吉永陽一(達人)の記事一覧

吉永陽一
達人
吉永陽一
写真家・フォトグラファー
鉄道の空撮「空鉄(そらてつ)」を日々発表しているが、実は学生時代から廃墟や廃線跡などの「廃もの」を愛し、廃墟が最大級の人生の癒やしである。廃鉱の大判写真を寝床の傍らに飾り、廃墟で寝起きする疑似体験を20数年間行なっている。部屋に荷物が多すぎ、だんだんと部屋が廃墟になりつつあり、居心地が良い。
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東京都府中市の、街に刻まれた砂利運搬貨物線の痕跡を空から眺める
廃線跡は空から見ないとわからないことがあります。地上を散策するときは、遺構が残っていれば良いのですが、唯一残っている遺構が線路から道へと転用されたものだと「ああ、この細い道がそうかなぁ」と、旧版地形図を見比べながら納得していくことになります。先日、府中市内の建物を空撮する案件があり、調布飛行場から飛び立って、いくつもの建物を空撮していました。そのとき、チラチラと視界に入ってくる細い道があり、「あれはどう見ても廃線跡だよなぁ」と直感しました。
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さまざまな仕掛けが出迎える廃トンネルと車窓から見える廃線跡。大井川鐡道の大井川ダム旧線と長島ダム付け替え区間【後編】
井川線アプトいちしろ駅を下車し、長島ダムで廃止となった旧線散策のスタート地点へ。そこには「ミステリ~トンネル」と書かれた看板があり、真っ暗なトンネル(大加島トンネル)へと歩みを進めると……。前回の大加島トンネルの闇でいきなりの挨拶に驚きつつ、トンネル内で煌々と輝く明かりへと近づいていきます。が、その手前には「扉を開ける勇気がありますか?」のロッカー。勇気はあります。少し腰が引けていましたが。
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真っ暗闇のトンネルに、何かがいる……?大井川鐡道の大井川ダム旧線と長島ダム付け替え区間【前編】
大井川鐵道井川線は全線非電化で、千頭駅を起点に大井川の上流へと上っていきます。もともとは電源開発のために敷設された線路で、中部電力の専用貨物線でした。1959年に大井川鐵道へ運行が委託されて旅客化され、ナローゲージ規格の車体の列車が1067mm軌間の線路を走り、全ての列車が機関車+客車の編成となっています。「廃なるものを求めて」では、以前に終点井川駅から先の廃線跡を紹介しました。今回はもうひとつの廃線跡区間、アプトいちしろ駅〜接岨峡温泉駅間の長島ダム建設に伴う、線路付け替え区間です。前回の吾妻線に引き続き、ダム付け替え線路の紹介となります。
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八ッ場ダムに水没した吾妻線の旧線をそっと遠くから見つめる。生まれ変わった遺構にレールバイクも
山間部を縫う鉄道路線のなかには、ダムの建設によって水没するために線路を付け替え、旧線は水底へと沈んだ区間があります。北上線の錦秋湖や飯田線の佐久間湖、注目を集めている旧士幌線のタウシュベツ橋梁もそうですね。前回紹介した吾妻線(旧長野原線)は、2014年に八ッ場(やんば)ダム建設によって岩島〜長野原草津口間の線路が付け替えられ、旧線跡は八ッ場あがつま湖へ没しました。前回までは旧長野原線の太子駅跡まで追うのに精一杯でしたので、吾妻線の旧線跡はここで紹介します。
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萌えすぎて後悔。突如として現れるホッパーと鉄道公園! JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<後編>
2回にわたって群馬県長野原線の遺構をじっくりと探索してきました。締めくくりは、みんな大好きなホッパーの遺構です。
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向かい合う双方のトンネル。真っ暗な第二愛宕トンネルを行く。JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<中編>
