毎朝市場に通って仕入れる鮮魚
「三州屋」は刺し身が絶品だ。脂がのっていて、豪快な厚切り。いつ行っても、当たり前にように旨い刺し身を堪能できるうえ、一品料理も旨い。看板に「活魚 一品料理」と書かれているのも自信の表れか。長年築地にあった魚市場が、豊洲に移って早1年、今でも毎朝市場に通っているのかと店主に聞くと「そこしかないから、しょうがないでしょ」と返ってきた。
店主の岡田正之さんは昭和10年(1935)生まれ。神田にあった「神田 三州屋」で料理の修業をし、昭和43年(1968)に現在地に自分の店をオープンさせた。当時の銀座1〜2丁目は今のような賑わいはなく、銀座の中心地である4~6丁目に比べると、ずっと静かだったという。
当時のお客さんは、都庁の職員や近隣のサラリーマン。東京都庁の庁舎は、平成3年に新宿に移転するまで丸の内3丁目の現在の東京国際フォーラムあたりにあった。さらにマロニエゲート銀座(旧・プランタン銀座)付近には、読売新聞の本社もあった。大手建設会社の社屋などもあり、店にはそうしたお客さんからの宴会の予約が絶えなかったそう。
料理が旨いのはもちろん、三州屋にはこうしたお客さんに人気の秘密がもう一つある。それは11時30分のオープンから22時のクローズ時間まで休憩時間がないこと。いわゆる「アイドルタイム」がないので、遅めのランチもできるし、昼の時間帯からでも酒が飲める。
「都庁の職員さんは夕方5時の定時上がりで早いでしょ。新聞屋さん(記者)は、それこそ昼夜通して24時間働いている人もいるから、早い時間帯にあがって、飲んで帰りたい人もいる。だからここに来るんだよね」と岡田さん。「それに昔の人は『あいつ、昼間っから飲んでるよ!』と人に見られるのを嫌うから、大通りに面してない、この店が都合良かったんじゃないの」とも。スーツを着て深夜まで働くことが当たり前な昭和の時代。そんな紳士達の、奥ゆかしさを感じさせるエピソードだ。
遅めのランチでも、早めの晩酌でも
そうこうしているうちに14時30分、店内には再び客が増えてきた。1階席をぐるりと見回すと、分厚い6人掛けの白木のテーブルが6卓。当然のように相席だ。7席のカウンター席もあり、2階には座敷席もある。同席した客の会話が丸聞こえの中で周りを見渡すと、客層もさまざまだ。ビール片手にすでに出来上がっている年配客から、20代の学生のような男女、中年女性の一人客などが、遅めの昼食や早めの晩酌をそれぞれに楽しんでいる。メニューはないので、壁にずらりと貼られているお品書きと、カウンター側の壁にあるホワイトボードから料理を選ぶ方式だ。
ランチの刺身盛り合わせ定食は1100円。厚切りの旬の刺し身3種と、ごはん、味噌汁、お新香がつく。もっと鮮魚を味わいたいなら海鮮丼定食もおすすめだ。マグロ、ホタテ、イクラ、エビなど8種類以上の刺し身がのった丼はボリュームたっぷり。ごはんは酢飯ではなく暖かい白飯だ。これにも味噌汁と浅漬けが付く。味噌汁は赤だしですっきりとした後味だ。銀座というロケーションと、ネタの鮮度、そしてボリュームを考えると、これほどコストパフォーマンスの良いランチはないと思う。
懐に余裕があるなら牡蠣フライ定食1350円を注文して欲しい。粗めの衣に包まれた牡蠣フライが5個とキャベツの千切り、キュウリとトマトの昔ながらのマヨネーズサラダが同じ皿にのっている。牡蠣フライにはレモンを搾って、辛子とソースを少しつけるだけで、ジューシーな旨みが口いっぱいに広がり、丼に盛られたごはんが進む。
人気メニュー・鶏豆腐は欠かせない
さっぱりとした味を楽しみたいなら鶏豆腐480円を。鶏の水炊きのような料理で、鶏もも肉と豆腐、春菊を煮込み、ネギを加えたポン酢醤油につけていただく。鶏から出たスープがたまらなくおいしい。『三州屋』といえば刺し身の次にこれを挙げる常連客も多い人気メニューだ。追加の注文はこちらから積極的に。チェーン店の居酒屋のようなマニュアル通りの接客はないので、最初は素っ気なく感じてしまうが、すぐにこの雰囲気に慣れてしまう。中には20年以上勤務するベテランスタッフもいるそうだ。
時間は16時。すっかり飲み客がひしめく時間帯になった。引き戸を開けて外に出て、路地から通りに出ると、また銀座のすました街並みに戻る。無骨な昭和の時代から一気に令和の現代へ、細くて短い路地はそんなタイムスリップ気分を味わせてくれる。
取材・文・撮影=新井鏡子