川添 愛 Kawazoe Ai

1973年生まれ。九州大学文学部卒業、同大大学院にて博士(文学)取得。2008年、津田塾大学女性研究者支援センター特任准教授、2012年から2016年まで国立情報学研究所社会共有知研究センター特任准教授。専門は言語学、自然言語処理。著書に『白と黒のとびら——オートマトンと形式言語をめぐる冒険』(東京大学出版会、2013年)、『精霊の箱——チューリングマシンをめぐる冒険(上・下)』(東京大学出版会、2016年)、『自動人形の城——人工知能の意図理解をめぐる物語』(東京大学出版会、2017年)、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット——人工知能から考える「人と言葉」』(朝日出版社、2017年)、『コンピュータ、どうやってつくったんですか? ——はじめて学ぶ コンピュータの歴史としくみ』(東京書籍、2018年)、『数の女王』(東京書籍、2019年)、『聖者のかけら』(新潮社、2019年)、『ヒトの言葉 機械の言葉——「人工知能と話す」以前の言語学』(角川新書、2020年)、『ふだん使いの言語学——「ことばの基礎力」を鍛えるヒント』(新潮選書、2021年)、『言語学バーリ・トゥード Round 1 ——AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会、2021年)、『論理と言葉の練習ノート——日々の思考とAIをつなぐ現代の必須科目』(東京図書、2021年)、『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマ―新書、2023年)。近著に『言語学バーリ・トゥード Round 2 ——言語版SASUKEに挑む』(東京大学出版会、2024年)、ふかわりょう氏との共著『日本語界隈』(ポプラ社、2024年)。

241022-018
川添愛さんの著書一覧

暗渠に漂う、そこだけ時間の流れが違うような感じに惹かれる

——『言語学バーリ・トゥード  Round 1』 収録の「あたらしい娯楽を考える」(*1)という回で、『散歩の達人』がコロナ禍に作った特集「ご近所さんぽを楽しむ15の方法」(2020年6月号)を取り上げてくださり、ありがとうございました。

川添 いえ、こちらこそ。あの号は当時の閉塞感でいっぱいの状況のなかにあって、一筋の光明でした。あの頃は、散歩といっても同じ場所しか歩けない状況でしたが、風景の新しい見方をたくさん教えていただいてありがたかったので、その思いをこめて取り上げました。

無言板」という概念もこの号で初めて知りました。確かにちょっと探せば、“何も言ってない掲示板”ってあるな、と(笑)。面白い形の木を探す話もありましたよね。

*1 初出:『UP』(東京大学出版会、以下同)2020年10月号。

——珍樹ハントですね。

川添 それ以来、変な形の木を見ると「これはなんかに似てるな」って思ったり。旧町名も探しました。意外と表札にちらっと書いてあったりして、「あ、これ旧町名かも!」って。しびれますよね(笑)。

——本の中で「数年前から暗渠めぐりにハマっている」と書かれていましたが、そのきっかけとは……?

川添 もともとは別の雑誌の暗渠特集を読んで、すごく面白いなと思って。それで暗渠に行くようになり、さらに本田創さん、高山英男さん、吉村生さん、三土たつおさんが4人で書かれている本(*2)なども読んだりして。そういうところからですね。

*2 『言語学バーリ・トゥード  Round 1』でも紹介されている『はじめての暗渠散歩——水のない水辺をあるく』(ちくま文庫、2017年)。

——暗渠のどういうところに惹かれたのでしょうか。

川添 暗渠を歩いていると、 “今、もともと川だったところの上を歩いてるんだな”という妙な気持ちになりますし、暗渠に漂う独特のゆるい感じというか、そこだけ時間の流れが違うような感じにすごく惹かれましたね。暗渠ってよく、大きな道の1つ横とかにあったりしますけど、大通りがどんなに慌ただしくても、暗渠に入るとあんまり急いでる人がいないんですよね。脇に座ってる人もいますし、お笑い芸人の卵みたいな人たちがネタ合わせしてたり。そういうのを見て急に気持ちがリラックスするというか、そこが面白いなと思っていて。

——先ほど近所の暗渠を歩いてきたのですが、やはり脇に座っている人がいました。

川添 いますよね(笑)。柴崎友香さんの小説『寝ても覚めても』の中でいわゆる“恋愛の修羅場”があるんですが、その修羅場が起きる場所が暗渠なんです。作中では「緑道」と書かれていますが、明らかに暗渠です。

