吉永陽一(達人)の記事一覧

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東京都区内に残る小さな鉄道遺構を訪ねる。
東京都区内に残る鉄道の遺構はどれくらいあるだろうか。現役で使用されているものではなく、道となった廃線跡でもなく、遺棄されたものがそのまま残っている…。うーん、ありそうでないような、なさそうであるような。ということで、パッと思いついた鉄道の小さな遺構を2ヶ所紹介します。
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本来の用途が終わり“第二の人生”を送る廃なるもの
「この橋は古いですよ。昭和……もっと古かったですよ〜」東十条駅前の道路跨線橋を撮影していると、通りすがりの老婦人が声をかけてきました。「もっと古かった」…… そう、駅前に架かる「十条跨線橋」は昭和よりももっと前、明治28(1895)年製の複線橋梁なのです。この橋は明治時代からこの地に架かってきたのではなく、東北本線(宇都宮線)赤羽〜川口間の荒川橋梁から転用されたものです。廃なるものでは遺構などを紹介し、今回は転用されて現役のために主旨が違うかもしれません。が、本来の用途ではなくなった点で、廃なるものでも良いのではないかと考え(拡大解釈)、また十条跨線橋は東京都北区の計画段階であるものの架け替え予定となっており、いずれ消滅してしまうかもという思いから紹介することにしました。
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12年前に“白沢峠のダッジ”と呼ばれる廃トラックへ会いにいった話
もうかれこれ12年前、2010年11月の話です。歌舞伎町の飲み屋で知り合った知人から「白沢峠のダッジを知っているか?」と尋ねられました。聞き返すと、山梨県にある山腹にダッジと言われるボンネットトラックの廃車があり、荷台から木が生えていているらしい。お互いに写真が好きだから撮影したいねと話が弾んで、ちょうど今のような晩秋の11月27日の早朝に東京を出発し、山梨県へ向かいました。日付がしっかりしているのは、デジカメのExif情報が残っていたからです。干支一回り分の過去の記憶はあやふやで、気軽に撮ったと思われる携帯電話カメラ(写メ)のデータも行方不明。薄れつつある記憶を思い出しながら綴ります。
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大村湾ののどかな海に点在する旧海軍の遺構 片島魚雷発射試験場跡その2
前回は射場とポンプ所を中心に巡りました。後編は小山の頂上にある観測所を訪れます。観測所は射場でセットされたテスト魚雷を観測する場所で、発射指示を出して魚雷が発射されると、大村湾の沖合に1000m間隔で設置されたブイを目印にして、そこを通過する魚雷の速度(雷速)を測定したり、雷跡の状態を確認したりと、高所の位置を活かした観測をおこなっていました。
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大村湾ののどかな海に点在する旧海軍の遺構。片島魚雷発射試験場跡その1
2022年9月23日、西九州新幹線が開業しました。撮影のため私も九州入りし、せっかくだから廃なるものも見てみようと、新幹線の沿線から近い場所をリサーチしていました。大村湾のネット地図を見ていると川棚町に「片島魚雷発射試験場跡」という文字を発見。関連写真には、海に浮かぶコンクリートの建物。「探信儀領収試験場」という施設です。むむ……。この写真は見たことある。ああ、そうだ。いつか行きたいと思っていた場所だ。
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ほぼ道路と遊歩道となった11.6kmの廃線跡を辿る。旧・日中線の遺構をめぐる~後編~
前編に引き続き、福島県喜多方市の日中線の跡を辿ります。2020年8月26日の撮影がメインで、秋の写真は2016年12月13日の訪問です。熱塩駅を去る前に、構内はずれでぽつんと立つ一対の踏切警報機の脇へ立ちました。警報器は錆び付き、遮断棒はとうになく、蔦も絡まって使用中止の板が掲げられています。昭和59(1984)年の廃止からずっとこのままであったのでしょう。
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欧風の駅舎と保存車両が出迎える終着駅の跡、熱塩駅。旧・日中線の遺構をめぐる~前編~
福島県喜多方市。玄関駅の磐越西線喜多方駅には、昭和59(1984)年まで日中線というローカル線が分岐していました。日中線は喜多方〜熱塩間11.6kmの短い路線で、沿線の足や鉱山の輸送に活躍しましたが、当初6往復あった列車も、昭和40年代には既に朝夕3往復のみの運転というものでした。そのため、鉄道ファンからは「日中に走らない日中線」と言われました。
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思い出となったお茶の水橋に現れた過去の都電の軌条
今回は撤去されて思い出となった「廃もの」を紹介します。会いたくても会えない、過去の話です。2019年の終わり、ひとつのニュースがありました。千代田区の中央線御茶ノ水駅に隣接した道路橋の「お茶の水橋」補修工事中、アスファルトを剥がしたら2本のレールと御影石の敷石……。都電の軌条が見つかったのです。都心に突如現れた廃線跡の遺構。しかも何十年もアスファルトで覆われていたため、廃止時のほぼ完璧な姿で現れたというものです。まるで高輪築堤のような状況です。
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炭坑施設の建物群と、崩れゆく30号棟【軍艦島観察記・最終回】
軍艦島ツアーのレポートは今回の4回目がラストです。さっそく巡っていきましょう。埋立拡張された護岸の構造を見ながら見学通路を進みます。左手は背丈以上の護岸。右手は鍛治工場、製缶場、坑内機械工場など、炭坑を支える工場の遺構があります。これらの建物群は半ば崩壊しているので、現役のころの全容は想像しにくいですが、2~3階建ての工場であったことが判別できます。コンクリート部分以外は、木造や鉄骨の建屋があったのでしょう。それらはすでに風化して消えています。地面は足の踏み場もないほど瓦礫が散乱しています。風雨などによってここまで瓦礫が散乱しているとなると、自然の猛威はすさまじいと思わずにいられません。
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軍艦島の竪坑(たてこう)、護岸を観察する。【軍艦島観察記その3】
前号からちょっと間があきましたが、今回は見学コースをじっくり観察しながら堪能します。で、じっくりすぎてこの号では終わらないという、案の定の展開となってしまいました。今号は護岸の構造までご案内し、次号で本当の〆といたします。第1見学広場でガイドさんのトークに耳を傾けつつ、周囲の遺構が気になって仕方ありません。一人落ち着きなく見学場内をフラフラしていると、次の第2見学広場へ移動となります。見学通路はなるべく遺構に影響のないようコンクリートの小道が整備され、柵で仕切られています。遊園地のアトラクションを見学するような感覚です。
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