楽しくにぎやかなポップ類
『マルミヤパン店』は、亀有駅か水戸街道へと続く亀有新道沿いにある。
親しみある外観だが、店の中も楽しさにあふれている。
売られているのはアンパンやカレーパンに、サンド類など調理パンが主。
その間に置かれている手書きのポップ類が、なかなか凝っているのだ。
これを見ていると、ついついそのパンを買ってしまう。
目を引くのは、無料で配布されている、手書きのマルミヤパン通信「みやちゃんず」。
なんとカラー印刷で毎月、発行されている。
4コマ漫画やパンに合う料理のレシピなどが載っていて、そのなごやかな雰囲気は、眺めているだけで楽しい気分になってくる。
店とお客さんの親密な関係がうかがえる『マルミヤパン店』ができたのは、昭和27年(1952)。
現店主である宮地唯光さんの大叔父が青砥でやっていた「マルミヤパン店」の売店としてスタートした。
もともとは売店だった
唯光さんの父、邦彦さんは配達員として青砥店で働いていたが、パン作りを勉強して自分で店を始めることに。そのときに売店として使っていた亀有店に作業場を作り、昭和43年(1968)にこの場所でベーカリーとして再オープンした(青砥の店は現在は閉店)。
駅から離れているが、周囲には田んぼのあとに団地ができ始めていて、住民は多かった。自家製パンを売るベーカリーとしては、なかなかいい立地だったのだ。
現店主の唯光さんは、高校を卒業後に笹塚のベーカリーで8年半、働いた後、『マルミヤパン店』に戻ってきた。
以来、30年以上ここでパンを作り続けている。
店へ戻ったときにパンのラインナップは増やしたが、店自体は変わらず町のパン屋さんを継続。
昔ながらの親しみあるパンを今も作り続けているのだが、その中身は少しずつ変わってきているという。
「昔ながらの味ってよく言いますけど、昔と同じものは作っていませんよ。材料自体、どんどん変わるんで、見た目は一緒でも、中身は進化しているんです。もし昭和30年代のクオリティのパンを作ったら、誰もおいしいとは思わないですよ」(宮地唯光さん)
材料メーカーも小麦粉や種など、新しいものを次々に出してくる。その都度、唯光さんは材料を吟味しながら取り入れ、よりおいしく変えていく。
見た目こそ変わっていないが、その中身は少しずつ変わっているのだ。
理想の町のパン屋さん
お客さんもまた変わる。
町のパン屋さんというと長年の常連さんばかりのイメージがあるが『マルミヤパン店』近くにある団地は賃貸のため、住民の入れ替わりが多い。新顔のお客さんが来ることも多いのだ。また、店前の亀有新道は車通りが多いため、「気になったから入ってみた」というお客さんも来店する。こちらも変化していないようで、変化しているのだ。
ちなみに人気商品のお花サンド330円が開発されたのは、コロナ禍のとき。
朋子さんが少しでも明るい気分になれるようにとの思いを込めて作ったそうだ。
生クリームはふわり優しく、フルーツは上品な甘さで舌にスッとなじんでくる。見た目だけではない、そのおいしさにも癒やされる。
唯光さんにパン作りで心がけていることを聞くと、「材料費をケチらないこと」と即答した。ストレートな物言いに少しとまどったが、考えてみれば、それは当然だ。
シンプルな素材でできているパンだからこそ、ごまかしはできない。
「でも、あんまりお金をかけすぎると、町のパン屋さんじゃなくなっちゃうから、そこはバランスを考えつつ作ります」とも唯光さんは言う。
手頃で、なおかつおいしくて。町のパン屋さんの理想がここにある。
取材・撮影・文=本橋隆司