だから妙に力が抜けているというか、緊張感がないというか。暗渠と修羅場っていう取り合わせが、さすが柴崎さんだなって思ったり……。そういう思い入れが暗渠にはあります。

——暗渠のそういう部分に惹かれるということは、「そこだけ時間の流れが違うような場所」を求めているということでしょうか。

川添 そうですね。今はフリーで仕事をしてるんですけど、仕事の切れ目って、ちゃんと切らないと切れなくて。ずっと考え込んでしまってすごく疲れるので、行き詰まった時に近所を歩いたり、「ここ暗渠なんじゃないかな」ってところを見つけたり、入ったことのない角を曲がってみたり……そういう時は、すごく頭が休まります。

——「あたらしい娯楽を考える」の回では川添さんが「変な文探し」を娯楽として提案されていましたが、川添さんが普段注目している「言葉」そのものは、探さずとも“入ってきてしまう”ものでもありそうです。

川添 そうなんです。街を歩いていても、どうしても看板とか、広告とかが目に付いちゃって。言葉について考えるのは楽しいんですけど、そればっかりだと本当に疲れてしまうので、そういうのがないところに行きたい。

言語学を専門的にやってきたので、言葉を見るとなんとなく分析しちゃったり、そういう頭になってるんですよね。だから言語学者同士で集まると、「この言い回しどう思う?」とか 、そこら辺の看板の文字を見て「あれ面白いね」という会話になりがちです(笑)。

——言語学のそのような見方に、散歩の面白さと近い部分があるのではないかという気がしています。普段、近所のほかに「散歩しよう」と思ってどこかの街に出かけていくということもありますか?

川添 それもしたいんですけど、基本は近所ですね。近所なのでよく知ってるところがほとんどなんですけど、 いつもと同じ場所でも、「いつも見ている景色に似てるけど、これは本当は、今日だけの景色なんだな」ということを毎回意識するようにしてます。

自分の「無意識の知識」に思いを馳せてほしい

——『言語学バーリ・トゥード Round 1』(*3)や『ふだん使いの言語学』などで、「言語の時間的変化」「言葉の変化」——新しい表現や用法が現れることについて書かれていましたが、“変化に注目する”という点にも散歩との共通点を感じます。言葉の変化について、川添さんご自身はどう捉えていますか?

川添 私が学んできた理論言語学では、言葉が変わっていくのはすごく自然なことと捉えています。たとえ「言葉の乱れ」と言われるような変化であっても「なんでこんな風に変わったんだろう」「こんな風に変わったことで、どういう効果が出てきたんだろう」と考えますし、少なくとも学問の上では「良い・悪い」でジャッジすることはありません。できるだけ、変化の面白いところを探すような感じです。

——その変化とは、「『広辞苑』に新しい言葉が載る」みたいなことではなく、言い回しなど、いつの間にか変わっているような部分ということですね。

川添 そうです。どなたでも、世間でよく使われる単語が変わってくると、だいたい気がつきますよね。でも、そもそも人が言葉をどうやって理解しているかというのは、ほとんど意識に上りません。理論言語学では、その「無意識の知識」がどうなっているのかを調べます。人間が意図的に作るものという風に考えずに、言葉を自然現象として捉える。

——「言葉は人間が意図的に、意思をもって発するもの」というイメージだったので、「言葉が自然現象」という捉え方はとても新鮮に感じました。

川添 自分はずっとそれが普通だと思ってやってきたのですが、一般向けの本を書くようになって、 世の中の人が結構、言語を「この言い方は良いけど、この言い方は良くない」といった規範的なものとして見ているということがわかって、逆に新鮮に感じました。

*3 「違う、そうじゃない」参照(初出:『UP』2019年4月号)。この回では「外国語に堪能だと思われる」「誤用や言葉の乱れに厳しいと思われる」など、言語学者に対する世間のイメージと実際のずれが解説されている。

——『世にもあいまいなことばの秘密』でも書かれていましたが、特にSNSなどでテキストによるコミュニケーションが増えてから、その「規範的なもの」によってすれ違い生まれやすくなっている印象です。

川添 SNSを見ていると、争いがあまりにも多いですよね。もちろん、そもそもの考え方が違うから話が噛み合わないというケースもありますが、ちょっとした誤解も結構見受けられます。この人はこういうつもりで言ったのに、相手は悪い方に受け取ってしまって喧嘩になったりとか……。

