グッモー! 井上順です。
小田急線の参宮橋駅西口から、商店街を歩いて約2分の住宅街に『ナップフォード・ポスター・マーケット』はある。
フランス、イタリア、ドイツ、イギリス、デンマーク、ポーランド、北欧などを中心に、世界中から集められた「ポスター」の専門店だ。たかがポスターと侮るなかれ、どれもセンス抜群でとにかくかっこいい。部屋に飾れば、たちまちおしゃれな雰囲気に変えられる「インテリア」として注目されているようだ。
おしゃれでユニークな「アート作品ポスター」を楽しむ
『ナップフォード・ポスター・マーケット』では、現代アーティストの作品をもとにしたポスターのほか、美術館の展覧会などの告知のためにつくられたエキシビションポスター、エピグラム(格言詩)ポスター、バンドのギグポスターなど、さまざまな種類の輸入ポスターを扱っている。
どれもデザイン性が高く、希少なものばかり。
市場に出まわることが少なく入手困難な「年代物」のヴィンテージポスターもある。
店内でたくさんのポスターを眺めているだけでも楽しい。
たとえば店に入ってすぐに目に留まったこの一連のポスター。
現役で活躍しているイギリスのアーティスト、デヴィッド・シュリグリーのドローイング(単色の線画)作品から、各350部限定で制作されたポスターだ。
絵はかわいらしいが、書いてあるメッセージに独特のユーモアや風刺が込められているところがおもしろい。
“Please remove your brain from my jar”
直訳だと「私の瓶からあなたの脳を取り出して」だが、「あなたの古い価値観を押し付けないで」という意味かもしれないとのこと。なるほど!
こんなおしゃれでユニークなアート作品のポスターを、部屋にさりげなく飾ってみたいね。
『ナップフォード・ポスター・マーケット』のオーナー、井上兄弟とは⁉
『ナップフォード・ポスター・マーケット』を経営しているのは、井上恭太君と慶太君という実の兄弟。
実は彼ら、僕がかつて大変お世話になった「恩人」であり「盟友」でもある方の息子さんたちなのだ。
特に兄の恭太君の笑顔がお父さんにそっくりなので、すぐにわかった方も多いかもしれない。
そう、彼らのお父さんはザ・スパイダースのギタリスト、故・井上堯之さん。スパイダース解散後もギタリスト、シンガー、作曲家、音楽プロデューサーとして活躍し、偉大な業績を残した方だ。
スパイダース加入当時の僕は16歳でまだ子供みたいなものだったから、リーダーの田辺昭知さんが堯之さんにお目付け役を頼んだのだ。いつも堯之さんがそばにいてくれて、一からいろいろ教えてくれた。堯之さんはスパイダースの大久保彦左衛門で、僕が一心太助(笑)。堯之さんのおかげで僕はスパイダースで何とかやっていけたと思っている。
そんなわけで、幼い頃から知っている恭太君と慶太君がこんなに立派な店をもっているなんて、僕は嬉しくて仕方がないのだ。
恭太君は以前、新派の俳優として活躍しており、僕は舞台で共演したこともあった。
慶太君はもともとクラシックギターのギタリスト。パリに留学経験もあり、かなりの腕前だ。
2014年、日本では珍しい輸入ポスター専門店をオープン
そんな彼らが『ナップフォード・ポスター・マーケット』を始めたのは2014年。
きっかけは弟の慶太君のアイデアだったという。
「家をリフォームしたときに妻がポスターを飾りたいと言うので探したのですが、日本ではいいものが全然見つからなくて。僕は以前からデザイン会社をやっていたので、仕事で海外のウェブサイトを見ているとデザイン性の高いポスターがたくさん流通しているし、専門店も多いことがわかりました。日本でもニーズはあると感じていたので、じゃあ自分で輸入して販売しようと考えたんです」と慶太君。
兄の恭太君はちょうど役者として区切りをつけた時期で、慶太君から誘われて一緒にやることになったという。
ところで、店名の「ナップフォード」に聞き覚えはないかな?
