本堂の中に小さな図書館が

思わず引き込まれるような階段の上に、経王寺さんのご本堂が。出勤前のサラリーマンやお子さんの送迎中の人がお参りしていったり、ご近所さんがウォーキングの途中で立ち寄ったりと、気軽にお参りしていく方が多いのだそうです。

階段の下には、小さなお地蔵さまの脇に「幸せレッスン」という互井さんの日替わりメッセージが添えられています。「階段を上がれないご年配の方など、こちらのお地蔵さまにお参りしていく方も多いです」と互井さん。

ご本堂には、日蓮宗の伝統的な様式と、ユニークな試みが共存しています。写経ができるコーナーや、お参りに来た方が自由に弾けるピアノも。

そして、「文化堂図書館」と名付けられた図書閲覧・貸し出しスペースも。『SOGI(そうぎ)』という雑誌を作っていた表現文化社という会社の蔵書を譲り受けて開かれました。ターミナルケアや仏教などの宗教に関する書籍のほか、互井さんが選んだ漫画も充実しています。

互井さん:おすすめは、落語をテーマにした『あかね噺(ばなし)』。僕たちお坊さんにとっては法話の勉強にもなる作品です。お寺関係の漫画だと『阿・吽』。最澄さんと空海さんがお経で語り合う場面にはびっくりしました。ご祈祷をやっている僧侶だったらすごくよくわかる描写なんですけど、どうして漫画家さんがこの世界を理解しているんだろう!って。

大黒さまってどんな神さま?

経王寺さんを訪れたらぜひ手を合わせたいのが、ご本堂右手の大黒堂でお祀りされている大黒さまです。

 

縁日である甲子(きのえね)の日には甲子祭が開かれ、日蓮宗大荒行を成満した僧侶だけに相伝される「木剣加持祈祷(ぼっけんかじきとう)が行われます。手前のお像は、普段も拝めるお前立ちのお像です。縁日にのみ奥の厨子(ずし)の扉が開き、秘仏の大黒さまにお参りできます。度重なる火災にも焼け残り、「開運・火防大黒」として今に伝わるお像なのだとか。

縁日には「甲子御守」(予約制)が授与されます。大黒さまの眷属(けんぞく)である七母女天(しちもにょてん)という7人の神さまにならい、お守りや幣束(へいそく)の色が甲子の日を迎えるたびに変わるのだそう。2024年は閏年(うるうどし)で甲子の日が7回あるため、12月26日には特別な色の御守が登場するのだそうです!

大黒堂の中には檀家さんなどご縁のあった方が納めた大黒天像がたくさん。「お大黒さまを見ると、それをお持ちだった方を思い出すんです。なので、そう簡単にお焚き上げできなくて。なるべくここにいていただこうと思っています」と互井さん。

──大黒さまは七福神の神さまの一柱として知られていますが、お寺でもとても大事にされていますよね。あらためて、どんな神さまなのか教えていただけますでしょうか。
互井さん

お大黒さまの起源は、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身の「マハーカーラ」という破壊と再生の神さまだと言われています。ものすごく強くて、青黒い姿でドクロを首にかけているような、おどろおどろしい姿の神さまです。破壊と再生は、インドでは富の象徴とされています。川が氾濫して土が流れてくると、村は流されてしまうけれど、新しい土がやってきてそこに新しい作物が育ちます。

──ザ・日本の神さまというイメージがありましたが、元々はインドの神さまなのですね。
互井さん

マハーカーラは破壊と再生の神さまということで、戦争の守り神としても祀られるようになっていきます。戦争に勝つために兵士を養うには、たくさんのお金と食べ物が必要だということで、食料倉庫にお大黒さまが置かれるようになりました。ネズミがいる食料倉庫にはちゃんと食料があるということで、お大黒さまの眷属がネズミになります。

やがてお大黒さまが中国に入っていくと、顔が3つ、腕が6本ある三面六臂の怖い姿から、背中に福袋を担いでいる中国のおじさんの姿になります。その姿が朝鮮半島を通って日本に入ってきたんです。

互井さん:「マハーカーラ」を訳すと「大きい黒い神さま」という意味で、それを漢字に直すと「大黒天」になります。初期のお大黒さまはおじさんの姿で手に印を結んでいるだけなんですが、「だいこく」の読みが「大国主(おおくにぬし)」 に通ずるところから、大国主の烏帽(えぼし)をかぶった姿に変わっていきます。