言語学者から見ると「その言葉には別の解釈もあるのにな」と思うんですけど、人は最初に「こうだ」と思った解釈からなかなか抜けられないんですよね。『ふだん使いの言語学』や『世にもあいまいなことばの秘密』は、言語学者の言葉の見方を、もう少しいろんな人に知ってもらってもいいんじゃないかと思って書きました。

——本に書かれている内容はもともと知っていたような気がする、というものがほとんどなのですが、どれだけ無自覚・無意識だったのかと気づかされました。

川添 実際は、言葉を理解するのに必要な知識はすでに、皆さんの頭の中に入っているんです。でも自覚をする機会はほとんどなくて、それを意識的に取り出して使おうとすると難しい。そういった「無意識の知識」に、改めて思いを馳せていただけたらなと。

——『言語学バーリ・トゥード  Round 2』収録の「【コント】ミスリーディング・セミナー」(*4)では、「“紛らわしいタイトル”や“釣り見出し”」をテーマにされていました。少し角度が異なりますが、これも自覚することが大事だなと感じるテーマでした。

川添 あのコントは、もしも「釣り見出し」の作り方を教えるセミナーがあったら、という架空の話でしたが、犯罪の手口についての知識と同じように、「言葉を悪用する手口にもいろいろあるんだよ」ということを、たくさんの人に知ってほしいと思います。

『言語学バーリ・トゥード  Round 1』に入っている「本当は怖い『前提』の話」(*5)では、誘導尋問などで使われる「前提」の話も書きました。ああいうことをみんなが知って、いざ使われた時に「これはあれだな」と警戒できるようになってもいいのではないか、と。

——言語学の本でありながら、危険回避の指南書でもあるなと……。

川添 そんなふうに「実は言語学の話じゃん!」ということが日常にはたくさんあるのですが、学問の世界にいる時は、そんなふうに言語学の知識が役に立つとは思わなかったですね。

*4 初出:『UP』2022年10月号。「芸能人Aが大家のマンションに不法侵入」など、曖昧な表現を用いた釣り見出しの手法をコント仕立てで解説。
*5 初出:『UP』2020年4月号。

フリーになる前は、プロレスラーがうらやましかった

——言語は学問の中でも一般の人にも身近なジャンルかもしれませんが、研究者として言語学に向き合っていた頃はどんな感じだったのでしょうか。

川添 今となっては「身近だな」と思えるんですけど、研究者としてやっている時は、全くそんな風に思えなくて。 世の中の役には立たないし、同じようなことを研究している少数の人たちのコミュニティでしか評価してもらえないだろう、と思っていました。

そしてやっぱり、プレッシャーがものすごい。どの研究分野もそうですが、論文をたくさん書かないと研究者としてやっていけないし、すごく競争が激しい世界なので、ジャンルの外に対する視点を持ちづらい。外からどう見られているかを気にしている暇がないし、外に向かってどう発信するかみたいなこともあまり考える余裕がないんです。

研究者をやめて少し視野が広がって、「ああ、言語学って面白いんだな」ということが最近分かってきたので、その辺は良かったかなと。

——言語学の面白さは、散歩、ユーミンの名曲や氷室京介さんとGLAYのTERUさんのやりとり(*6)、お笑い芸人のネタやプロレスラーの名言などさまざまなものから見出せるということが『言語学バーリ・トゥード』での驚きでした。プロレスはもともと川添さんのお父さまが好きだったそうですね。ご自身はだんだん好きに……?

川添 そうですね。子供のころにお父さんに付き合ってずっと見てはいたんですけど、当時は怖いという気持ちが強くてまったく好きではなかったんです。大人になってからK-1とかPRIDEとか格闘技を見始めて、そういうところに参戦しているプロレスラーの方々を見ていて面白いなと思って。それでプロレスもだんだん見るようになり、ハマってしまって。

——プロレスのどういうところが好きですか。

川添 ええっと、難しいんですけど……(笑)。

一つには、昔からストーリーが続いてるっていうところが面白いと思います。何も知らないで見たら、単にこの人とこの人が殴り合ったり蹴ったりしてるという感じなんですけど、そこには実はストーリーがあって、この人とこの人はライバル関係で、この人はこの人の弟子で、この人の師匠の人たちは元々どこにいて……と、どんどん遡っていったら大きな歴史の中の1つの戦いだったりするんです。

