亀ヶ谷坂切通し
亀も引き返す急坂といわれるが !?
別名が亀返坂。亀も引き返したというほどの急坂だったようだが、今は歩きやすい緩やかな坂だ。仁治元年(1240)に北条泰時が造ったとされるが、本当のところは不明。鎌倉後期、1300年代前期にはここに道があったことは確かなようだ。道は舗装されているが、現在、車は通行止めなので歩くにはいいところだ。
大仏切通し
切り通し本来の醍醐味を味わえる
鎌倉から藤沢方面に抜ける切通し。道の真ん中に巨石があることや、両側にある岩壁の様子は、七口の中でも見ごたえのあるものだが、この様相が鎌倉時代からあったものかどうかは不明だ。明治12年(1879)に9mほど道を掘り下げて人力車を通したという記述もあるので、今よりも道は上にあったということか。
化粧坂切通し
七口一番の急勾配の坂がある
仮粧坂とも書く切通し。鎌倉幕府滅亡前、元弘元年(1331)の元弘の乱でとらえられ、首を切られた日野俊基の墓が近くにあるが、実はこの化粧坂で首を切られたようだ。この化粧坂はどうも鎌倉の内と外の境界だったらしい。切通しには岩壁はないが、道には岩が露出していて勾配は七口でも一番急かもしれない。特に七曲りの坂は急だ。
朝夷奈切通し
切通しの雰囲気がよく残る古道
朝比奈切通しとも表記する。頼朝時代、朝夷奈三郎義秀が一夜で切通しを開削したことからこの名がついたようだ。七口でも道の長さ、景観とも素晴らしい。この道は1956年に県道が開通するまでは現役の道だった。おそらく道幅が広いのもそのせいだろう。
名越切通し
防御機能がよく考えられた切通し
名越切通しは、鎌倉から三浦へ通じていた要路。横須賀線が開通する明治22年(1889)までは幹線道路として利用されていた。道の途中には防御のためか大きな置き石と呼ばれる岩が置かれている。七口の中でも一番防御を念頭に置いた切通しのように思われる。上は第一切通しで敵を討つための平場が残る。
巨福呂坂切通し
切通しを掘り下げて車道になった
現在は巨福呂坂洞門となった切通し。車道として残っている。また、鶴岡八幡宮から切り通し方面に向かい、途中から左に折れて行くと民家に突き当たるが、そこが元々のルートで、ちょうど洞門の上部近くまで行ける。
極楽寺坂切通し
切通しの雰囲気は感じられない
極楽寺から由比ガ浜へ抜ける切通しで、七口の中でも切通しの雰囲気が一番薄い道。巨福呂坂切通しと同様、現在は車道のために元の道をかなり掘り下げている。元は切通しの上にある成就院脇の道と同じ高さにあったといわれる。
取材・撮影・文=清野明