群馬県の旧長野原線をめぐる旅、前編では第一愛宕トンネルに入ったところで終わりました。気になるその先へと足を進めましょう。第一愛宕トンネルの壁面は、吹き付けたコンクリートに、ツーっと涙跡のような白い線が数本垂れています。何も知らなければ眉をひそめる姿ですが、廃なるものに慣れてくれば「あー、コンクリートの白華現象か」と、いたって冷静になれます。白華現象を簡単に言うと、コンクリートの石灰石成分が水分などによって表へ染み出したもの。鍾乳石みたいなもので、ひび割れた部分などによく現れます。石灰石の涙と言ってもいいのかな。白い線が多すぎるとひび割れも多くなり、耐久性は大丈夫かと別な怖さを感じてしまいますが、とりあえずこのトンネルは大丈夫そう。
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蒸し暑い真夏のひととき、霧も出る漆黒のトンネルへ。JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<前編>
関東は梅雨明けしました。途端に35度以上の酷暑日が続き、どこか涼を求めて彷徨(さまよ)いたい。こんな暑さには廃トンネルです。廃トンネルは崩落の危険があったり閉塞していたりと、閉鎖されているところが多いです。そういうところではなく、生活道路としては現役だけれども、鉄道としては遺構となった廃線跡を訪れました。JR吾妻線の前身、旧長野原線の廃線跡です。生活道路へ転用された廃線にトンネルがあるのです。前編は廃線跡をめぐりながらトンネルへ、中編はトンネルとその先、後編は終点へとめぐります。
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中央本線の線路付け替え区間を陸路と空撮写真で追う【後編】信濃境〜富士見間・立場川橋梁の雄姿に見とれる
前回は中央本線の線路付け替え区間を中心に、信濃境〜富士見間を空から観察しました。後編の今回は、同区間の旧線へ近寄って観察します。撮影は特記以外2024年6月11日です。なお立場川橋梁は現在線の名称にもなっており、旧線の立場川橋梁と混同しないためにも、このレポでは“旧橋梁”とします。旧橋梁には信濃境駅寄りに乙事トンネルと姥沢トンネル、富士見駅寄りに瀬沢トンネルが残存しています。それらの遺構も訪れましょう。と、その前に、富士見町役場へ旧線の情報を聞きに行きました。旧線の敷地や施設は、1980年に国鉄から富士見町へ移管されたので、どこまで見学できるか確認します。旧橋梁は道路からは見学可能で、橋梁に続く築堤は立入禁止になっているとのこと。架線柱倒壊のおそれや土砂崩れなど、不測の事態が懸念されているからだそうです。
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中央本線の線路付け替え区間を陸路と空撮写真で追う【前編】スイッチバックの名残りも見られる初狩~富士見間
鉄道路線は、長年の歴史の中で線路を付け替えた場所があって、ときには旧線の痕跡がしっかりと残っていることもあります。そういうところを探して巡るのは、廃線跡探索の醍醐味のひとつ。2回にわたって、JR中央本線の線路付け替え区間にスポットを当てていくのですが、今回は例によって、私の十八番の空撮を多用して紹介します。中央本線は東京駅を起点に塩尻を経由し、名古屋駅へ至ります。大正8年(1919)に東京〜名古屋間が開通し、通称では東京〜塩尻間を中央東線、塩尻〜名古屋を中央西線と呼び、東線がJR東日本、西線がJR東海管内の路線です。
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大阪城の堀とオフィス街のはざまで緑にのまれた旧陸軍のレンガ建物【廃なるものを求めて】
前回に引き続き、2024年5月に大阪を空撮した際、市内中心部で出合った廃なるものを紹介します。後半の今回はレンガ建築の建物です。場所は大阪城の北西、お堀と寝屋川が接近するあたりです。そのような場所に、廃墟となって草むしている建物がひっそりと残っています。大阪中心部のビル街にどどんと構える大阪城。伊丹空港へ着陸する旅客機の左窓からでも、その勇姿はしっかりと見えます。「ナニナニ何個分」の広さというのはピンとこないですが、野球場やサッカー場が、余裕で10以上並べられるほどの広さがありますね。このエリアを空撮するときは、旅客機の着陸の合間に行います。空港管制圏内の申請や、管制官との調整はパイロットを通じて行い、念入りに事前の準備をするのですが、それでも実際に飛行して旅客機が近づいてきたら離れなければなりません。すんなり時間通りに撮影できない、空撮にとってはシビアな場所です。
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