緑あふれる「学問寺」
こちらが、2024年に創建400年を迎える高応寺。多くの学者が住職となって活躍してきた「学問寺」として知られ、寺子屋として愛されてきたお寺です。現在の三郷市早稲田小学校の前身でもあるのだとか。今も街の人々に広く開かれ、ヨガやマルシェなど、お寺に気軽に足を運べる取り組みを続けています。
取材当日はあいにくの雨でしたが、豊かな緑とゆったりした酒井さんのお話に、それを忘れてくつろぐことができました。酒井さんご自身も、お寺の緑に心震わされることが多いといいます。
酒井さん:この庭は、先代の住職である父と母が、京都を参考に作ったものです。野鳥がさえずる霊山浄土(りょうぜんじょうど)をこの庭で体現するというのが父の夢なんです。
霊山浄土とは、法華経(ほけきょう)というお経が説かれたとされている場所なのだそう。境内では4〜5種類の野鳥が見られ、シジュウカラが境内で卵を産んだりもしているそうです。「コンコンと音がして見てみると、キツツキが来ていることもあるんですよ」と酒井さん。タヌキの親子やハクビシン、ウサギなどの姿が見られることもあるのだとか。動物たちも一緒にお寺の緑を楽しんでいる姿が目に浮かびます。
高応寺の門は24時間ずっと開いていて、いつでも来たい時に訪れることができるようになっています。のれんには「ご自由にお参りください」のメッセージとともに、日蓮宗で使われる「井桁に橘」とよばれる紋章が。橘の根本の部分は1本のものと3本のものがあるといい、高応寺で使われる3本の根は、仏教の三宝である仏・法・僧(ぶっぽうそう)が根付くことを表しているのだそう。
のれんをくぐると、視界いっぱいに緑が広がります。この日迎えてくれたのは、130匹の鯉のぼり。
酒井さんは日本の四季を感じられる取り組みに力を入れているそうで、2022年からこうして鯉のぼりたちが5月の境内を泳ぐようになりました。広く放たれた門の奥から「おいで〜」と招いてくれているようで、自然と足は奥へ奥へと。
こちらは、創建の頃からお寺を見守り続けるご神木のクロマツです。青々とした初夏の境内を、力強い龍神のように駆け上っています。この境内が、秋には彼岸花で真っ赤に染まるのだそう。
池のあたりにかつてあった梵鐘は、第二次世界大戦時の金属供出でなくなってしまったそうです。その代わり、約40年前に先代が手配し京都の由緒ある寺院で録音した鐘の音が、今も境内や街に1日3回鳴り響いています。街の人々は今もその音とともに暮らしているのだそう。耳を澄ませば、鐘の音と一緒に録音されたというカラスの鳴き声が聴こえるかもしれません!
境内に流れる小川のほとりには、ホタルも自生しているのだそう。毎年6月の恒例行事になっている「ホタルの夕べ」では、境内を舞うホタルの姿やコンサートを楽しみに期間中1000人以上の人が訪れます。
※2023年は6月9日(金)、10日(土)、11日(日) に開催。https://www.machitera.net/articles/event/9246
地面には、縁あって先代が取っておいていたという都電の敷石が敷かれ、雨の日も散歩しやすくなっています。かつて銀座の街を走っていた都電の線路の面影が、四角く白い跡になって残っています。
酒井さん:この石を見ると、2年前に亡くなった祖母の話を思い出します。祖母は戦後に沖縄から出てきて、兄弟で協力しながら生きてきた人で、母を一人で育てて秋葉原デパートの店長をやるような人だったんです。その祖母の唯一の楽しみが、銀座でのウィンドウショッピング。おしゃれをして銀座を歩いていると後ろから足音でナンパされるのがわかるのよ、と話していました(笑)。ハイカラで、すごくかっこいい人でした。この線路跡を見ていると、戦後の日本で女手一つで子供を育てた女性の強さとか、銀座をそこまで発展させていった日本の強さとか、あの頃のそんな物語まで浮かぶような気がします。
続いて、本堂をご案内いただきました。ガラス戸を開けると、目の前に仏さまが。親戚の家に訪れたときのような距離の近さで、身も心も一瞬で諸仏に引き寄せられるような思いがします。たじろぐ暇もなく懐に迎え入れられ、いつの間にか掌の上に……という感じです。
ガラス戸は下半分が曇りガラスになっており、上半分は外からも仏さまが見えるようになっています。夜も明るく照らされた姿を拝むことができるのだそう。
女性がお参りしたときに、曇りガラスの上にちょうど御尊顔を拝することができるくらいの高さになっています。辛いことがあった夜にも、そっと仏さまから慰めてもらえそうです。
内陣左手には、子供を胸に抱き優しく微笑む鬼子母神(きしもじん)像が祀られています。安産・子育ての神様です。手前には4月8日の花まつりでもお目見えする誕生仏(たんじょうぶつ)と、「三郷七福神めぐり」で知られる大黒天(だいこくてん)の姿も。自然と「家族」というフレーズが浮かんでくるような、ほっとする光景です。創建以来ずっと変わらないお姿です。
