ハイキング気分でお参りを
いつもにぎわう八王子駅から20分ほどバスに揺られると、延立寺さんに到着。山口県に創建されたお寺が、不思議なご縁で港区三田にやってきて、戦後の再開発を経てこの地へ移転したのだそう。
掲示板の頼もしいお言葉に迎えられました。肩の力がふわっと抜けるようなメッセージは、「輝け!お寺の掲示板大賞2019」の寺子屋ブッダ賞を受賞したこともあるとか。
本堂左手の坂を登っていくと、とても見晴らしのいい墓地につながります。この道のりはちょっとしたハイキング気分。坂を登るためのリフトも設けられていて、足腰に不安のある方も景色を楽しむことができるようになっています。
坂を登り切ると、陣馬山や高尾山が。空気の澄んだ日には富士山も見えるそう。
左手には、八王子の街がミニチュアのように広がります。この景色を眺めていると、いろんなことがなんとかなるような気がしてきます。
ところどころに計40以上もの素敵なベンチが置かれ、文庫本片手に訪れたくなるような、穏やかな風景を織りなしています。
駅前に飛び出した「お寺の縁側」
延立寺さんは、八王子駅から徒歩7分の場所に、お寺の壁を越えたスペース「アミダステーション」を設けています。駅の近くに飛び出した、お寺の縁側のような存在です。2015年のオープン以来、学習支援を無料で行う「八王子つばめ塾」や、社会性のあるドキュメンタリーを上映し語り合う上映会などを開いています。
アミダステーションでは、その名の通り阿弥陀さまがお出迎え。
取材で伺った日は、「あんしん子どもカフェ東町」の準備中でした。アミダステーションでは子ども食堂にもいち早く取り組んでおり、2024年現在八王子市に38ある子ども食堂の中でも先駆け的存在だったそうです。
館内にはまるで図書館のように、本や漫画がずらりと並び、目を引きます。
2023年11月に住職を引退され、前住職として活動されている松本智量さん。アミダステーションのほかにも、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で悩みを抱える方に寄り添うほか、浄土真宗本願寺派のウェブサイトで映画に関する記事を書かれるなど、多岐にわたる活動をされています。
「ここから仏教に引き入れようという話じゃなくて、それ自体が仏教。いたるところに念仏はあると考えています」と智量さんはお話しされています。お寺に足を運んでもらうための手段ではなく、一つ一つのご活動そのものが仏教であるとお考えなのだそうです。
今回は、2023年11月にご継職され第14代ご住職となられた、松本顕真(まつもと・けんしん)さんとご一緒にお話をお聞きしました。
漫画の世界にも仏教が?
智量さんは映画や音楽のほか、漫画もお好きだとか。お寺に足を踏み入れると、「ご自由にお読みください」の文字とともに漫画や絵本がたくさん並んでいます。中でも『ドラえもん』をはじめとした藤子・F・不二雄作品のボリュームは圧巻です。
- 智量さん
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つながるところがありますね。小さい頃『オバケのQ太郎』や『パーマン』を読んでいて、その後一時離れていたんですが、高校時代に『SF短編』にハマってしまいました。
- 智量さん
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本当に影響大ですね。『デビルマン』で私の人生が変わったと言ってもいいくらいに人生を方向づけられました。
- 智量さん
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ざっくり言ってしまうと、何が善で、何が正義なんだと問うような話なんです。人間が地球に現れる前、悪魔が先住人類として昔の地球を支配していました。その悪魔は他の生物の体を自分に取り込みながら、その能力を自分のものにしていく、極めて多様な姿の生物だったんですね。それを見た神様は、こんな混沌とした地球を作った覚えはないといって悪魔を滅ぼそうとします。悪魔は氷の世界で眠りに入るのですが、ある日目覚めると、今度は人間が生まれて地球を汚していることに気づきます。そこで、地球を自分たちの手に取り戻すために、人間を滅ぼそうとするんです。
そのことを知った考古学者の遺志を継いで、悪魔たちから人間を守ろうと決意したのが主人公です。悪魔と対決するために、人間の意思を持ったまま悪魔と合体してデビルマンが生まれました。