大黒堂に置かれた打出の小槌は手に持って振ることができる。
大黒堂に置かれた打出の小槌は手に持って振ることができる。

互井さん:打出の小槌は、昔インドの怖い神さまだった頃に持っていた武器の一つなんですよ。『キングダム』にも大きなトンカチを持った武将がいますよね。その武器が転じて、宝が出てくる小槌になったんです。

互井さん:仏像って、その国の人たちが身近に感じられる姿に変化していくんですね。だからお大黒さまも、多分これが一番日本で受け入れやすい姿なのだと思います。でも、江戸時代に、このお大黒さまが七変化していくんです。それまでそんなに笑っていなかったお大黒さまが、すごく笑っているとか。よくあるのは、片足を上げて走り出そうとしている「走り大黒」ですね。文化が熟成する中で、人々が求めるものを受け入れる豊かな土壌が、七変化をしていく原動力になったようです。

宮沢賢治も魅せられた「法華経」

経王寺さんで20年以上続いている行事が「心灯会(しんとうかい)」。仏教を勉強したいという人に広く門を開いた勉強会です。さらに、日蓮宗で大切にされる「法華経」というお経を学びたい人に向けた「法華経講話」も開催されています。

──法華経というと宮沢賢治が熱心に信仰していたという話から関心を持つ方も多いのではと思います。どんなお経なのでしょうか。
互井さん

法華経は、お釈迦さまの教えをドラマチックに展開したお経なんですね。お釈迦さまが当時の弟子に説いたことは、すごく単純なことなんだと思うんですよ。生老病死という苦しみをみんな抱えているだとか、私たちは縁の中で生きているだとか。そのベーシックな教えを後の人たちが学問的に展開していく中で、「お釈迦さまの教えって単純なことを当たり前のように言っているけれど、これはすごいことなんだ」と気づきます。それを表現しようと、いろいろな経典を作って話を広げていくわけですね。

互井さん:後に、そうやって大きく話を広げる「大乗仏教」というグループと、お釈迦さまの教えを守って実践している方々とが乖離してしまいます。そこで大乗仏教側の人たちが、 「同じ仏教なのにこんなに乖離してしまうとよくないよね」と考えたんだと思うんですね。その両方を包括する大きなものを作ろうと考え、保守派の人たちの伝統的な仏教を生かしつつ、革新派の人たちの仏教と融合させて作ったのが“法華経”なんです。その両方があって初めてお釈迦さまの教えであると。

互井さん:その図式から、この地球が中心になって宇宙全体を包括しているという目線が生まれてきます。宮沢賢治は、自分が見ている世界と法華経の世界が同じものを見ているということに気がついて、法華経に惹かれたんだと思うんですよね。岩手でも、日本でも、地球でもなくて、銀河全部という目線です。

ミュージカルのような法華経の世界

──法華経のストーリーについてもぜひお聞かせください。
互井さん

冒頭の「序品(じょほん)」という章で、弥勒(みろく)菩薩や文殊(もんじゅ)菩薩が、霊鷲山(りょうじゅせん)という山でお釈迦さまが説法するという噂を聞きつけて集まってきます。それから「十大弟子」と呼ばれた舎利弗(しゃりほつ)という弟子たちや、神さま、お釈迦さまの出家前の奥さんだった人、育てのお母さんが家来を連れてやってきたりと、ものすごくたくさんの人たちが集まってくる場面です。

法華経は読めば読むほど、ミュージカルっぽいところがあるんですよね。芝居がかったようなセリフも多いんです。弥勒さんが「これから何が起こるんでしょうかね」と後ろの人たちに聞こえるように文殊さんに聞くと、文殊さんは「昔、私は同じような体験をしたことがあった。そのとき仏さまは法華経というすごい教えを説いたから、これから始まるに違いないよ」と答えます。後ろの人たちはもう耳がダンボになって「なにかすごいことが始まるらしいよ」と伝言ゲームのように後ろの人に伝えていく……そんなところから始まります。

互井さん:お釈迦さまが観音さまについて説明する「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)」という章も、このまま芝居になるんじゃないかと思うくらいです。

無尽意(むじんに)菩薩という新米の菩薩が、どうやったら自分も観音さまのようになれるのかとお釈迦さまに聞くんですね。するとお釈迦さまは、「観音さまはいろんなところで苦しんでいる人を救う修行をしてきんだよ」と答えて、無尽意菩薩は「私もそんなふうに頑張ります」と言うんですね。すると、その話を聞いていた持地(じじ)菩薩がいきなり立ち上がって、「なんて素晴らしい話なんだ」と今でいうスタンディングオベーションをするんです。