日蓮宗の宗祖、日蓮聖人の像の奥には、東日本大震災時に避難民を受け入れたご縁で奉納されたという釈迦如来像が。やすりを使わず鑿(のみ)だけで仕上げる特殊な技法で作られた手はとてもつややかで、今にもこちらに差し伸べられそうなリアリティがあります。手前の日蓮聖人像は、冬には頭巾を被ったお姿になるそう。「まるで生きている日蓮聖人とお話しているようです」と酒井さん。一番奥には南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)という日蓮宗のお題目と、釈迦如来・多宝如来(たほうにょらい)の二仏が並びます。
酒井さんのお父様である先代ご住職の三友健容(みとも・けんよう)さん(立正大学名誉教授)は、ダライ・ラマ法王とも親交があり、仏舎利を贈呈されています。こちらは4月8日の花まつりの日に御開帳されます。他にもタイ・スリランカ・チベットから奉納された仏舎利が合計5つあり、世界中の仏教僧と親交があるのも学問寺ならではの宝物です。
吉祥天(きっしょうてん)像の上方にずらりと並ぶのは、鬼子母神や十羅刹女(じゅうらせつにょ)。いずれもインドの神が仏教に取り入れられたものです。手前でユーモラスな表情を見せるおじいさんの像は、壁を塗り替えるタイミングで最近新たに見つかった役行者(えんのぎょうじゃ)だそう。「このタイミングで影から現れたことには、深い仏縁があるのだと思います」と酒井さん。
内陣の向かって右手の壁には、先代ご住職夫妻の結婚記念の時計が掛けられ、コチコチとあたたかな音を立てて時を刻んでいます。耳を澄ますうちに、自然と記憶が過去にゆっくりと引き戻されていくような気がします。
お寺の緑には公園とは違う力が宿る
――お庭や本堂にお参りしているうちに、昔から知っている人にあたたかく迎え入れられたような気持ちになりました。入りやすい雰囲気だけでなく、一般の方が気軽に参加できるたくさんの取り組みがあるお寺だと伺っています。お寺になじみのない方でも参加しやすいものがありましたら教えていただけますでしょうか?
酒井さん:どれもオススメですが、まず一つはヨガでしょうか。みなさんがお寺の中でゆったりと過ごされる時間はとても気持ちよさそうですよ。
酒井さん:そもそも、この境内に入るだけで、公園とは違う緑のよさを感じることができます。大自然や公園でも緑に触れることができますが、幸せにあふれた家族がいる空間に居心地のよさを感じられないときって、人生の中でも何度かあると思うんです。お寺の緑は、お経が毎日上がっている中で育ってきた草花たちです。そのひとつひとつの緑の豊かさというのは、それだけですでに仏なんですよね。自然と涙がこぼれます。
酒井さん:仏教では山も川も草も木もみんな仏さまであると説かれていますが、このお寺の中ではそれをすぐ体感することができます。小川のせせらぎが聞こえてきて、池には鯉やチョウザメが泳いでいます。あたりまえの光景の中に、自分の心を癒やせるものってたくさんあるんですね。そういったものを感じるために訪れて、お寺の中の緑の空間に身を置くというのが、お寺で一番気軽にできることではないでしょうか。生き物が生きる様を見ているだけで心が癒やされて、また英気を養うことができる。穴場の隠れ家のような場所ですね。それが高応寺のよさです。
お寺の中に見つける自分だけの居場所
酒井さん:催しの主催は全部違う人にお任せしていて、お寺で救われた思いがある方々が講師や主催者となって、お寺にくる人を救いたいという思いで開催しています。気軽に訪れることのできる催しを数多く企画しているので、来られる時に、来たい人に来ていただけたら。ヨガに参加された方が、健診でがんの疑いがあった話をぽろりとすると、がんカフェにも参加している方がその方を誘ったり。その不安な心を落ち着かせたいという相談を受けて、写経会にお誘いしたりということもあります。写経で心が癒やされていくうちに、毎朝父が行っている坐禅に参加するようになった方もいらっしゃいます。こんなふうに、お寺という一つのサードプレイスの中に多くのサードプレイスがあるというのが、高応寺の取り組みです。
――職場とも家とも違う、もう一つの安らげる場所がいくつも用意されているんですね。
忙しいときこそ「立ち止まれる場所」を
- 酒井さん
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少し子育てが落ち着いて、振り返れる時間ができた今だからこそ、当時どれだけ大変だったかと実感できるようになりました。当事者の期間は大変さにも気づかないほどにがむしゃらに過ごしていて、誰かを傷つけたり、嫉妬したりということもありました。年齢を重ねると、自分の理想や社会の求めるものの中であがいてしまうものです。でも子育てが落ち着いた今、苦しかったのは私一人ではなかったはずだということに気づいたんですよね。もっと周りに目を配って協力できていれば、友達も家族も社会の仲間も傷つけることがなかったはずなのに。
酒井さん:そんなときにこそ、あえてお寺に足を向けて、いったん落ち着く時間を持つべきです。忙しいと、お寺に行く余裕もないんですよね。だけれども、あえてそういう自分を止まらせて、自分の心を見つめる時間を作らないと、結果みんなを傷つけてしまう。みなさんには、ぜひちょっと立ち止まって、緑を見てお参りできるお寺に行ってみてほしいです。しょっちゅう行くことはできなくても、「あのお寺がある」と思うだけでちょっと立ち止まれるんですよね。そういう場所になれたらと思います。
