ライターの北尾トロ、下関マグロが2013年に結成。町中華を追い続け、その食文化を記録・記憶する。2015年から山出高士、半澤則吉も参加し本誌で2019年まで「町中華探検隊がゆく!」を連載。2023年現在、隊員数は100名に迫る。
支えてくれたお客さんへの思いが店名に『開運中華 慶修』[ときわ台]
パラパラとしっとりの中間をピタリと射抜くチャーハンをひと口食べて「これこれ!」と声を上げそうになった。ラーメンも同じ。年季の入った雰囲気とマッチした、“ちょうど良さの理想”がここにある。先代が腕を振るい、ときわ台の人たちに愛される味に仕上げてきたメニューを2代目が受け継ぎ、改良を加えてさらに進化させたメニューは、定番のラインアップから日替わりセットまで常連客を飽きさせない。もっとも、最大の変化は店名かもしれないと2代目主人の柚木慎也さん。
「うちを支えてくれるお客さんが元気で過ごせるようにと、開運中華を名乗ってみました」
自分が子供の頃から通う客がいる。ときわ台を離れた人がわざわざ食べにきてくれる。そんなところに時間の重みと商売の喜びがあると語ってくれた。お客さん本位の気持ちは大女将のイヨ子さんも一緒だ。
「長く来てくれる常連さんに育てていただいたお店です。やっぱりうちは地元密着で、この地に長く根づいていきたい」慎也さんの長男は飲食店で修業中。3代目を継ぐことが決まっている。『慶修』の灯はまだ消えない。(トロ)
『開運中華 慶修』店舗詳細
近隣の団地・住宅の人にとって、これぞ故郷の味『中華料理 丸福』[志村坂上]
しっかり強めの醤油味に魚介の風味。チャーハンが有名な『丸福』は正統派のラーメンもまた染みる。「チャーハンは私たちの代になり今のやり方になったし、ラーメンも昔とまるで違うんですよ」と2代目丸山利昭さん。昔はこの辺りは工場が多く職人に親しまれていたが、気づけば周りは住宅地に。街の変化に合わせ味のアップデートを繰り返してきた。
一方、女将の申子さんは「近くの実家に帰省した人が、懐かしの味として楽しんでくれることも多いんです」とも話す。僕は田舎出身だが、この店の料理をいただくと、大都会、東京育ちの人にも「地元メシ」があるんだなあと実感する。前野町にあっては『丸福』こそ故郷の味だ。遠方からの客も多い有名店だけど、近所の住宅や、会社の寮の若者たちの胃袋を支え続けてきた半世紀があり、今があるのだ。
そんなことを考えながら、最後の一口までおいしいチャーハンを噛みしめる。チャーシューが主役と思いきや、玉ねぎの甘みがたまらない。2代目になってからロースハムに変えたというハムもいい味だ。なるほど、『丸福』は華やかさと地道さを両方兼ね備えた店で、だからこそ60年も続いてきた。名物料理がそんなことを教えてくれた。(半澤)
『中華料理 丸福』店舗詳細
/定休日:不定/アクセス:地下鉄三田線志村坂上駅から徒歩10分
カウンター越しの会話が楽しいスナック中華『中華 味楽』[中板橋]
アーチに「なかいた」と書かれている商店街を進み、石神井川のリバーサイドにあるのが味楽だ。かつてはいかにも町中華という外観だったが、2016年に建て替えられ、一般住宅のようなつくりとなった。のれんが出ていないと通り過ぎてしまう。
もとは先代の兄が練馬で『味楽』という店をやっていたところを手伝いに行っていたのが始まりだった。
先代は2022年に81歳で亡くなり、現在、店を切り盛りしているのは娘の文江さんだ。店は長いカウンター席とその先に小さな小上がりがある。ホワイトボードには手書きのおつまみメニューが見える。まるでスナックのような雰囲気だ。
とはいえ、ラーメンをいただくと、先代からの味がきちんと守られている町中華だということが分かる。
「たくさん食べられない人のためにおつまみメニューを作ったんです」と文江さん。夕方からカウンターはおじさん客でいっぱいになる。文江さんは父が亡くなる直前には好きだったタンメンを食べさせていたそうだ。先代は「これがいちばんおいしい」と喜んで食べていた。確かに、ここのタンメンはニンニクが効き、めちゃくちゃうまい!(マグロ)
『中華 味楽』店舗詳細
「共」に「栄」えるという店名が意味するもの『共栄軒』[上板橋]
若木通りを北へ歩いたとこにある閻魔坂の途中にあるのが『共栄軒』だ。創業当初は今よりも坂の下にあった。居抜きで借りたのだが、看板が「共栄軒」だったのでそのまま店名にした。だから、店名の由来は分からない。町中華ではよくある話だ。
店内には、常連客の方々とのつながりが分かるものがいろいろと飾られている。大きなモノクロのパネル写真は日大豊山高が甲子園に出場したときのものだ。東京オリンピックの競泳チームのサインもある。いずれも関係者が店の常連なのだそうだ。
その中に日大豊山女子高校の教師と事務員の方々がお店で撮った記念写真がある。東日本大震災が起きた日、学校があちこちに出前をお願いしたのだが、『共栄軒』だけが引き受けた。200人分のチャーハンを大きなボウルに入れ、何度も運んだことから、毎年、3月11日にはそのことを忘れないように学校の方々がチャーハンを食べに来るのだそうだ。こういった店内の写真やサインなどを見ていると、居抜きで借りたお店の名前がたまたま「共栄軒」だったわけだが、それが今では近隣の方たちと共に栄えるという、まさにピッタリの店名になっていたんだと気づかされた。(マグロ)
『共栄軒』店舗詳細
『散歩の達人』2023年6月号より