あのイギリスのCGアニメ番組『きかんしゃトーマス』に登場する駅名が由来とのこと。ソドー島という架空の島にある一番大きな駅がナップフォード駅だ。
ちょうど店を始めるときに慶太君の上のお子さんが3歳くらいで、トーマスが大好きだったそうだ。
「その頃の思い出を大切に閉じ込めておきたかったのがひとつ。そして、『ナップフォードという街に店を出す』という感覚で、店のイメージをふくらませていきました」と慶太君。
マンションの一室でWeb通販を中心にスタートした『ナップフォード・ポスター・マーケット』は、口コミで徐々に評判を呼び、4年目の2017年6月に現在の路面店をオープンした。
日本で輸入ポスターを専門に扱う店はWeb通販のみの場合が多く、実店舗をもつショップはまだほとんどないという。
店舗の内装デザインも慶太君が手掛けたそうだ。
慶太君は音楽の才能もあるし、デザインセンスもあるなんて、その芸術的才能は堯之さん譲りだろうか。
恭太君も慶太君のセンスには一目置いているようで、
「弟自慢していいですか?(笑) ロナン&エルワン・ブルレック兄弟というフランスのプロダクトデザイナーデュオがいまして、当店ではオープン当初からロナンの作品のポスターを扱っているのですが、現在、彼らは世界で最も勢いのあるデザイナーとして有名になっています。あの才能に早くから注目していた弟のセンスはすごい」と言う。
展示会などのためにつくられた「エキシビションポスター」のおもしろさ
今は順調な『ナップフォード・ポスター・マーケット』だが、始めて1、2年は経営も厳しかったという。ポスターも全然売れず、最初は1か月の売り上げが3万円くらいのときもあった。
ふたりが「その頃を思い出す大事な一枚」というポスターを紹介してくれた。
ベネズエラ出身のヘスス・ラファエル・ソトというアーティストの展示会用告知ポスターで、スイスのベルン美術館で1968年に開催された個展のためにつくられたものだそうだ。
店を始めた当初も、このポスターを目玉として出していたという。
それが売れたあと、探していたもののなかなか見つからず、今回ようやく8年ぶりにとても良いコンディションのものが見つかって再入荷。
かなり価値が上がっていて、当時は額装込みで10万円くらいだったのが、なんと60万円以上になっているとのことだ。
こういったエキシビションポスターは、最初に紹介したアート作品ポスターよりさらに市場に出る数が少ないので、ものによってはどんどん価値も上がっていく。
安く量産できる時代だからこそ、逆に希少なものに愛着や価値を見出す人も多いのだろう。
そもそも、そういったポスターがつくられた当時は、何十年も経ってこんなふうに市場に流通するなんて予想もしなかっただろうから、何枚印刷されたのか正確な記録もほぼ残っていないという。
「大きな美術館なら多くて5000枚、小さなギャラリーで1500枚くらいだと思いますが、長年倉庫に眠っていたものが発見されたりして出てくるので、状態がいいものは本当に貴重です。それと、昔は現在のようにインターネットなどの宣伝媒体がなかったので、ポスターやチラシ、招待状といった紙媒体にエネルギーを注いでいたのでしょう。名作が多いんです」と慶太君。
また、エキシビションポスターは、開催日時や場所などの「文字」が入っているところも魅力のひとつだという。
「アーティストの作品と文字をどんなバランスで組み合わせているか。一枚のポスターに絵画、レイアウト、タイポグラフィ(文字を読みやすく美しく配列すること)など、いろいろなデザイン要素が詰まっている」と恭太君。
先ほど紹介したヘスス・ラファエル・ソトのポスターのように、文字は横に小さく最低限の情報だけ入っているだけというのもおもしろいし、かっこいいよね。
ポスターにデザインされた文字情報に縁を感じて購入される方も多いという。たしかに自分が生まれた年や誕生日の数字が入っているポスターを発見したら、なんとなく親近感を覚えて身近に飾ってみたくなるね。
以前、海外からいらっしゃったあるお客様が、たまたま壁に掛かっていたオペラのポスターを見て、「自分が関わったコンサートのポスターだ。まさか日本に来て再会できるなんて…」と感激されたこともあるそうだ。
ポスターを美しく「額装」して販売するスタイルが評判に
ポスターを仕入れる際は、作家の有名無名問わず、デザイン性の高いものを厳選しているという。
コロナ禍で直接海外に行けない期間もあったが、恭太君は昨年(2022年)、久しぶりにパリとデンマークに買い付けに行ったそうだ。
「一番の目的はデンマークのルイジアナ近代美術館とオフィシャルパートナーの契約を結ぶことでした。ショップとの契約は世界初。しかも、こちらからオファーしたわけではなく、先方からお話をいただいたんです。店を8年やってきて、ようやくひとつ形になった気がしました。立ち上げのときに、『世界一のポスター屋になろう』と弟が言っていたことを思い出します。本人は言ったことを覚えていないそうですけど(笑)」と恭太君。
店を訪れるお客様は、結婚や引っ越し、リフォームなどをきっかけに、「部屋にポスターを飾ってみたい」とやってくる方が多いという。
住環境を自分たちでアレンジして楽しむ時代、インテリアとしてのポスターの人気も高まっているようだ。
「ポスター選びって難しい」と思っている方も多いようだけど、あまり考えすぎずに自由に選んでほしいとのこと。
「僕たちは『部屋に飾ったらかっこいい』と思ったものだけを仕入れているので、自分の直感を一番大事に、自信をもって選んでほしい。好きなものを探してもらったほうが、長くつきあえると思う」と恭太君からのアドバイス。
ポスターを美しく額装して販売するというのも『ナップフォード・ポスター・マーケット』の特徴だ。せっかくのポスターを壁に画びょうで張るわけにはいかないよね。しかし、購入したポスターにぴったりのサイズや色のフレームを自分で探し、きれいに取り付けるのは大変な作業だ。
『ナップフォード・ポスター・マーケット』では、そのポスターの魅力をできる限り引き出すフレームを提案し、お客様と相談しながら決めていくという。その販売スタイルもこの店が人気を集める理由のようだ。
ポスターの価格は額装込みで5~6万円くらいのものが多いという。1万円台で購入できるものも多いので、ぜひ気軽に店を訪れてみてほしい。
穏やかな笑顔でポスターの魅力を語ってくれた恭太君と慶太君。本当にいい兄弟だなあとしみじみ思った。
しかし、若い頃は兄弟で一緒に仕事することになるとは想像もしなかったという。以前は仕事もまったく違う業界でそれぞれに忙しかったので、年に1度くらいしか会うこともなかったそうだ。
一緒に仕事をするようになってからは、自然にお互い信頼しあえる関係になり、喧嘩をすることもないという。
ふたりとも、それぞれの分野で地に足をつけて一歩一歩しっかり積み重ねてきたものがあるからこそ、今いい関係で仕事ができているのだと思う。
堯之さんは一緒にお酒を飲んだりすると、ぽろっと「恭太と慶太がね……」「俺に似ているのかなあ」なんて話をしていたことを思い出す。
堯之さんも今のふたりの姿を見て、僕より目尻を下げて喜んでいるに違いない。
撮影=阿部 了 構成=丹治亮子