古都を思わせる池上の街

日蓮宗には、総本山の身延山久遠寺のほかにも、大本山と呼ばれる寺院が複数あります。そのうちの一つが、池上本門寺です。周囲には塔頭(たっちゅう)と呼ばれる寺院がたくさん集まり、一大お寺ワールドを形成しています。永寿院さんも、その塔頭の一つです。

大きな門の階段をのぼると、右手には五重塔が。まるで奈良や京都などの古都のような、景色が広がっています。それでいて、まるで公園のような親しみやすさも。人々がのんびりお散歩を楽しむ姿が見られます。
大きな門の階段をのぼると、右手には五重塔が。まるで奈良や京都などの古都のような、景色が広がっています。それでいて、まるで公園のような親しみやすさも。人々がのんびりお散歩を楽しむ姿が見られます。

その奥に立つのが、今回訪れた永寿院さんです。

2000年の時を超えて

本堂に向かって右手には、「万両塚(まんりょうづか)」と呼ばれる立派なお墓があります。

徳川家康と側室・お万の方の孫にあたる女性、芳心院が眠るお墓です。

ご住職の吉田さんが、お墓の基礎の部分に、「東照大神君令孫」の文字が彫られていることを教えてくださいました。家康とのつながりを伝える一文です。

その裏側に回ると、突然遺跡が現れました! お寺と遺跡……いったいどんなつながりがあるのでしょう?

吉田さん:2007年に芳心院さんの三百回忌を迎えるにあたり、2003年からお墓の整備を始めたところ、周りから土器などの遺物が多数発見されました。ここにかつて古墳があったという記録は以前からありましたが、調査を始めたら想像以上に遺物が出てきて、それをきっかけに、調査や復元を徹底的に行うことになりました。

そんな経緯で、5年に渡る調査や遺跡の復元を行ったのだそうです。その結果、発掘された土器は約2000年前の弥生時代のものであることが判明。建物の周囲の溝や柱の穴が、ここが住居跡であったことを伝えています。江戸時代、その住居跡に重なるようにして万両塚が築かれたため、復元された箇所は半円状になっています。

吉田さんが歩かれている場所は、石膏で型を取って樹脂モルタルで成形したレプリカです。住居跡の実物はこの真下に埋められ、保存されているそうです。保存された遺跡の真上にレプリカを重ねる構造になっているため、こうして上を自由に歩くことができます。

住居跡の外側には、遺跡の型を取るときに使った素材がベンチ代わりに置かれ、座ることができます。反転した遺跡に触れるという、なんとも不思議な体験です。

奥に歩みを進めると、発掘調査中の地層断面を見られる一角が。この地からは弥生時代の土器だけでなく、それに続く古墳時代など、さまざまな時代の遺物が発掘されています。

こちらは、古墳時代の埴輪の破片のレプリカ。

浅い層には、昭和のゴミが埋められていました。ガラス瓶や、子供の茶碗のようなものも見えます。かつてここに木造家屋があり、家の北側にゴミを埋めていたのだそうです。ちなみにその家には、『天国にいちばん近い島』で知られる作家の森村桂さんが一時期住まれていたこともあったそう。

文字通り“埋もれた歴史の発掘”というわけですね。

この先の小さな階段を登ると……

なんと、再現された古墳が現れます!「堤方権現台古墳(つつみかたごんげんだいこふん)」と呼ばれる円墳です。笹に覆われた部分が古墳のてっぺんで、見えているのは古墳のごく一部。造営された当時はこの3倍以上の面積があり、円筒埴輪に囲まれていたのだそうです。

この古墳は、さきほどの弥生時代の住居跡の土を掘って盛り上げて作られたものなのだとか。そのため、古墳の土の中には弥生時代の遺物が混じっているそうです。

こちらは、一級建築士でもある吉田さんが作られた模型。左側の四角い部分が万両塚で、右上の濃い緑色の部分が、今見ている古墳の小高い山の部分に当たります。

さらにググッと上空から引いて見たのがこちら。池上は武蔵野台地の中でも南の外れにあり、その中でもこの万両塚や古墳は崖のきわに位置しているのだとか。「崖の下から見ると、この古墳のある山そのものが巨大なお墓のように見えたでしょうね」と吉田さん。

ちなみにこの古墳は永代供養墓にもなっています。現在も受付中で、古墳で眠れるうえに、なんと家康のお孫さんのご近所にもなれてしまうチャンスがあります。歴史好きや古墳ファンにはたまらないお話ですね! ご興味のある方はぜひご相談してみてください。