そういう歴史を知ったら面白いですし、さらに生で見たら本当にすごいです。選手がマットに叩きつけられると「バンッ!」っていうものすごい音がするし、ラリアットしたら汗がブシャ!って。

——人間ってすごい、という。

川添 人間のすごさを感じますし、プロレスラーって大変な職業だと思うんですよね。でも、選手の人たちは自分が好きで好きでしょうがないものを、もう、ただ一生懸命やって生きてるって感じがして。自分がフリーになる前は、そこがすごくうらやましかったですね。私はこの人たちみたいに生きられてないな、と。

私も好きなことに魂を燃やして生きていきたい!っていう、そういう憧れはプロレスからもらっていて、それで今こういう仕事をしているんだと思います(笑)。

——「こういう仕事」をしている今は、いかがですか?

川添 研究者をやってた時よりは、今のほうが自分のやりたいことがやれてる感じはしますね。その分大変ではあるんですけど、すごく充実はしてます。

*6 ユーミンこと松任谷由実氏の名曲を分析する「恋人{は/が}サンタクロース?」(初出:『UP』2019年1月号)、氷室京介氏とTERU氏のエピソード「たったひとつの冴えたAnswer」(初出:『UP』2020年1月号)は『言語学バーリ・トゥード Round 1』収録。

2024年秋時点、人間とAIとの距離とは?

——言語学だけでなく自然言語処理(*7)、人工知能、小説までさまざまな本を書かれています。たとえばAIについては『言語学バーリ・トゥード』でも話題にされていますが(*8)、現時点(2024年秋)で、AIとそれにまつわる言語の世界を川添さんはどのようにご覧になっていますか。

川添 あくまで個人的な感想なんですけど、人工知能の研究は結構遠くに行っちゃったなあという印象を持っています。研究の規模が大きくなったぶん、Google、Amazon、Appleみたいな大企業に大量のデータとお金が集中するような感じになってしまったので。その辺は昔と変わりましたね。

一方で、言語学にはそこまで影響はないんです。でも、ChatGPTとかが出てきたことによって、前よりいろんな人が言葉に興味を持つようになって、「言語学者はどう思うの?」と聞かれることは増えました。だから、言語学の内部にいる人が専門外の人に「言語学ってこうだよ」ということを伝えるチャンスではあるのかなと思っています。

*7 コンピュータが人間の言葉を処理するための技術。
*8 『言語学バーリ・トゥード Round 1』収録「AIは『絶対に押すなよ』を理解できるか」(初出:『UP』2018年7月号)、『言語学バーリ・トゥード Round 2』収録「【創作】言語モデルに人生を狂わされた男」(初出:『UP』2023年4月号)、「話題のAIをちょっと真面目に解説してみる」(初出:『UP』2023年7月号)など。

——2017年出版の『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』では、「『大量のデータからの機械学習』という現在主流の方法の延長線上で(中略)『どのような言葉でも理解し、どのような状況や用途に対応できる機械』を作ろうとするのは、現実的ではない」と書かれていました。ChatGPTなどが浸透してきて、その点はいかがでしょうか。

川添 今でも、たった一つのAIが人間と同じように理解し、考え、どんな仕事もこなせるというふうにはなっていません。しかし、ウェブ上にある言語のデータをこれでもかと集めてAIに学習させれば結構いろんなことができるということがわかったので、そういう意味では機械に任せられる仕事の幅は広がったかな、と。

少し前までは、要約なら要約、翻訳なら翻訳で、それぞれデータを作ってAIに学習させてあげなきゃいけなかったんですけど、今はそんなことをしなくてもよくなったので、だいぶハードルは下がりましたね。でも、今のところ、「これはAIで作った文章だな」って、なんとなくわかりますよね。

——どんなところでわかるものですか。

川添 なんとなく人間味がないというか(笑)。そのうち見分けがつかなくなってくるでしょうけどね。

——人間味って、どういうものだと思われますか?