- 酒井さん
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そうなんです。それだけ心を失ってしまっているからこそ、いったん立ち止まって、ちょっとでも習慣の中に祈りを入れていくことが必要なのです。あそこに行けば少し落ち着ける、誰かが守ってくれている、という思い。それが切れたときにまたお参りに来る。祈るという行為はすべての人にとってとても大事なことで、それが自分に力を与えてくれるんですよね。
- 酒井さん
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成長していくなかで自立していく必要はあるけれども、自立と孤独はまた違うものなのだと思います。
自分を変えてくれる「変化の人」
- 酒井さん
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父の前の住職は血縁がないので、ご家族が庫裡(くり)に住んでいて、私たちは私が小学4年生の頃までこの本堂に住んでいました。その廊下は私の部屋で、兄と弟は隣の廊下で過ごして、法事のときには奥の部屋で静かに過ごしたり。そんな暮らしが当たり前すぎて、お寺に住んでいるっていう意識もないほどでした。
酒井さん:自分の子供が生まれた時にあらためて、こういう環境は特別で得難いものなんだと気がついて、それを母として与えたいと思うようになりました。子供たちにその背中を見せたいという思いもあり、私がこのお寺の住職となる覚悟を決めました。子供たちもお葬式のときには傍座について花を手向け、ご親族が涙を流す姿を見ています。
仏さまが私たちを変えるために現す人を、仏教では「変化(へんげ)の人」と呼ぶのですが、世の中に生きている全ての人に、何かしらの変化の人が現れるものだと思います。それが現れる瞬間に初めて自分の中で花が咲くというか、仏さまがご縁を結んだんだと自覚する瞬間があります。その人の心が揺さぶられるなにかがない限り、いいものは生まれないんですよね。
- 酒井さん
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ここぞというときに救済してくれた友人の一言はもちろん、どうにもならないような大きな出来事があって、それがどうにもならず、自分の中でずっと抱え続けているものがあったとしても、その経験があったからこそ次は過ちを犯さないようにと思えたりもします。変化の人は、反面教師も含めたものなんです。「この人が変化の人だったんだ」と気づくのはその時とは限らず、後々気づくこともたくさんあります。
- 酒井さん
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やはり、自分自身が忙しすぎては気づけないんですよね。いったんとにかく立ち止まることなのだと思います。忙しすぎると木々の緑の色にも気づかない、ってみなさん言いますね。忙しかったり悲しみが深かったりして心が病んでしまうと、誰の言葉も届かないし、どういう逃げ方をすれば次に進めるかもわからなくなってしまいます。そうなる前に、定期的に行ける場所、祈れる場所が必要です。ただ行くだけではなく、ここに行けば絶対救われると思える場所。みんなが行くからそこに行く、という観光的な意味合いではなく、自分にとってなんとなく居心地がよくって、そこに行けば自分がリセットされるという場所ですね。お寺も、その選択肢の一つとして入れていただけたらと思います。
――行きつけの赤提灯やカフェのように、そのひとつとしてお寺があることに気づくだけでも、人生を豊かに生きるヒントが見つかりそうです。
写経を通して自分が変わっていく
- 酒井さん
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写経会は、私が一対一で悩みを解きほぐして気づきを深める写経会なんです。悩み相談の延長で、最後には祈願もします。まず私がお経の説明と読経をして、そこから仏さまの前で写経をして、悩みを文章で細かくアウトプットしていただきます。
みなさんが書かれた悩みを見るだけで、本当は何を悩んでいるのかが見えてきます。「身体健全」とか「学業成就」という単語だけでなく、たとえばどこが第一志望で、どこをどう変えていきたいのか、など文章で細かく書いていただく写経会なんです。自分の心の整理を仏さまの前ですることで気づきが深まっていって、それを繰り返していくうちに自分の性格の癖が見えてくるんですね。性格の癖に気づかなかったら、その人の根本的な悩みの回路はなかなか変わりません。私はそこに修正をかける役割をしながら、導いていく役割です。
- 酒井さん