万両塚周辺には、ほかにも面白い風景がいっぱい。先述の木造家屋で使っていたと思われる井戸のポンプが、モニュメントとして残されています。

遮光器土偶や踊る人々の埴輪の置き物もあり、宝探しのような楽しみも。

ちなみに、この記念碑や万両塚の石垣には、伊豆の石が使われているのだそう。「江戸城の石垣も、本門寺の石垣も、全部伊豆の石。江戸では石垣に最適な石が採れなかったこともあり、伊豆から運んできたのだそうです」と吉田さん。ゆっくりお散歩していると、万両塚周辺をお参りしているだけであっという間に1時間経ってしまいます。

万両塚の周りの落ち葉を還した土で、池上本門寺のボーイスカウトの子供たちと一緒に毎年チューリップを育てているのだそう。4月の花まつりの時期に見頃を迎え、桜とともに楽しめる。
万両塚の周りの落ち葉を還した土で、池上本門寺のボーイスカウトの子供たちと一緒に毎年チューリップを育てているのだそう。4月の花まつりの時期に見頃を迎え、桜とともに楽しめる。

本堂は歴史ミュージアム!

続いて、本堂にお参りします。

寛永7年(1631)開眼の日蓮聖人御尊像。
寛永7年(1631)開眼の日蓮聖人御尊像。
──奥の日蓮聖人像は、お布団みたいなものをかぶっていらっしゃいますね。
吉田さん

これは日蓮宗のお寺で綿帽子(わたぼうし)と呼んでいるものです。日蓮聖人が敵対勢力に襲撃された小松原法難という事件で眉間に大怪我をされたので、その傷が痛むからということで、冬になるとお帽子をかぶるんです。地域によって時期は違うのですが、永寿院では、毎年10月に行われる御会式(おえしき)が終わったらお帽子をかぶせています。

本堂の壁沿いに、青い布がかけられた一角が。これをめくると……

弥生時代の土器が現れます! さきほどの住居跡から発掘された土器の実物です。

こうして吉田さんにご案内いただきながら、手に取って見ることができます。

──土器の底に穴が空いているのはなんでしょう?
吉田さん

いくつか説があって、祭祀に使っていたとも言われていますし、下に別の土器を置いてお湯を沸かして、蒸し器として使ったとも考えられています。

吉田さん:見学に来た子供たちに紹介すると受けるのがこれなんです。手に直接持つ斧です。こうして右手で持って、ものを潰す道具として使います。

――握ってみると、手にフィットしてグリップが効きますね。弥生時代の人になったような興奮が湧き上がってきます!

──そういえば、こういった出土品の権利って、発掘された土地の持ち主に所有権があるのでしょうか。それとも自治体や国の所有物になるのでしょうか?
吉田さん

これは、拾得物。落とし物ですね。だから警察に届けなきゃいけないんです。で、持ち主が現れなかったら見つけた人のものになります。

――弥生時代の人が現れるわけがないという(笑)。永寿院さんの所有になっているから、こうして手に触れることができるんですね。

吉田さん:こちらは、古墳に埋葬された人物の副葬品のレプリカです。出土状態がとてもよくて、使っていた当時のような形で遺されていました。この白い跡は、足と腰の骨のあったところです。足元には馬具、やじり、刀、馬にくわえさせる馬銜(はみ)や飾りなどが置かれていました。十文字の金具と革のベルトで繋いでいた様子がうかがえます。

吉田さん:こちらがその実物。青銅の板に金メッキをして作られています。土から出てきた瞬間にどんどん酸化が始まってボロボロになっていくので、酸化を止める処理をしています。

――仏教が日本に伝わる前の歴史が、こうして今もお寺に伝わっているのですね。

調査の様子を伝えるパネル。この調査が始まる以前、万両塚のあたりは木が茂り鬱蒼としていたそう。三百回忌を経て、現在の明るい姿に生まれ変わった。
調査の様子を伝えるパネル。この調査が始まる以前、万両塚のあたりは木が茂り鬱蒼としていたそう。三百回忌を経て、現在の明るい姿に生まれ変わった。

「みんな仏になれる」という教え

――お万の方や芳心院さんは、日蓮宗で大切にされる法華経を篤く信仰されていたとお聞きします。法華経ってとても長いお経ですが、シンプルに言うとどんな教えなのでしょうか?

