そんな秘境駅小和田の駅前は廃屋があるだけとのことで、駅に降り立ってみました。下りで到着して電車を見送ったとき、時刻は13時すぎ。次に豊橋へ戻る電車はすぐ来ますが、それだと散策できないため、16時台の上りで帰ることにします。3時間ほどの駅前散策です。
木造駅舎は既に無人で、駅事務所は閉鎖されています。駅舎を出るや、いきなりスーパーカブの廃車体が目に留まります。遊園地アトラクションのオブジェのごとく、ボディはすっかり赤錆び、前輪はホイールのみ。サドルすら消えています。
この壊れたスーパーカブは誰かがオブジェのために置いたと思えるほど、木造駅舎横にさりげなく朽ちていて、それがまた絵になること。のっけから、いい情景に出会えました。
スーパーカブの観察が済んだら、駅前の細い坂道を降ります。と、「塩沢まで1時間」の真新しい立札が。小和田駅周辺は秘境駅ブームで来訪者がちょくちょくいるため、どなたかが立札を整備するなど手入れをしているようです。塩沢は、駅から徒歩小一時間の距離にある集落です。
で、この立札の背後に木造家屋が二棟あるのですが、右の家はまだ住んでいそうだけど空き家になっていました。左はというと、トタン屋根が枯れ草で埋もれかけ、所々穴が空いています。完全に廃屋ですね。
小道を下ると工場跡でした。外から内部がしっかりと見えます。内部は様々なものが崩れたり投げられたりして荒れていて、容易に近付けられません。壁と梁はいまにも崩れそうです。決して内部に入ることはせず、外から眺めるだけに留めておきましょう。
この工場跡はかつて製茶工場でした。現役時代は製茶の機械が活躍していたようで、崩れかけた建物はどこか哀しみが漂っている気がします。周囲はすっかり木々が生え、あと何年もしたら、建物は崩れてしまいそうです。
小道を降りた先は猫の額ほどの広場があり、目の前は天竜川です。佐久間ダムによって堰き止められるまでは、対岸の山肌に集落がありましたが、いまはその面影もありません。広場は小道となって続き、川縁へ続く木立に何やら白い物体が見えました。
一瞬何かの家電かと思ったら、オート三輪“ダイハツ・ミゼット”が転がっている姿でした。おお……いきなりミゼットが! 昔の小和田駅には車が走ってこられたのか?
倒れたミゼットの廃車体はヘッドライトも欠損し、両眼がえぐられたようにポッカリと穴が開いていて、遠目に見たらちょっと恨めしそうな雰囲気が漂います。
すぐ背後は背の高い樹木で、前後輪は外されています。事故に遭ってこうなったのかなと思いましたが、外装はぶつかった痕跡が分からず、不動となった際に遺棄したのかもしれません。後輪の駆動部が外れて、近くに転がっています。
駅前のスーパーカブ、次いで現れた二棟の廃屋、そして木立に転がるミゼット。誰もいない空間に人の居た痕跡と残り香だけで、秘境駅周辺はシン……とした空気が漂っています。
ミゼットをしげしげと観察し、先に続いている小道を進みます。この道を歩いていけば塩沢集落へ至り、そこまで行こうかと悩んだけれども、駅周辺の散策が主なので適当なところで引き返すことにしました。
道の脇の石垣は苔むしていて、これが造られたのは戦前なのか戦後すぐなのか、パッとみた感じでは判別できません。
また斜面を見上げると、木々の合間から石垣が散見でき、そこには家屋が立っていたのかと推察できます。先ほどの製茶工場跡を思い出し、この辺には茶畑があったのだろうか、あのミゼットは茶葉の輸送につかわれたのだろうかと、推理してみました。
前方に鉄塔が見えました。送電線にしては低く、経験上これは索道の支柱ではなかろうかと。鉄塔の先を見上げると、何やらウィンチの格納されていそうな木造建屋が、木々の合間から確認できました。では逆側はどうなのかと崖下を見下ろすと、天竜川の対岸に道路があります。後日知ったところによると、その道路から索道を伝って物資輸送をしていたとのことです。
鉄塔の先を行くと、突如道が二股に分岐していました。左手は通行止めの柵がしてあり、「この先 高瀬橋通行不可」と記されています。右はさらに細い道となって続いています。塩沢へはこの小道を伝って行くことになります。高瀬橋は気になりますが、通行不可なので行くことは諦めました。
先はどうなっているのか、試しに文明の力を使ってみると(=スマホのGoogleMap)、ストリートビューがあるではないですか。誰得?と思いつつ、高瀬橋の画像を見ると、吊り橋の主塔はあるものの肝心の橋が無くなっていました。これは通行不可ですね。佐久間ダムができる前は、高瀬橋を渡った先に集落がありました。
右の小道を進みます。立派な民家が見え、道はその脇を通っています。道幅はミゼットでも通れないほど狭くなり、ではあのミゼットは塩沢まで走っておらず、どこか別の場所と駅を往復していたのだろうか?と、新たな疑問が浮かびます。
と、前方に金網で作られた頼りない橋が現れました。細い鉄骨で組まれていて、おや? 欄干にはトロッコや軽便鉄道用の細いレールが使われています。ここに軽便鉄道があったのかと一瞬ときめいてしまいましたが、冷静に考えてみればレールは資材として入手できるものなので、期待して損しました(笑)。
小道はしばらく続いています。このまま歩いて塩沢まで行くと帰りの電車に間に合わないため、引き返すことにしました。
来た道を引き返しながら周囲を観察していると、洗濯機やバイクが放置されています。おそらくこのまま朽ちていくのでしょう。まだ夕方には早いものの太陽は傾いてきて、すっかり影となった道の中、自然と歩みも速くなります。
再び小和田駅へ到着。まだ帰りの電車まで時間があります。駅へと登る小道の途中に小さな広場があり、土台の痕跡が点在しています。ここにも建物が存在していました。
電車が来るまでの間、先ほどのミゼットはどこを走っていたのか気になっていました。わずか3時間ほどの散策では答えは見つからず、モヤモヤした気分のまま帰路についたのです。
帰ってからも気になって調べてみると、その昔は大嵐駅と小和田駅の間に林道があり、佐久間ダムができる前は対岸に渡る道路橋が存在しました。戦後すぐに米軍が撮影した測量航空写真に写っています。気になるのは、ミゼットがデビューしたのが1957年。佐久間ダムが竣工したのが1956年。小和田にあるミゼットはダム完成後に走っていたことになるので、おそらく林道を走っていたのだと考えられます。
まだまだ謎の多い小和田駅周辺。廃車体は他にも存在し、また大嵐まで至る林道はとうに廃道となり、そちらも興味があります。林道はどうやら崖崩れなどがあって、踏破するのは困難な道のりのようですが……。
写真・文=吉永陽一