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みなさんの悩み相談をお受けするうちに、それが最も救いになる手法ではないかと気づいたんです。それまでは、私に話をされて晴れ晴れして帰っていかれても、その方のその後の生活が変わらないことがよくあったんですね。またしばらく経って、同じことでまた悩んでしまうんです。そこで私が何をお伝えしても変わらないなと思うんですよ。悩んだ時、人はつい周りを変えようとします。でも、その人自身が気づかなかったら変わらない。自分自身を変えるための気づきが大切なんです。そのために祈ること、仏様を信じる事が大事です。
酒井さん:悩みを書き終わったら、それに対して私が気づきを深める対話をして、その後におみくじを引きます。おみくじは、仏さまからのアドバイスです。不思議なことに、そのおみくじの内容には、私と対話をした内容がそのまま出ます。そこで「やっぱりそうなんだ」ともう一度気づきを深めていただきます。そして最後にもう一度みんなで祈願をします。みなさんに行っていただいた写経の紙に私が祈りをこめた言葉を添えて、それを丁寧に折った一つのお守りにして祈願をして、一カ月そのお守りと共に生活をする、という写経会なんです。
- 酒井さん
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とても人気ですよ。みなさん御利益を感じられているようです。みなさん一カ月頑張って「ただいま」ってお越しになって、そしてまた「行ってきます」という感じで帰っていかれているみたいです。回を重ねていくうちに、書かれる悩みを見ていると、その方の心が最初より整っていることもわかるんです。「整ってるね〜、もう大丈夫じゃない!」とお伝えしただけで、涙を流されたりもします。指摘をされても、素直に聞ける場所になっているのだと思います。心療内科ともまた違う、駆け込める相談所というんでしょうか。私、“高応寺の保健室”って言っているんです。
- 酒井さん
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はい。ありのままの自分を受け入れてくれる場所、誰でも心穏やかになれる場所がこの高応寺です。解決が全部できるわけではないけれど、ご自身の気づきが深まることできっと日々の生活の見え方や考え方が変わると思うんですよね。
- 酒井さん
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変えるのも自分、幸せにするのも自分。
- 酒井さん
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自分だけで頑張って抱え込むのではなく、誰かを頼ることを恥ずかしく思うことではありません。自立はしていくけれど、どこかで気持ちを開示できる場所が必要です。それをオカルト的な場ではなく、お寺の伝統の中で、古来伝わってきた写経という手法の中で、ご本人が仏さまに何を祈りたいか、深める場所なのです。高応寺と仏縁がある方は必ず救われます。
- 酒井さん
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母も私もずっとこのお寺で過ごしていく中で、みなさんのお話を聴き続け、受け止めてきています。私が受け止めたお話は、全部仏さまに届きますから。僧侶になったばかりの頃は、みなさんのお話に対してなにか答えを出さなくちゃいけないのかなとか、お坊さんとして説法して救わなくちゃ、って一人で意気込んでいたんです。でもそうではなく、フィルターや架け橋のようなイメージで、私を通した仏さまが聞いているんだな、と思うようになりました。どんな苦しみもお聞きして、どうかこの苦しみ悲しみから逃れご多幸が少しでもありますように、仏様のご加護をお届けできますようにと強く願っています。
- 酒井さん
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「池袋大仏」
で知られる仙行寺様の朝比奈住職にお願いします。 30年来の友人でいつも刺激を頂いている、素晴らしい方です。 活動も幅広く、建築や内装も必見ですよ。
――池袋で大仏にお目にかかれるのですね!
酒井菜法さんプロフィール
高応寺(埼玉県三郷市)第27世住職、認定臨床宗教師、日蓮宗相談事業協会副会長、日本育児アドバイザー、日蓮宗伝道推進委員、八芳園(東京・白金台)マインドフルネスセミナー監修。1976年、埼玉県生まれ。幼少期を米国で過ごし兄弟と共に9歳で得度。立正大学仏教学部卒業。サラリーマンの夫と 3人の子どもを持つママ僧侶。地域と連携して生老病死に寄り添う活動や緩和ケア病棟の専属宗教者として傾聴活動などを行い、地域をケアする僧侶として親しまれている。メディア出演のほか、教育や医療、企業向け講演会などでも活躍中。著書「わたしはこんなはずじゃないと思っているあなたへ」(主婦の友社)、「みんなを元気にする10人の住職」(興山舎)。
高応寺ホームページ https://kouoji.machitera.net
高応寺Facebook https://www.facebook.com/kououji?modal=admin_todo_tour
取材・文・イラスト=増山かおり 撮影=高応寺、星野洋一郎(さんたつ編集部)、増山かおり