そばと、旬の食材へのこだわり
『柏庵』のランチメニューには、今週のランチ1000円と蕎麦ランチ950円の2種類がある。どちらも1週間ごとにメニューが変わっていく。
今回いただいたのは、蕎麦ランチ。菜の花の天ぷらが乗るそばで、3月の旬の食材である菜の花がふんだんに使われている。
一口そばつゆをすすると、鰹の良い香りが鼻を抜ける。出汁は、毎朝、枕崎産の鰹節を削って手作りで仕込んでいる。
「毎朝鰹節を削るのは手間ではありますが、そうすると、出汁の香りが際立つんです。鰹節の香りと味だけで十分料理として完成するので、使う塩も粗塩だけです」
そう語るのはオーナーの五味敦さん。そばへのこだわりを熱心に語ってくれた。
菜の花の天ぷらもいただく。口に入れると、程よい苦味が広がる。
「料理には旬の食材を使うことを意識しています。やはり、旬のものを使うと、お客さんの反応もとても良いんですよね」
そば定食には、小さなご飯も付いている。男性だと、そばと一緒に何か食べたいという人も多い。そんな人でも満足できるように、ご飯をつけ始めた。
お客さんがどうやったら満足してくれるのかを常に考えているのが、このお店だ。
毎週変わる「今週のランチ」と「蕎麦ランチ」のメニューは、お店の人みんなの苦労の賜物
「今週のランチと蕎麦ランチは、1年でそれぞれ53週分メニューを考えないといけないので、大変なんですよね。僕自身が考えるときもあれば、従業員のアイデアで作る時もあります。その中で評判が良かったものは、次の年も出しますね」
お店のタブレットの中には、これまで提供されたランチの写真がぎっしりと収められている。これほどの種類のランチを考えてきた五味さんたちの熱量には驚かされる。
考案されたメニューには一風変わったものも。
2024年3月のランチメニューとして販売される予定のトマトつけそば1300円はその一つだ。東日本大震災での復興支援をきっかけに、福島の酒蔵や農家と懇意になったというオーナーの五味さん。
福島のトマト農家が作る“冬トマト”の味に感銘を受け、そのペーストを用いたつけそばを作ってみたところ、これが意外とそばに合う。お店で働く皆と協力して味を整えながら、メニュー化にこぎつけた。
定食もさまざまなメニューがある。例えば、私が訪れたときは本鮪丼1250円が出されていた。
「うちは、夜は居酒屋としても営業しています。そのときに仕入れた材料の余りを、昼間の定食メニューにも使っています。店をはじめた当初は、そばだけを出す店だったのですが、そのような工夫もしながら、さまざまメニューを増やしていきましたね」
さまざまな創意工夫の中で、膨大な種類のランチメニューが作られたのである。
突然飲食店のオーナーに!? 苦労して生み出したメニュー
『柏庵』ができたのは、1991年。それまでこの地には、五味さんの一族が代々営む履物屋があり、大森にいた芸者向けに商売をしていた。しかし、花柳界は徐々に斜陽化。履物屋以外の商売を営む必要が生まれた。そこで、五味さんのお父さんがこの店をそば屋に変えることを思い付き、たまたまそのときレストランでアルバイトをしていた五味さんが店のオーナーとなった。
このとき、履物屋の屋号であった「柏屋」から一字を譲り受け『柏庵』というそば屋が誕生したのだ。
かくして、いきなり飲食店のオーナーになった五味さん。
「当時は大変でしたね。もともとの履物屋の規模が大きかったから、店も大きかったのですが、僕は飲食店経営の経験がゼロ、料理の経験もほとんどない。だからお客さんからしたら、大きくて立派な店なのに、内容が伴っていないように見えてしまっていた。そこからなんとかお客さんに満足してもらえるようにと、メニューを増やしたり、日本酒にもこだわったりするようになりました」
今では人気メニューである週替わりのランチも、この試行錯誤の中から生まれたのだという。どうしたらお客さんに喜んでもらえるか−−。それは、突然オーナーになった五味さんに課されたミッションだった。
トライアンドエラーの結果、生み出された週替わりランチは現在、さまざまなお客さんに受け入れられ、リピーターも多い。
「最近では、何も言わず『週替わり定食』とだけ注文する人もいます。毎週変わるランチを楽しみに来てくれているんですよね。」
五味さんが苦労して作り上げた『柏庵』は、旬の食材と創意工夫に満ちたメニューで、地元のお客さんを今日も迎え入れている。
取材・文・撮影=谷頭和希