──法華経の世界に入って、一緒に拍手を送っているような気持ちになりました! ミュージカルを観ているような気持ちで読んでいくと、わかりにくい部分も少し入りやすくなりそうですね。
互井さん

自分を誰と重ね合わせて感情移入するかによって、法華経の理解がすごく変わってくると思います。

原爆投下時に広島の路面電車の車掌として働いていた少女のお芝居を手がけたご縁で、2006年に長崎の山王神社で被爆したクスノキの種から育てた苗を譲り受けた。「今後は地域の人たちと、お寺の外でいろいろやってみようかなと思っています」と互井さん。
原爆投下時に広島の路面電車の車掌として働いていた少女のお芝居を手がけたご縁で、2006年に長崎の山王神社で被爆したクスノキの種から育てた苗を譲り受けた。「今後は地域の人たちと、お寺の外でいろいろやってみようかなと思っています」と互井さん。

互井さん:「法華八講(ほっけはっこう)」というのですが、法華経を8回に分けて解説するのが、法華経を根本経典とする宗派の僧侶の目標とされることなんです。法華経をちゃんとみなさんに説くのが、お坊さんとしての最後の仕事かなと思っています。

——「法華八講」は『源氏物語』にも重要な場面として描かれているそうですね。こうして楽しく教えを説いていただけたら、一人では読むのが難しい法華経も楽しく学べそうです!

次回は、互井さんが「彼はとってもいいヤツ(親しみを込めてヤツと言わせていただきます)です。本当にいいヤツで大好きな、そして尊敬する僧侶なんです」とお話される、練馬区の妙福寺さんにお参りいたします!

住所:東京都新宿区原町1-14/アクセス:地下鉄大江戸線牛込柳町駅からすぐ

互井観章さんプロフィール

1960年(昭和35年)東京新宿に生まれる。北里大学獣医畜産学部畜産学科卒業後、アメリカの牧場で酪農に従事。帰国後、出家し僧侶となる。

「ほっと一息。ホットなお寺。」を目指し、修行会や法話会などを積極的に行う。特に仏像やお経のワークショップは人気があり、各地で法話会の講師も務め、仏教を分かりやすく伝える活動を行っている。

地域活動にも力を入れ、(一社)仏教情報センターで長年にわたりテレフォン相談員を務め、新宿区民生児童委員の活動も行っている。

NHK『落語でブッダ』など数々のTV番組に出演。「お経でラップする僧侶」として『CNN』など海外メディアでも取り上げられたこともある。ニックネームは、ハピネス観章。

 

経王寺ホームページ https://www.kyoouji.gr.jp/

経王寺Instagram https://www.instagram.com/daikokutenkyoouji/

経王寺Facebook https://www.facebook.com/kyoouji/

公式ブログ https://ameblo.jp/kyoouji/theme-10106657218.html

取材・文・撮影=増山かおり

大江戸線牛込柳町駅。神楽坂の隣に位置しているにしては知名度低めの、地味な都心スポットである。大通り沿いの飲食店や店舗はまばらなれど、はずれ宝くじ券の供養で一部に知られる宝禄稲荷神社や、世界的現代アーティスト草間彌生の美術館(要予約)の最寄り駅である。裏道に入ると味な下り坂が四方に延び、江戸以来続く神社仏閣、市ケ谷の高級住宅地ゾーン、東京女子医大の関連施設が密集していたり、気づかぬうちに曙橋の穏やかなプチ・コリアンタウンに紛れ込んでいたり(ハングルの看板がどんどん増えていく)、街の芸風がくるくる変わって楽しかったりする。
仏教の瞑想といえば坐禅が有名ですが、禅宗だけでなく、真言宗にも「阿字観(あじかん)」と呼ばれる瞑想が。今回はその阿字観を体験できる、三田の明王院(みょうおういん)さんにお参りしました。敷居を下げながら本物の仏教体験を広く伝えている、市橋杲潤(いちはしごうじゅん)さんと市橋俊水(いちはししゅんすい)さんの“プチ修行道場”へようこそ!
お寺というとお葬式や法事、あるいはご祈祷や法要などのイメージがありますが、仏教には悩める人々を救うという役割もあります。そんな仏教のスタート地点に立ち返り、人生相談を25年以上続けているお寺があります。三田にある曹洞宗のお寺、正山寺(しょうさんじ)さん。長年みなさんの悩みを聞き続けている、まさに“駆け込み寺”的存在です。相談を担当されている、ご住職の前田宥全(ゆうせん)さんにお話を伺いました!