大きな穴子が一本ドドン!江戸時代の労働者になった気持ちでかっこむ至高の天丼
席についてからわずか5分後。筆者がお手拭きで手を拭きながら店内をきょろきょろしている間に、熱々のいせや丼が運ばれてきた。その迫力に思わず目を見開く。
大迫力の穴子一本がデデン!と丼からはみ出している。普段なら主役を張る海老たちが、可愛らしくちょこんと脇に座っている。とにかく穴子がデカい。大きいとかじゃなく、デカい。
まずはナスを食べてみる。サクサクの衣の中からなすの旨味がジュワッと広がる。サクじゅわサクじゅわの繰り返しに翻弄される。そして、蓮根。甘い。とにかく甘い。少し硬めなのが歯に心地よい。全力の蓮根がぶつかってくる。海老2匹。とにかくぷりぷりしている。小さめサイズの海老がぷりぷりしている意外性に驚いた。
そして主役、穴子。穴子にかぶりつくと、その大きさに一瞬脳がバグを起こす。普段食べないようなサイズ感。穴子のテーマパークにいると言っても過言ではない。いつまでも終わらない穴子の絨毯を食べているような感覚に陥る。そして江戸前タレの味と出汁がとにかく濃い。甘い。でも甘すぎずしょっぱすぎない。ご飯をかき込む手が止まらない。穴子を喰らう。味噌汁を飲む。お新香を食べる。また穴子を喰らう。穴子の勢いを味噌汁が景気づけ、お新香でほっと一息をつく。
気がつくとあっという間に丼いっぱいの天丼を食べ終わっていた。
おいしさの秘密は何なのか。
ナスや蓮根は『八百森のエリー』という漫画にもなっている、親戚の農家さんからの直送で新鮮なものを使用。タレは昔ながらの江戸前タレを継ぎ足している。「江戸前タレ」は江戸時代の労働者の味。とにかく濃い。出汁も濃い。通常の家庭の5倍以上の量の鰹節の大袋をあっという間に使い切ってしまうくらいだ。その濃さが身体に染み渡り、ご飯をかっこめばかっこむほど、江戸の労働者になったような気持ちになる。
一方、お新香は店主の若林さんのお母様とお姉様のこだわりで、季節によって漬ける時間を変えるそう。濃い天丼の合間にほっと一息をつける優しい味だ。
下町の人情と家族経営ならではの雰囲気の良さ。居心地が良すぎて帰りたくなくなってしまう
『蔵前いせや』は元々、土手の伊勢屋という100年以上続く老舗の名店の2代目の三男が『蔵前いせや』へと独立してできたお店らしい。若林さんは、土手の伊勢屋時代から見ると4代目である。『蔵前いせや』自体は50年ほど前にできたお店で、この店では若林さんは2代目だ。
「老舗」と聞き思わず緊張してしまう筆者だったが、若林さんも、そして『蔵前いせや』の雰囲気も、とてもオープンでフレンドリーだ。厨房からも楽しそうな話し声が聞こえ、若林さんのお話にもスタッフたちからのツッコミが入ったりする。お母さんが時々テレビに向かってツッコミを入れたりもする。その様子が微笑ましく、面白い。
「みなさん、仲良いんですね」と言うと「身内と知り合いだけでやってる店だからねぇ」と若林さん。地域密着型のお店で、特に2階の座敷は同窓会や法事などのイベントごとに使われることも多いそう。「みんなこのへんの子たちだからギリギリまで飲んでるのよ〜。6時間とか7時間とかずっとねぇ」と笑いながらみなさん話されていた。
その気持ちが、よくわかる。お店のみなさんの雰囲気の良さがお店全体の雰囲気の良さにつながっていて、なんだかついつい帰るのを忘れてしまう。実家にいる時のような不思議な居心地の良さがある。そういえば私の前にいたカップルも、なんだか帰りたくなさそうに食べ終わった後もおしゃべりしていた。初めてお店にやって来る人間をも常連のような気持ちにさせる居心地の良さなのだ。
老舗だからこその元祖「ファストフード」としての矜持
しかし、それにしても安い。ランチサービスの天丼はみんな900円。穴子1本まるまる載っている丼が1200円。少し心配になってしまうくらいの破格の価格設定だ。
いったいなぜこんなに安いのか。筆者がそう聞くと、「天丼って、昔のファストフードだから。安くて早くておいしい、を一番大事にしてるんだよね」と若林さん。
多少利益が出なくても、安い値段でおいしいものを食べてほしい。その下町ふうの粋な心意気に胸が熱くなった。
『蔵前いせや』にはもう一つ、天サンドというテイクアウトのおすすめ看板商品がある。天ぷらをサンドしたホットサンドなのだが、登録商標をとっている、ここでしか食べられない一品だ。元々はまかないだったものを商品化したものらしい。時間が経ってもおいしく食べられるような工夫がされており、イカとエビという二大巨頭の天ぷらが入っている。
すぐ近くで行われる隅田川の花火大会への持ち寄りなど、ちょっとしたイベントごとの時に買っていくと、人気者になれそうだ。事前予約が必要で、二人前から注文可能なので注意してほしい。
急ぐサラリーマン、食べ盛りの中学生、おいしいとの噂を聞きつけた若いカップル、地元の家族連れ、常連、海外からの観光客、様々な人が訪れるこの場所で、ほっと一息、家にいるような気持ちで何も考えずに天丼をかっこむことは癒やしだ。そして店主や店員のみなさんの優しさや心意気に触れれば、あっという間に日頃の疲れは吹き飛んでしまう。ぜひ一度訪れてかっこんでみてはいかがだろうか。
取材・文・撮影=HOKU