子供の頃に味わった"お弁当"の味を再現
マレー系やインド系、先住民族など、さまざまな文化が同居する東南アジアの多民族国家マレーシア。華僑の人々も大きな存在感を持っているが、
「その中で僕は〝客家(ハッカ)〞なんです」
と『マサマサ』の店長、黄ウォン俊ジェイソン賢さん(31)は言う。客家とはおもに中国南部の広東省、福建省、江西省などに住み、漢民族の中でも独自の言語や習慣を持つ人々といわれている。
活躍の場を求めて台湾や東南アジアに移住していく客家も多く、マレーシアやシンガポール、タイなどでも大きなコミュニティーを築いてきた。
そんな客家の家庭料理を、ジェイソンさんは提供している。
「代々、家族から受け継いできた味なんです」
客家の伝統に、地元マレー系や、インド系移民のテイストも加えたメニューなのだ。
「とくに、南ナン乳ルーを使った豚の唐揚げ770円は、客家料理の代表ですね」
豆腐を塩漬けにして、さらに発酵させ、八角やシナモンなどのスパイスを加えて煮込んだ独自の調味料・南乳に、豚肉を丸一日漬け込んで唐揚げにしていて、これがなんとも深みのある味。それにフルーツ・ロジャは、パイナップルやキュウリなどの上に「ブラチャン」という海老味噌ベースのソースをかけたもの。こちらはマレー系の食文化だが、ジェイソンさんの家庭でも好んで食べられてきた。
さらに、ゆで野菜に醤油のニンニクのソースをかけたシンプルな一品もおすすめだとか。もちろんマレーシア名物の、ピーナッツソースにつけて食べる串焼き・サテ580円(2本)もある。
こんな料理が盛り付けられているのは、なんともかわいいパステルカラーの器。これ、「ティフィン」という弁当箱なのだとか。
「マレーシアでは、このティフィンにお昼ごはんを入れて、学校や職場に持っていくんです。僕も子供の頃からよく使っていたんですよ」
給食という文化のないマレーシアでは、みんなお弁当を持参するのだ。それぞれの家庭の料理と愛情を、ティフィンに詰める。それはどの民族でも変わらない、マレーシアの生活習慣だ。そしてこの弁当文化は、インドがルーツなのだという。確かにインドには「ダッバー」というティフィンによく似た形の弁当箱がある。
ランチタイムになると、家庭でつくられたばかりの料理が詰まったダッバーをオフィスに届けるサービスが知られているが、これがまず植民地時代に宗主国イギリスに伝わった。そしてイギリスから、やはり植民地だった英領マレーにもたらされ、定着して、独立後も愛用されているというわけだ。なんともグローバルな弁当箱なのだが、ジェイソンさんは『マサマサ』をオープンしたときに、このティフィンを店のシンボルにした。
マレーシアの多様な文化を日本人にも知ってほしい
「マレーシアの文化で、なにか日本の方にもなじみのあるものを紹介したいと思ったんです。いろいろ考えたのですが、お弁当が共通している。ティフィンの店を開いたら、日本人にも共感してもらえるかなと考えたんです」
マレーシア南部、ジョホール・バル出身のジェイソンさんだが、はじめは旅行会社で働くため日本に来たという。10年ほど前のことだ。日本を旅するマレーシア人を受け入れる仕事だった。
「日本にはもともと興味があったのですが、とくに食文化に関心があったんです。日本では和食の作り手を〝職人〞って言うじゃないですか。そこまで日本人が大事にしている食文化を、マレーシアの人たちにも紹介したいと思ったんですね」
そうして日本で暮らし、働くうちに、今度は逆の発想が生まれてくる。マレーシアの文化を日本に伝えられないだろうか。思いついたのは、やはり「食」だ。子供のころから料理が好きで両親をよく手伝っていた。本格的な飲食業の経験はなかったが、弁当文化という接点も見つけ、挑戦してみることにした。提供するのは、客家系マレーシア人として育った、自らの家庭の味だ。
そして店には、マレー語で「ままごと」「料理をつくる」という意味の『マサマサ』という名前をつけた。そしてていねいな調理とティフィンを使った盛り付け、おしゃれな内装で日本人にもマレーシア人にも人気となっている。
客家風ハーブお茶漬けに小さなコミュニティーを思う
もうひとつ、客家の特徴的な料理をジェイソンさんが勧めてくれた。
「擂茶(レイチャ)というんですが、お茶にペパーミントやスイートバジルなどのハーブをブレンドしているんです」
そのハーブ茶を、小松菜や干し大根、厚揚げといった野菜やナッツをトッピングしたごはんにかけて食べる。いわば「客家風お茶漬け」だ。これがなんともヘルシーで、免疫力を高めたり、美容効果があったりするともいわれる。
「客家料理は、広東あたりに比べると薄味で優しいものが多いですね」
この客家の味覚でも、さらにマレー文化の影響を受けた料理を出している店は、日本では『マサマサ』しかないのでは、とジェイソンさん。そもそも同胞の客家系マレーシア人は、
「日本に来てから、僕のほかにもうひとりしか会っていません(笑)」
と、なんとも珍しい存在のようだ。それでも評判を聞いて、客家系ではないけれど、日本に住むマレーシア人たちが各地からやってくる。
「福岡や姫路から来てくれた人もいたんです。うれしいですよね」
在日マレーシア人はこれといった集住地を持たず、分散して住んでいる。『マサマサ』も「オフィスも学校もあっていろいろな人が来てくれると思って」市ケ谷に開いたそうなので、この街にマレーシア人が多いわけではない。いわばこの店自体が、ティフィンをともに楽しむコミュニティーになっているのだ。
『マサマサ』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2022年11月号より