その赤い扉は、根津の閑静な通りにある
「あっという間でしたよ」と、店主の小池一郎さん。あっという間というのは、『BIKA』を開業してからの年月のことだ。1985年にお店ができてから40年近くという老舗だが、さらりとそう話すところにベテランの矜持を感じる。
「この辺りには魚屋や肉屋、八百屋は2軒もあったのですが、だいぶなくなってしまったね。根津銀座の方はアーケードもあったんですよ」と話す小池さんは、根津生まれ・根津育ち。小池さんのお父さんは、この場所でタイル屋を営んでいたそう。
高校生の時に出会った妻・菊子さんの実家が中国料理店だったという縁もあり、小池さんも中華の道へ。『中国飯店』や『樓外樓』など上海料理の名店で15年ほどの修業期間を経て、地元・根津で『BIKA』をオープンした。
店名は、その時すでに閉店していた菊子さんの実家である信濃町の「美華」からもらった形だ。入り口の扉のガラスも、「美華」で使っていたものだという。「『美華』は両開きだったから、同じものがもう1枚あるんです」。
メニューは少し減らしてはいるものの、現在提供しているものはほとんど開業当初からあるラインナップだ。前菜から一品料理、麺類、ご飯類など数々の上海料理が揃うが、そのなかで異彩を放つのが韮菜湯麵(ニラそば)。他のメニューにも後ろ髪を引かれつつ、今回はやはり名物とも言うべきニラそばをいただくことにした。
コントラストが美しい、名物のニラそば
ニラそばが運ばれてくると、まずはその見た目にほれぼれする。スープを覆うニラは細かく均一に刻まれていて、刈り込まれたばかりの芝生のような美しさだ。真ん中に盛られた肉味噌の照り具合も食欲をそそる。また、立ちこめる湯気と一緒にふわっと鼻腔をくすぐるニラの香りも、ビジュアルに負けず劣らず鮮やかで驚かされる。
れんげでスープをすくってみると、表面を覆うニラの下には澄んだ世界が広がっていたことに気づく。鶏の旨みがしっかりと支えてくれる清湯スープ、その下から顔をのぞかせる麺はかなり細めで、ニラや肉味噌ともよく絡み、するすると箸が進む。
細かく刻んだニラは生のまま乗せているというが、スープの熱でほどよくしんなり。ニラ独特の青臭さや辛みは全く感じられず、むしろ甘みがあってまろやかで、ニラが苦手な方にもぜひ試してもらいたい食べやすさだ。その見た目からはなかなか味を想像できない一杯だが、とっても優しくてバランスのとれた繊細な味なのだ。
よそではまずお目にかかれないこのニラそば、何がルーツなのかと思えば、修業先の店のまかないを参考にしたものだという。「まかないはニラだけのときもあったし、ニラの刻み方ももっと荒かったけど」と小池さん。
また、ニラそばが有名ではあるものの、常連さんには什景湯麺(五目そば)1430円や虾仁湯麺(エビそば)1760円も人気だという。子供の頃から両親に連れられて来ていたお客さんで「自分は五目そばで育った!」と話す人も。修業した店それぞれの個性も取り入れつつアレンジして仕上げているというメニューは、確かな手腕によって生み出される堅実かつ上品な味。通えば通うほどお気に入りが増えそうだ。
遠路はるばる訪れるお客さんも
店内の内装も上品で落ち着いているが、堅苦しさは全くないことも『BIKA』が愛される理由のひとつだ。
家族で切り盛りする店内の雰囲気はいつもやわらく、注文や会計の時には楽しげな会話が聞こえてくる。忙しくないタイミングには、小池さんも厨房から出てきてお客さんに挨拶をしたり言葉を交わしたりすることがあるそうだ。メニューに載っていないものも「こんなのどう?」と作って提供することもあるとか。
そんな和気あいあいとした店だから、近所の人が気軽に利用する場面が多いのかと思えばそんなこともない。『BIKA』が紹介されたテレビ番組を見て九州からやってきた方がいたり、1万円近いフカヒレメニューをめがけて通う方がいたりする。さらに「この前は、信濃町の『美華』でバイトをしていたという方が、フランスから来てくれたんですよ!」と菊子さん。
また、高校生のときにバイトで入ってから35年以上働いているスタッフも厨房に立っていて、菊子さん曰く「この店は彼に支えられていますよ。うちの宝です」。長くこの店を愛し、支えている人の存在もまた、『BIKA』の魅力につながっているのかもしれない。
「できなくなるまで、続けたいですね」と話す小池さん。ニラそばはもちろん名物だけれど、それはあくまで『BIKA』の魅力のほんの一部。今度は、青島ビールを飲みながらこだわりの上海料理を味わってゆっくり過ごしたい……次また訪れる日を楽しみにできる、そんな店だった。
『BIKA(美華)』店舗詳細
取材・文・撮影=中村こより