まだ知られていない南インド料理の魅力
「でかっ!」
運ばれてきたドーサを見て、思わず声が出た。薄く焼き上げられた生地を円筒状に丸めてあるのだが、とにかくでかい。そして長い。どのくらいのサイズなのか測ろうとしたが、定規などがなかったため手持ちの『散歩の達人』をあてがうと、ちょうどタテ28.5㎝の2冊分。つまり57㎝ものロングサイズなのであった。
このドーサに巻かれているのは、じゃがいもや人参、ピーマンをスパイスで炒め煮したものだ。カレーリーフが涼やかに香る。ドーサを少しずつちぎって、具材と一緒に食べる。パリパリのドーサと、ねっとりしたジャガイモがよく合う。これが主にインドの南部でソウルフードのように親しまれている、マサラドーサだ。
しかし57㎝はなかなかに食べごたえがある。「味変」も必要だ。そこで活躍するのが付け合わせに出てくる3つのカトリ(小皿)。オレンジ色のものはサンバルといって、これも
南インドでは定番の酸味の効いたスープ。地域や家庭によってさまざまだが、ここでは大根や人参を具に、タマリンドやジャグリー(サトウキビから作った精製前の砂糖)で味を調えているのだとか。それに赤白ふたつ、ココナツベースとトマトベースのチャツネは、薬味のような立ち位置だろうか。これらをお好みでドーサにつけて食べるスタイルだ。
日本人には食べやすい南インドの味つけ
マサラドーサをはじめとする南インド料理は、日本人がイメージする「カレー+ナン」の世界とはだいぶ違う。辛さはあるが、油控えめであっさりしていて食べやすい。カレーもさらっとしていて野菜や魚が多い。
「それに、南インドの主食はお米なんです」
そう教えてくれたのは、店との関わりも深いインド人、ビカスさん。カレーもごはんと一緒に食べるし、実はドーサだってもとはライスなのだ。お店のシェフが解説する。
「生地は、お米の粉と、ウラドダルという豆から作っています」
イドゥリという白いふわふわのパンも、ペースト状にした米を蒸し上げたもの。やはりサンバルやチャツネにつけて食べるが、ほのかな甘さと発酵の酸味とがいい味わいだ。南インドでは朝食やおやつの定番でもある。
ドーサやイドゥリが並ぶ食卓を見ると小麦文化のように思えるが、そこには日本と同じ稲穂に支えられた食の世界がある。
さらに、こちらも南インドで人気のレモンライスも頼んでみた。バスマティライスをマスタードシードやカレーリーフ、ターメリック、それにチャナダルという豆を合わせてボイルしたもので、レモンの果汁と混ぜ合わせると、爽やかな風味だ。
こうしてスパイスをふんだんに使い、香りたっぷりに仕上げるのも南インドの特徴だそうだ。北インドはどちらかといえば肉と油とパンが強い食文化で、これまたおいしくはあるのだが、常食するにはタフな胃腸が求められる。しかし南インドの料理は優しくマイルドで、日本人の舌にはなじみやすい。
そして『ゴヴィンダス』はピュア・ベジタリアンのレストランでもある。肉はもちろん、ニンニクや玉ねぎといった刺激の強い野菜も使わない。南インドは宗教的な理由からベジタリアンのヒンドゥー教徒が多い地域だという理由もあるが、なによりレストランのすぐ隣にはお寺があるからだ。日本の寺院ではない。なんとヒンドゥー教のお寺が立っているのだ。
船堀駅前では南インド弁当も販売
「お寺ができたのは2011年のことでした」
ビカスさんは言う。彼はここハレー・クリシュナ寺院の祭司で、創始者の1人。出身は西部のプネーだ。日本語と機械工学を学んで2003年に来日した。
「日本で稼いで両親にまとまったお金を送り、自分自身はインドに帰って出家しようと思った」
決意どおりに一度は帰国して僧になったが、3年ほど経った頃、身を寄せていたお寺の人々から「日本語ができるなら、日本でお寺を開いてみてはどうか」と言われたそうだ。その言葉に動かされて再び日本に舞い戻ってきたビカスさんは、寺院の場所探しに奔走する。
「その頃、西葛西にインド人がたくさん住むようになっていたんです」
「西暦2000年になった瞬間にPCが誤動作を起こすのでは」と懸念された、いわゆる「2000年問題」解決のためにインド人IT技術者がやってきたが、彼らが集住したのが江戸川区の西葛西だった。勤務先の官公庁や大企業の多い大手町から東西線で1本という便利さと、保証人が不要で外国人でも入居しやすいUR住宅がたくさんあることが理由と言われる。
ビカスさんはその西葛西のすぐ北、船堀に手頃な物件を見つけた。ほかのインド人や地域の日本人との協力もあって、ハレー・クリシュナ寺院(イスコン・ニュー・ガヤ・ジャパン)を開基。ヒンドゥー教の神の一柱クリシュナを中心に奉じるお寺だ。さらに『ゴヴィンダス』も開店した。
「いまでは西葛西から自転車で来るインド人もいますよ。それに日本人もたくさん来てくれるようになりました」
ヒンドゥー教徒でなくても、誰でもお寺は受け入れてくれる。もちろんマナーは大切だが、見学も歓迎だ。
そのオープンさと、ビカスさんの人柄もあってか、地域に溶け込んでる様子がうかがえる。ちなみに、船堀駅前で毎週火曜昼にブースを出して売っている南インド弁当も好評だ。
「リトルインディア」というと西葛西ばかりがクローズアップされるが、船堀にもスパイスの香りが漂っているのである。
『KOR'S CAFE KEBAB』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2023年6月号より