開高 健(1930~1989)
作家。サントリー宣伝部勤務後、コピーライターとしての活躍を経て1957年に『裸の王様』で芥川賞受賞。行動派作家として、ベトナム戦争の従軍体験記や釣り紀行をはじめ、ルポやエッセイを多数執筆。美食家としても知られている。
書斎を構え、居を移したのは、1974年。44歳の時だ。「執筆に専念できる場所を探していらして、茅ケ崎在住だった壽屋(サントリーの前身)時代の上司、山崎隆夫さんの紹介でここに」と、開高健記念会の森敬子さん。
市立図書館で当時の住宅地図を見ると、山崎邸から南東すぐの場所に空き地があり、後に「開高健」の名を確認。周辺の地図記号は針葉樹林だらけで、鬱蒼(うっそう)とした森みたいなところに家を建てたのだと想像できる。
森さんによる開高さんの印象は、「とても几帳面(きちょうめん)で探究心が強く、食べること飲むこと、すべてにおいて真正面から向き合う、生活を楽しむ人。私たち編集者にとっては怖い存在ですが、接する人によって開高像が全然違って、作品同様、多面性を感じます」。
ダンディーな姿が生き生き浮かぶ
怖い印象は街でも聞いた。『江戸久』の戸井田佳子さんは、「ガタイが大きくておっかなそうな人」。『香川屋分店』の亀井よ弥(ね)子さんも、「初めは怖そうな人だなあと」。でも、すぐに印象はころっと変わる。「いつもニコニコして気さくで気軽に話ができました。配達に行った時も『まあ、上がれや』と、海外の珍しいものをあれこれ見せてくださいました」と亀井さん。ふっと懐に飛び込んでくる人懐っこい感じは酒屋『つちや商店』の土屋澄子さんも感じていた。「立ち寄っては、『一緒にラーメン食べに行こうよ』と、3軒先のお店によく誘われました」。
んんん? 開高さんは年下の看板娘には特にフレンドリーだった様子。女性軍のハートにはおしゃれで紳士的な姿が刻まれていて、色あせていない!
健康のために通った水泳教室の林夫妻とは、プールを離れても深く交流した。優子さんはこんな言葉を覚えている。「ボジョレー・ヌーボーのパーティーに誘ってもらった時、『妻でも母でもなく、女としておめかしして来てね』って」。一方、正則さんは時折、「林くん、暇?」と電話で仕事部屋へ呼び出され、『すし善』で出前を取りウイスキーを飲んだ。1瓶空いた頃、「よし、浮かんだ」と机に向かい書き始める様子を覚えている。
「日々の暮らしは、本を書く素材。素材を得るために生きていると思ったほどです」 。正則さんの見解は、とても深い。
なじみある人に著書や色紙、写真を贈っている開高さん。足跡が生き生きとしているのはこの町と人を愛し、生活を存分に楽しんでいたから。生きていたら91歳。ラチエン通りを歩く姿が浮かぶ。
開高健記念館
海近くの邸宅で、人となりに触れる
玄関から仕事場まで直接行ける、庭の小径を進むと、白いガーデンテーブルや野外料理を楽しめる窯が。ここで暮らしを謳歌(おうか)しようとした様子が伝わってくる。西向きに窓があるおこもり感漂う仕事場、愛用品が展示されるリビングには、いまだ主の気配が満ちている。
【COURSE1】水泳教室を頑張るとある日
肉の老舗 香川屋分店
通る度ひょいとにこにこ顔出す
「『今日はどうだー?』って、入ってくるんです」と、店主の亀井よ弥子さん。お目当てはコロッケかメンチかシュウマイだが、買わずに立ち寄るだけの日も。「喋(しゃべ)り方がやわらかくて、ある時、『シュウマイにショウガ入れたら』と教わったんです」。今も、ショウガ入りの開高流で作る。
『肉の老舗 香川屋分店』店舗詳細
そば処 江戸久
堂々とこっそり、持ち込み堪能
「プール前の腹ごしらえでもりそばを食べて行かれました」と、店主・戸井田剛さん。ある日、妻・佳子さんが、買ってきた揚げ物の袋を机上に目撃。気を回して「ソースご入用ですか?」と声をかけた。以来、もりそば前に皿とソースを運ぶのが恒例になった。
『そば処 江戸久』店舗詳細
林水泳教室
泳げる喜びを満喫した25mプール
泳げなかった開高さんだが、週2回の練習で3000mの目標を達成。「真面目で努力家。優秀な生徒でした」と、指導した林正則さんが自慢する。妻・優子さんと共に親交を深め、館内には『オーパ!』の原寸大の写真を展示。教室の子供たちのためにと、開高さんが自ら設置。
【COURSE 2】 なじみの店でおしゃべりのとある日
つちや商店
酒は買わないけど必ず立ち寄る
「いつも珍しいお酒を持ってきて、いろいろ教わりました」と土屋興三さん、澄子さん夫妻が記憶をたどる。思い出の酒は岐阜の『三千盛』。開高さんの勧めで蔵元と取引が始まり、今も続いている銘柄だ。3世代で営み、角打ちも完成した繁栄ぶりを、きっと喜んでいる!
『つちや商店』店舗詳細
スーパーたまや 幸町店
自炊をきっかけに通い始めた
『つちや商店』の正面にある地元御用達のスーパーマーケット。店内の品揃いに気分高揚、買いすぎて困った話が残る。
すし善
店内で出前で“雲古”のために!?
「開高さんは大阪、父は三重出身で、同世代。意気投合して戦争の話などしてました」と、2代目冨田勝人さん。カウンター手前から2席目に座り、夏ならウニやシンコを味わった。何度か改装しているが、カウンターは昔のまま。直筆の色紙に店への好意があふれる。
『すし善』店舗詳細
ラチエン通り
『林水泳教室』からこの道をまっすぐの帰り道。ゆるやかな起伏があり、高い場所からは烏帽子岩が近く見える。このくらい大きく見えたら、家はもうすぐ。
取材・文=松井一恵(teamまめ) 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2021年8月号より