イチョウの樹齢1000年とか、くらやみ祭が1000年以上続いているとか、スケールが大きい大國魂神社。起源は景行(けいこう)天皇41年(111)、今から約1900年前! 大國魂大神(おおくにたまのおおかみ。出雲国の祭神・大國主命<おおくにのぬしのみこと>と同神)がこの地に来たことが始まりと伝えられる。
「この周辺は昔から多摩川が蛇行するハケの上で、人が住むのに適した場所。人が集まれば自然と神様をお祀りしますから、おそらく1900年以上前から祭祀的なことは行われていたのではないでしょうか」とは、大國魂神社の飯塚礼寿さん。
大化の改新(645)で府中に武蔵国の国府が置かれてからは武蔵国の著名な6つの神社も合わせて祀られ、「武蔵総社六所宮(むさしのそうじゃろくしょぐう)」と呼ばれるように。以後、源頼義・義家父子、徳川家康も篤く信仰したという。
そんな奥深い歴史は、境内のあちこちで触れられる。宝物殿も必見で、神輿や大太鼓をはじめ、国指定重要文化財の狛犬、徳川家の朱印状など、お宝がずらり。珍しい品では、神仏習合の時代に本殿に収められていた木彫仏像。明治期の廃仏毀釈の際、当時の宮司が捨てるのは忍びないとこっそり保護していたものだという。
通常は南か東向きの御本殿。北を向いているのには理由がある
大國魂神社の御本殿は、神社には珍しく北向き。950年以上前の源頼義による奥州征伐(前九年の役)以来、“北に睨みをきかせる”ためと伝わる。それに合わせて、御本殿を守る金と銀の狛犬は阿・吽の位置が逆。御本殿と拝殿のシデの折り方も逆で、左から折り返している。ちなみに、右側の門扉の傷は、祭りの神輿渡御の際についたもの。
大鳥居が二の鳥居!? 鳥居は一つだけじゃなかった
大鳥居からまっすぐ続く参道・馬場大門ケヤキ並木は、国指定の天然記念物。その並木の北端(けやき並木北交差点付近)に、実は昔、一の鳥居が立っていた。江戸時代までは存在したそうだが、道路整備のために撤去。ちなみにケヤキ並木は、車道以外のケヤキの植え込み部分と歩道は今も境内地だという。
創建は本社と同じく1900年前! 北条政子も安産を祈願した神社
天細女命(あまのうずめのみこと)を祭神とする宮乃咩(みやのめ)神社。その存在は国府があった証と言われ、歴史ある特別な神社のため、くらやみ祭では祭りの催行を奉告する「奉幣(ほうへい)」という儀式が行われる。古くから芸能の神、安産の神として崇敬され、源頼朝の妻・北条政子も安産祈願をしたとか。安産祈願の際には底の抜けた柄杓を納める風習が今も残る。
日光の東照宮と京都の松尾神社がご近所!? 全国の有名社が集合
江戸時代以降、地元の人々の懇請により建てられたいくつもの末社。松尾神社は醸造の神様・松尾大社から寛政12年(1800)に勧請。東照宮は、徳川家康の亡骸が当地に一夜逗留した縁で元和4年(1618)に造営。他に大鷲神社や住吉神社などあり。
家康が奉納したというケヤキの大木が今も健在!
随神門から700m続くケヤキ並木は、約1000年前に源頼朝・義家が植樹したとされる。その頃の木はとうにないが、徳川家康が江戸入城の記念に奉納したと言われるケヤキが残っている。幹周6.8mの大木で、樹齢は約600年。
大イチョウに生息する蜷貝(にながい)を煎じて飲むと乳の出がよくなる
……という七不思議を持つ大國魂神社。御本殿裏の大イチョウは樹齢1000年と伝えられ、巷ではパワースポットとして人気があるそう。他に「境内の鳥類は本殿にフンを落とさない」、「境内に松の木なし」などの不思議が伝わる。
すももや栗の出店が並ぶ“おいしい”祭りも由緒あり
7月のすもも祭は、源頼義・義家が奥州平定の戦勝御礼詣りの際、すももを供えたことに由来。厄除けのからす団扇も頒布される。9月の秋季祭は通称、くり祭。江戸中期の9月(栗の季節)に太々神楽(だいだいかぐら)が生まれたことから始まった。