ばれるけれど、それでもお菓子を贈るときに、ありがとうという言葉の方がしっくりくるシーンは少なくない。姉妹品の「ありが糖う」が誕生したのは割合最近になってからだけれど、人気が高いのもうなずける。派手でない落ち着いた桃色なところもいい。
白金時豆の白あんに数種類の米粉を混ぜてそぼろ状にして、小豆の蜜煮を挟み、大福豆の鹿の子をのせて蒸す。白あんなので御目出糖よりもあっさりしている。
元々は仏事用だったけれど、今では用途を問わず人気が高まり年中店頭に並ぶようになった抹茶味の「茶の香糖」。以前はそぼろ状にして蒸す製法に由来する伝統的な呼び方「高麗餅(こうらいもち)」の名で売られていたけれど、味の想像がしやすい菓銘に変更された。
神楽坂銘茶『楽山』の抹茶の香りがふんわり広がる。
一般的に生菓子は日持ちのしないものが多いけれど、この3種類は季節により3~5日の日持ちがするので手土産にしやすい。
大人だって嬉しいひなまつりの和菓子
『いいだばし萬年堂』の季節の和菓子も見逃せない。2月半ばから3月の初旬にかけて登場するひなまつりの和菓子は、心華やぐものばかりでワクワクする。
一番のおすすめは御目出糖と同じ製法のひし餅形の「三段高麗餅」。厄除けの草餅色と白、桃色の3段。白あんを使うので「ありが糖う」と同様あっさりしている。
『いいだばし萬年堂』では上生菓子を型を使わず手で形作る。薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)「桃花」や道明寺製の「たちばな」、こなし製の「引千切り(ひちぎり)」など6種類のひなまつりの上生菓子は、作り手の温かい人柄が伝わる柔らかな雰囲気で癒やされる。
上生菓子にも京都の伝統が受け継がれている。真珠を抱いた阿古屋貝(真珠貝)をかたどった「引千切り」は、京都を中心に作られる雛菓子で、「こなし」(餡に小麦粉やもち粉などを加えて蒸してもみこなす)も関西で主流の製法だ。
ひなあられも自家製だ。はぜ米には黒糖がけが、豆や餅のあられには白砂糖がけがされている。手作りならではの温もりある味わいだ。
意匠と菓銘で表現する和菓子作り。
同店では、クリスマスなど西欧の行事の上生菓子を作る際にも、和菓子の伝統的な決まり事を大切にしたいと、チョコレートや乳製品を使わずに、意匠(デザイン)や菓銘(菓子の名)で表現する。
上生菓子作りへの想いは、赤飯に見立てた「御目出糖」に見える遊び心に通じると感じた。「御目出糖」は赤飯よりも日持ちするという合理的な面もあるけれど、わざわざ赤飯そっくりの和菓子を作るなんて、和菓子の可能性へのチャレンジと、楽しんでもらおうという気概があってこそだったのではないかと思う。
神楽坂の喧噪から少し離れたこの場所を訪れればいつも、愛らしくて心躍る和菓子が出迎えてくれる。
文・撮影=原亜樹子(菓子文化研究家)