おまかせ定食の刺し身のクオリティに驚く
個性的な店があっちからもこっちからも手招きしているような戸越銀座。そんななかで『酒味処 みやこや』は、うっかりよそ見をしていると通り過ぎてしまいそうになるほどさりげない店構え。
派手さはないけれど、年月を経たのれん、掃き清められた店先に植木鉢が並んでいるのが下町っぽくて、商店街にしっかり根を下ろしているたたずまいに心惹かれる。
訪れたのはお昼時。店頭のホワイトボードを眺めると、おまかせ定食にはすべて刺し身がついている。ほかも、サバにしまほっけ、煮魚、ギンダラ、紅鮭……。なるほど、この品ぞろえなら魚がおいしい店に違いない。
目移りするけれど、おまかせ定食は店の看板メニューのはず。今日は、とことん魚と決めて、おまかせ定食(B)1050円にした。
お茶をすすりながらのんびり待っていると、来た来た。ご飯に味噌汁、刺し身、鮭正油焼き、卵焼き、小鉢の和え物、ポテトサラダ、漬物と、予想以上の品数だ。
でも、本当に驚いたのは、食べてみてからだった。まずはメインの刺し身。一番手前の白身にわさびを乗せ、しょうゆをつけて食べたら、なんとヒラメだった。その後ろには真鯛、そしてマグロは中トロが2切れ(魚の種類は日によって変わります)。
しかも、ここしばらく口にしたことがないほどの美味。おおっ、昼間っからなんて贅沢な。
作り手の人柄が伝わる小さなおかず
鮭正油焼きは、今どきの油っぽい焼き鮭とは全く違う。しょうゆで味をつけるというよりも、雑味を取って香りを添える、そのひと手間で、グッと味わい深くなっている。
ほんのり甘くてやさしい味の玉子焼き。小鉢の和え物は、菜の花のごま和えだった。ポテトサラダも、これは手作りに違いない。
食べ終わって思い返すと、赤いマグロと鮭、白いヒラメと真鯛とポテトサラダ、黄色い玉子焼き、緑の和え物と漬物。そういえば、子供のころ、いろんな色のものを食べると元気になるからね、といわれたなぁ。
なんとなく、作り手の人柄や思いが伝わってくるような、お昼ご飯だった。
開店は1994年5月12日。「ここはもともと女房の実家で、以前は下駄屋でした。私が独立するときに、ここを借りて始めたのです」というご主人の森岡正行さん。おかみさんの紀栄さんが、ベテランのスタッフとともに店を切り盛りしている。
魚は毎朝、豊洲で仕入れてくる。「仕入れるのは、その日に使うものだけ」とご主人。アジフライにも刺し身用のアジを使う。方々食べ歩いている某脚本家もファンの1人で、「アジフライは『みやこや』が一番」と太鼓判を押している。
「この人の仕入れる魚は、顔がかわいいのよ。カツオの顔は、普通はつんとしているけれど、この人が選ぶのはコロンとして目がぱっちりしている」と、おかみさんがいえば、「脂がのっている魚は、そういう顔になるんだ」と、うれしそうにご主人が微笑む。
素材のよさはもちろん、包丁の冴えも味を大きく左右するもの。惚れ惚れするような真鯛の刺し身は、食べる前からおいしいと確信する美しさだった。
ご飯がまた、魚とよく合うあっさりとした味だった。「ミルキークイーンが入っているの。安心して注文できるお米屋さんが茨城にあって、店を始めたころからの付き合い。季節になると、レンコンやイモも送ってくれたりしてね、お互いにありがとうございますっていっているのよ」とおかみさん。
「ただいま」と毎日通う常連も
実直で丁寧な手作りの味は、昼も夜も戸越界隈の幅広い世代に愛され、毎日通う常連は1人や2人ではない。
「『ただいま』って毎日来るからね。こっちも『お帰り』って。『あんた、うちの子?』って言っちゃう。20~30代で一人暮らしの子も多いのよ。うちの子より、ずいぶん若いけれど」と笑うおかみさん。飾らない口調に面倒見のよさがにじむ。
「みんなマイペースでね、ときどきメニューにないものを注文するし、出張先のお土産をほかのお客さんにまで配ることも。でもね、忙しくなると厨房に入ってお皿を洗ったり、料理を運んだり、ついでに注文まで取ってくる子もいるのよ」と聞いて、令和の時代にそんな関係が残っているのかと驚かされる。
常連さんにとって、この店はもうひとつの我が家、おかみさんは戸越銀座のお母さんなんだなとしみじみ思う。
うれしいことに、お昼の定食は夜も注文できるという。さらに、夜限定や季節のメニューも魅力的。
「これからは、サクラマスのバター焼きや、焼き筍、山菜がおいしい季節。海老しんじょを桜の葉で包んで揚げたのも、桜餅のような香りがしてね」とご主人。自家製味噌に漬けてオーブンで焼く豚バラみそ焼きも、ビールによく合う人気メニューだ。
お腹も心も幸せに満たしてくれる『酒味処 みやこや』。他愛もない話をしながら、その日のおすすめを食べているうちに、明日もまたがんばろうという気持ちになる。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=松本美和