大正から続くこだわりがつまったとんかつの名店
地下鉄新宿三丁目駅を出て徒歩2分。商業ビルの間の路地に入ると、本日の目的の店『王ろじ』がある。伊勢丹新宿店の裏あたり、ビルに囲まれた一軒家だ。店に入るとスタッフが明るい声で迎えてくれる。店内はカウンター席とテーブル席。こぢんまりとしていて気取らない居心地の良さを感じる店内だ。
創業は大正10年(1921)。丸の内にあった洋食店「中央亭」で修業した初代店主が神楽坂で『王ろじ』を開業した。終戦直後の昭和21年に現在の店舗がある新宿へ移転。まわりはビルばかりのこの場所に一軒家が立っているのは意外な感じだが、「もともとは何もなかった場所に、あとからビルができたんだ。こっちが先」と笑って話すのは現在の店主の来住野正明(きすのまさあき)さん。ずっと新宿の町に住み、町の変化を見続けている。
お店に伺ったのは昼のラストオーダー近い2時すぎなのに、6つあるテーブル席はほとんど埋まっていた。SNSなどで噂を聞きつけて海外から訪れる客も少なくないそう。まわりで増え続けるチェーン店に負けず、多くの客に支えられている。
店名の『王ろじ』とは、来住野さんの父親である初代店主が「遊び心いっぱいの負けず嫌いで、なんでも一番を取りたがる人だったんですよ。だから路地で一番のお店という意味」だそう。
長年愛され続けるこだわりのつまったとん丼をいただく
さっそく名物料理のとん丼1200円を注文する。とん丼とは、『王ろじ』特製カツカレーのこと。来店するお客さんの多くが注文するという。揚げるのに13分ほどかかるとのことだが、もちろん待ちます、何分でも!
老舗のカツカレーに期待しながら待っている間に、王ろじ漬が出される。大根と人参、ピーマンの漬物で、ほんのりとした酸味がカレーにあいそうな味だ。
しばし待つと、揚げたてのとん丼が到着。まず、驚いたのが、お皿の上に丼がくっつき一体化している不思議な器だ。なぜくっついているのか理由がわからなかったが、器の謎解きはあとにすることにして、とん丼があつあつのうちにいただくことにする。
ご飯の上には、カットされたとんかつが3切れ。大きめのとんかつは圧倒的な存在感で、主役はとんかつだと主張しているよう。ソースがかかっているとんかつを一口いただくと、衣のさくさく食感と柔らかい豚肉の味わいが口の中に広がる。ロースなのに脂っぽさが少なく、カレーと合わせても食べやすい絶妙のバランス。
「とんかつに使っているロースは、脂身を丁寧に取り除いていますが、すべてを取るわけではなく、微妙な味わいが残るようにしているんです。叩いて薄くしてから揚げます」と来住野さん。手間のかかる作業だが、決して手を抜かない。先代からの調理法を守り続けることがこだわりだ。
カレーは本格的なビーフカレー。一口目はやや苦味を感じ、食べ続けるうちに深い味わいに引き込まれる。本格フレンチで修業した初代店主のレシピがそのまま受け継がれているそう。
「牛肉ベースのカレーです。当時は今のようにスパイスが簡単に手に入らなかったため、代わりに焼きりんごを加えています。手間かかりますが、焼きりんごにすることで、スパイスのような香ばしさを加えることができるんです」と来住野さんが老舗のこだわりの一端を教えてくれる。スパイス感はあるが、とんがったスパイシーさとは違った味わいは、このこだわりによるものだと納得。
ご飯もボリュームがあり、最後までとんかつとカレーをおいしくいただくことができた。老舗のこだわりのつまったとん丼、大満足でした。
店主のこだわりと遊び心も楽しめる名店
お皿と丼が一体化した器について聞いてみると、「このようにした理由はわからないんですよ。洗いにくいし、特注品のため値段も高い。おそらく“面白いから”ということだと思いますが」と来住野さん。これも初代店主の遊び心。
もう1つがのれんの文字。豚の後ろ姿としっぽをイメージしてデザインしたそう。たしかにユーモラスな書体だが、これで“とんかつ”と読める人がどれだけいるか不明だ。これも初代店主の遊び心。
『王ろじ』のもう1つの人気メニューがとん汁。とん汁は注文を受けて、ベーコンを炒めるところから一杯ずつ作る。まとめて作ったものを温め直して出すということはしない。これも手間のかかる作業だが、とん汁一杯でも、決して手を抜かない。
とん丼ととん汁は、ぜひともセットで注文したい。次回来たときは必ずとん汁もいただくと心に誓った。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=羽牟克郎