吉田さん:一言で言うのは難しいですけれど、「みんな仏になれますよ、あきらめないで頑張りましょう」ということですね。人間は、一瞬仏になったり、鬼になったりするのをぐるぐると繰り返しています。だから、常に仏さんでいられる時間を長くすることが必要なんです。

──以前、他の日蓮宗のお寺で「十界互具(じっかいごぐ)」という言葉を教えていただいたことがあるのですが、それと同じようなことでしょうか。
吉田さん

ええ。このポスターがとてもわかりやすいんです。「十界の心」と書いてあります。あの野郎、この野郎と思えば鬼にもなるし、腹が減ったで餓鬼にもなるし、私が一番大事という気持ちにもなる。生きているとどうしたってこっちの方が多くなります。みんないつも円満な仏さんではいられないんですね。

──人間はみんなこの十の心を持っているということですね。他人事だと思いたいものもありますが、正直に振り返ってみると「あのときの自分は地獄の鬼だったな」ということがいくらでも出てきますね……。仏さまの心でいるために、どんなことを心がければいいのでしょうか。
吉田さん

「南無妙法蓮華経」というお題目を唱えて、法華経の中に書いてあることを実践することです。お題目を3回唱えると怒りが収まると言われています。アンガーマネジメントでも、6秒経つと怒りがおさまると言われていますが、南無妙法蓮華経と3回唱えるとちょうど6秒くらいになります。

――「南無妙法蓮華経」はそういう意味でも理に適っているんですね!

吉田さん:自分の中にも仏がいるんだということを、一度思い出すということですね。そうしないとカッとなって手が出ちゃいますから。

――カッとなったときや、悲しくなったときでもいいのでしょうか。心の中で呪文のように唱えてみたいです。吉田さんも、普段怒りの気持ちを抱くようなことがあると心の中で唱えてらっしゃるのでしょうか。

吉田さん:いやいや、怒りを感じた瞬間に唱えられたら大したもんですよ。

――人間は怒りに飲み込まれると、たった7文字の言葉を唱えることすら難しくなってしまう。簡単なようで、実践するのはとても難しいことなのですね。

──今日は歴史さんぽを入り口に、心を穏やかに保つヒントもお聞かせいただきありがとうございます。
吉田さん

お寺には、仕事や生活に追われる時間と違う空気が流れているところがありますから。この万両塚に来て、ただ座ってもらうだけでもいいと思っています。

──こんなふうにのんびりと時を過ごせるお寺を、これからも巡ってみたく思います。
吉田さん

自死・自殺に向き合う僧侶の会で一緒に事務局長を務めている、浄土真宗延立寺の松本智量さんをご紹介しましょう。お寺は八王子にありますが、駅前に「アミダステーション」というスペースを作っていろいろな活動をされているので、そこでお話を聞いたら面白いと思いますよ。

――お寺の外に飛び出してご活動されている方なのですね。どんなお話が伺えるのか、楽しみです!

住所:東京都大田区池上1-19-10/アクセス:東急電鉄池上線池上駅から徒歩15分

吉田尚英さんプロフィール

1960年、神奈川県生まれ。1993年より永寿院第30世住職となる。法華塾運営委員、池上市民大学担任、自死・自殺に向き合う僧侶の会共同代表、寺ネット・サンガ代表、 東京都環境学習リーダー。

永寿院ホームページ http://www.eijuin.jp/

取材・文・イラスト=増山かおり 撮影=永寿院、増山かおり

2018年8月、池袋に誕生した“池袋大仏”をご存知でしょうか。多くの人でにぎわう池袋駅から徒歩5分、まさに都会のど真ん中に建つお寺、仙行寺(せんぎょうじ)さんでお会いできる大仏さまです。大仏建立の発願(ほつがん)をされたご住職の朝比奈文邃(あさひな・ぶんすい)さんは、長年池袋の街づくりに携わるお仕事もされています。さらに、本堂の隣に建つ小劇場「シアターグリーン」の代表でもあり、脚本家としてもご活躍されているそうです。今回は、そんなお寺以外のお姿を拝見しつつ、たっぷりとお話を伺いました!
今回お参りした円東寺さんは、400年超の歴史を持つ真言宗のお寺です。真言宗というと空海の超人的なイメージもあって、近寄りがたい印象を持つ方もいるのではないでしょうか。円東寺ご住職の増田俊康(ますだ・しゅんこう)さんは、そのイメージとは裏腹にとっても楽しいお方。身近な例えを交えながら、硬派な仏教のお話をたっぷりお聞かせいただきました!
今回お話をお聞きしたのは、銀行マンとして海外駐在の日々を経て、禅僧となられた藤尾聡允(ふじお・そういん)さん。ご住職を務める横須賀市の臨済宗のお寺、独園寺さんにて、誰でも参加できるオンライン坐禅会を主催されています。なかなか普段耳にすることのない坐禅のお話や、ストレスの多い日常を生き抜くヒントをお聞かせいただきました!