川添 難しいんですけど、人間が作ったものって、苦労した形跡みたいなのがどこかにあるんじゃないかと思うんです。途中で行き詰まったりとか、ここどうしよう? と考え込むみたいなことって、文章を書いてるときにはしょっちゅうあるじゃないですか。

書いた人が悩んだり苦しんだりした結果出てきた文章って、一見さらっと読めても、どこか「ざらついた感じ」があると思うんです。今のAIは、流暢で無難な文章を綴ってはくれるんですけど、なかなかその辺まで感じさせるのは難しいのかもしれないなと。

——苦労した形跡……再現されたらちょっと悔しいですね(笑)。

川添 世間の予測では、このままデータの量が増えたりマシンのパワーがアップしたりして、AIの性能は右肩上がりに上がるとされています。でも、本当にそうなのかは蓋を開けてみないとわからないので、今後状況がどう変わっても大丈夫なようにしておくべきかな、と思っています。

『ドラえもん』の2巻から9巻を何度も繰り返し読んでいた

——ファンタジー小説仕立ての『白と黒のとびら』『精霊の箱』『自動人形の城』など、川添さんは自然言語処理や人工知能についてフィクション作品というアプローチでも書かれています。物語は昔からお好きでしたか。

川添 子供の頃から映画を観たり本を読んだりするのが好きでした。でもまさか自分が物語を書く立場になるとは思っていなくて。フィクション作品を書いたのは、書こうとしているテーマが自分の専門だとは言えず、普通に専門書や教科書を書くのは無理だと思ったので、何か楽しく読めるような本にしたいと考えたからです。それで、物語という要素を入れたわけです。

——子供の頃に出会った物語の中で、特に印象だったものはありますか。

川添 小さい頃は、とにかくおとぎ話ですね。桃太郎とか浦島太郎とか、絵本をずっと読んでいた記憶があります。あと、小学1年生のときに、おじいちゃんとおばあちゃんに『ドラえもん』の単行本を2巻から9巻まで買ってもらったんですけど、小学校を出るまでその2巻から9巻を何度も繰り返し読んでいました。

——1巻は飛ばして。

川添 1巻はわりと大人になってから読みました(笑)。10巻以降を読んだのもわりと後からだったかな。子供の頃は新しいのを買うっていう発想がなくて、もらったのをずっと読んでましたね。

—— もっと欲しい! ではなく。

川添 そのへんは妙に引っ込み思案なところがあって。これ欲しい、これやりたい、これ読みたいみたいなことを、あんまり口に出す子供じゃなかったので。

—— 逆にそのことが血になっているな、と感じることはありますか。

川添 長い間読み継がれている昔話や優れた作品って、物語の基本というか、「こんなふうに書いたら人って先を読みたくなるんだな」とか、そういうのがちゃんとエッセンスとして入っていると思うんですよね。繰り返し読むことでそれがある程度身についていたから、何十年か経って物語が書けたのかな、と。

——『聖者のかけら』はキリスト教の聖遺物がテーマの小説ですが、どういういきさつで書かれたのでしょうか。

川添 実家が長崎なのでキリスト教が身近な存在で、昔からすごく興味がありましたし、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』が面白かったので、こういう話をいつか書きたいなと思っていました。また、中世ヨーロッパが舞台のRPGをよくやっていたので、そういう世界観にも憧れがありました。でも直接のきっかけは、ウィーンで聖遺物を見たことです。

ちょっと時間が空いたときにウィーンの大聖堂にふらっと入って、公開されている宝物庫を見ていたら、奥にもう1個部屋があって。ここも見ていいのかな? と思って係員の人に聞いたら、「見たければ見れば」みたいな感じだったので、入ってみたんですよ。そしたら、聖人の骨がいっぱい置いてあって。腕の骨とか、歯とか……。

——骨を置くための部屋……?

川添 そうなんです。箱に入った標本みたいなのもあれば、透明な筒みたいなのに腕や足の骨が入ってたり、頭蓋骨もあったり……一個一個にラベルで聖人の名前が貼ってあって、それが所狭しと並べられているんですよ。それでもう圧倒されてしまって。

骨だということよりも、米粒みたいな骨片まで保存していちいちラベルを貼るという、その執念に当てられて、ちょっと気持ち悪くなっちゃったんです。それで「聖遺物」というものに興味が出て、調べていくうちに、これは小説になるなと思って。

——言語学や人工知能とは関係なく、小説として書きたいと思ったということですよね。

川添 そうですね。言語学とか人工知能とかコンピュータとかも自分にとってはすごく大事なテーマではあるんですけど、「どんなふうに生きていったらいいのか」という広いテーマもずっと心の中にあるので。それが偶然のきっかけで出会ったものとうまく合致したというか。これも散歩の産物と言っていいかもしれない(笑)。

