かつては商店街だった路地
取材当日、『マルフジパン』に着いたのは朝の8時。事前にアポを取ると「午後にはパンがなくなっちゃうから」ということで、とりあえず撮影だけするために、この時間に来たのだ。
あいさつをして店に入ると、店主の矢澤平(ひとし)さんと妻のきみ子さんが、番重にパンを詰めていた。すぐ近くにある練馬区役所の売店に持っていくパンだという。平さんはその番重を三輪スクーターの後ろにくくりつけると、きみ子さんに見送られ、配達に出ていった。
『マルフジパン』があるのは、駅から離れ、戸建てやマンションが並ぶ住宅地の路地。およそ店舗があるとは思えない立地なのだが、実はこの路地、かつては商店街だったのだ。確かに『マルフジパン』ともう1軒、路地のはじに町中華の『美華』という店があり、かつての名残が感じられる。
「昔はにぎやかだったのよ。八百屋さんがあってお肉屋さんがあって、なんでもここで揃ったの。全部で12軒のお店があって、お客様もずいぶん来てくれたのよ」と、きみ子さん。
しかし、時を経てそれらの店も次々に閉店してしまい、商店街は住宅地に姿を変えてしまった。今はなかなか見かけないが、かつては駅から離れたところに、生活に必要なものを売る商店街が多くあった。あちこちにスーパーマーケットができたことで、その多くは姿を消してしまったのだが、要するにここは、そういう商店街だったのだ。
にぎやかだった商店街
『マルフジパン』は、商店街がにぎやかだった1978年に創業した。店主の矢澤平さんは、最初『木村屋總本店』で働いた後に違うベーカリーでさらに修業をして、この場所で『マルフジパン』をはじめた。
当時、平さんの姉が中村橋で「マルフジ」というベーカリーをやっていて(現在は閉店)、こちらの店を始めるときは物件探しなどいろいろと助けてくれたのだとか。
当時は近隣にスーパーマーケットもコンビニエンスストアもなかった。朝は仕事に行く人たちがお昼用に買い求め、昼は近隣の主婦たちが、土曜になると学校が休みの子供たちが大勢、買いに来てくれたそうだ。きみ子さんが当時を振り返る。
「忙しくて大変でしたよ。子供が生まれたときも保育園に預けていたんですけど、ちょっと具合が悪いと行かせられない。夫と交代でおんぶしながらお店に出て。そういうときは両親も手伝ってくれましたけど。夫とはケンカもしましたけど、なんとかやっていました」
並んでいるパンは、その頃から大きく変わらない。あんパンにカレーパンにコッペパンと食パン。サンドやドッグなどの総菜パン。生地はふかふかで優しいおいしさ。毎日食べるものだから、食べる人の健康を考えて添加物はなるべく使わないようにしているという。
中でもおすすめはレーズンがたっぷり入ったぶどうパンだが、この日は残念ながら売り切れていた。
さらに驚くのはその安さとボリュームだ。
両手におさまらないサイズのあんバターコッペが220円。ハムにチーズとゆで玉子、トマトにレタスが挟まれたロースハムフランスも260円。ホタテフライがコッペに挟まれたホタテパンは240円。こちらは2つのホタテフライの間に、玉子サラダが入る気前の良さ。2つ買ってもワンコインでおさまるのがうれしい。しかもお腹はしっかりふくれる。
世代を超えて愛されるパン屋さん
気軽に日常使いできるパン屋さん。こういうお店は近所にあると、すごく便利だ。だからこそ、ここまで長く続いてきたのだろう。
最近は、小さい頃に『マルフジ』でパンを買っていたというお客さんも来てくれるそうだ。
「おばちゃんのところで、小さいとき買っていたんだよ。まだ同じパン売っているんだねって。そういうこと言われるとうれしくて、励みになりますね。子連れの若いお母さんも来てくれて、そんなときは“子育て大変でしょ、頑張ってね”なんて、話しかけちゃうの。そういうのも、なんかうれしくてね」と、きみ子さん。
住宅地にポツンとある『マルフジパン』は、周囲こそ変われど、今もちゃんと愛されているのである。
取材・撮影・文=本橋隆司