“いつもと同じ”に見えるところに、いろんなものが隠れている

——ここまでお話を伺って、「どんなふうに生きていったらいいのか」を考えることは、言葉について考えることとも関係がありそうという気がしました。「どんなふうに」を、川添さんご自身はどのように考えていますか。

川添 言葉にしても人生にしても、ほんのちょっとの意識の違いで大きく変わってくるものだと思うんです。たとえば、「この人にこういうアドバイスをしたい」と思っても、相手からするといらない世話だったりするじゃないですか。私もそういう失敗をたくさんしてきて、自分の心に浮かんだ言葉をなんとなく口に出すんじゃなくて、その都度きちんとチェックしないとな、とつねに反省しています。

自分の言葉を見つめるのって、その時その時はすごくエネルギーが要りますけど、毎日ちょっとずつエネルギーを使って、ちょっとずつ良くしていけば、後から見ればだいぶ変わるんじゃないかと思っています。

——そしてその作業は、完成形というか終わりがないものですね。

川添 『聖者のかけら』の中でも書きましたが、人生ってそれぞれ違うじゃないですか。誰にでも、その人にだけ出題された「人生の問題」があって、生きているうちにそれに取り組みなさいよ、ということだと思うんですよね。

どんなに嫌でも、他の誰かにかわりに解いてもらうことはできないし、そういう大切な問題って、「今、すごく我を通したいけど、それをやらずにいられるか」とか、「思い通りにならないことを、他人のせいにしないでいられるか」とか、けっこう地味で細かい判断を毎日積み重ねないと解けないようになっていると思うんです。

今、今日この日に、何をどれだけすればそっちに向かっていけるのかを考えたときに、そういう細かいところから少しずつやっていこうっていうのは、自分の中で心がけていることです。もしかしたら、そういったことが根底にあって、言葉に関する本や小説を書いたりしてるのかもしれないですね。

——“いつも見ている景色に似てるけど同じじゃない”ということも、今おっしゃっていただいたことに近い気がします。

川添 そうですね。散歩もそうですけど、人って、「どうせ、いつもと同じだ」と思うと、きちんと見ないですよね。どうしても、珍しいものに目が行ってしまうので。でも、その“いつもと同じ”に見えるところに実は結構いろんなものが隠れていて、それをどうやってきちんと見るかがすごく重要だと思うんです。

より派手なもの、より珍しいものを追いかけようとする心を、地に足のついたところに引き戻して、地味な風景の中に豊かな世界があるってことに気づいていく。それが結果的に、自分の生活をちょっとずつ楽しく、より良くしていくことにつながるのかなと思います。

——確かに、見たいものを見に行くような散歩も楽しいのですが、身近な場所で、たとえ一見どこにでもあるような住宅地でも、そこにしかないものを見つめ続けるような散歩ができたらもっと世界が広がるだろうなと考えることがあります。

川添 ハレの日とそうじゃない日の、ちょうどいいバランスを取れたらいいですよね。人生、常にハレっていうことはないですから。一日の中でも、すごく楽しみなことをやってる時間もあれば、皿洗いしたり歯磨きしたりといった地味な時間もあるので、そういう時間も含めてちょっとずつ丁寧にできるようになるといいと思っています。

人間関係も同じですよね。自分の憧れてる人や大好きな人に会いに行くのもいいですけど、普段一緒にいる家族とかお友達とかをぞんざいに扱っていないか、とか。

親しいからといって、話を聞き流したりしていないか?誰かと誰かの間に無意識に差をつけてないか?上司にはいい顔をしているけど、部下を雑に扱っていないか……。そういうのって何にでもあると思うので、普段ちゃんと意識できていないところをちゃんと見るというのは大事かなと思います。

 

取材・構成=渡邉 恵(さんたつ編集部) 撮影=鈴木愛子

散歩の達人2020年6月号「ご近所さんぽを楽しむ15の方法」。この特集で、実のところどれくらい楽しめるのか——。コロナ禍の諸事情で一時的にご近所仲間となっている編集部員、渡邉(いちおう先輩)&町田(勉強熱心な後輩)が、体験作家・闇歩きガイドのん中野純さんが提案してくれた「“ご近所闇”のあそびかた」を参考に、密を避け、撮る人・写る人というディスタンスを保ちつつ、家から完全徒歩のミッドナイトハイクに挑戦してみた。