智量さん:よみがえった悪魔は無差別に人間を取り込んでいき、世界中がパニックに陥ります。するとある人物が、悪魔の正体は不満を持った人間だという説を流し始めるんです。不満を持っているやつは誰だ、怒りを持っているやつはどこだ、悪魔になる前に殺せ、と悪魔狩りが始まります。人間同士が殺し合いを始めてしまうんです。こうして人間の世界に潜り込んでいった悪魔と、デビルマンが対決することになるというストーリーです。悪魔が人間を滅ぼそうとするのは、かつて神が自分たちにやったことと同じだと悪魔自身気がつく場面も描かれています。
- 智量さん
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そうなんですよ。我が身を絶対としないということですよね。それをあの時代に伝えていたというところがね。『デビルマン』を通して多面的なものの見方をするようになり、正義ってなんだろうと考えさせられました。
仏教は自分の見たくない姿を見せる鏡
- 智量さん
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阿弥陀さんは、どんな人間も誰一人見捨てることはないと誓ってくださっている仏さんなんですけど、それを素直にうれしいって思える人もいれば、ありがたいなんて全然思えないという人間もまたいるんですよ。阿弥陀さんは、そういう人さえも救う仏さんなんです。
逃げる人を追っかけてくださるというお話は、「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」「摂はものの逃ぐるを追はへとるなり」という言葉の説明なんですね。なんで逃げるのかというと、嫌だから逃げるんです。なんで追いかけられるんだろう、なんで俺は嫌なんだろう、と考えていくと、自分の姿が見えてきたり、あるいは周りの見方が変わってきたりすることもあるんですよ。私は追いかけられて嫌だなって思うほうなんですけど、「丸ごと救ってくれてありがたい」とお説きになる方もいます。
- 智量さん
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「あなたは助けが必要な人なんですよ」と言われることは、「あなたは弱いんだ」と規定されることにもなるから、自分にはそんなのは必要ないんだという自己認識から来るのではないでしょうか。
仏教って、鏡に例えられるんです。自分の一番見たくない姿を見せられるんですね。仏教には、いつも格好つけていたり、あるいは目をそらしたりしているものをわざわざ突きつける部分があります。別にそれは汚いものや醜いものではなくて、ただそのままの現実を知らせているだけなんですけど。それが受け取り方によっては怖かったり、嫌だったりすることはあると思うんです。
- 智量さん
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そうそう。
顕真さん:それもありますし、僕は得体の知れなさもあるんじゃないかと思います。一般家庭の友達としゃべっている時にも思うんですけど、 得体の知れないものから急に救ってやるぞと言われても困るし、そもそも救いとは何ぞやということもわからないし。
- 智量さん
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どうですか。
顕真さん:そもそも「嫌」が「いい」に変わるのかな? 僕個人の話ですが、浄土真宗の教えを教学として勉強していなかった頃は、嫌という気持ちが強かったように思います。今も、救うぞと聞いてありがたいなっていう気持ちに完全に変わったかというと、変わってはいないんですよね。ただ、「それもありか」と思うようになりました。
- 顕真さん
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そういうことかもしれません。
智量さん:何が嫌かって言うと、自分を守っているから嫌なわけですよね。守りたい何かがあって、それを大事に抱え込んでいるから、それを放棄するように呼びかけてくるものに対して拒否感を抱くんです。でも、呼びかけによって自分が開かれていく中で、そういう恐れの形が変わっていくんです。
- 智量さん
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そうそう。位置が変わっていくと言ってもいいし。
- 智量さん
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いや、もうそれこそ救いなんです。
- 智量さん
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そういうことはありますよ。本当に。
――そういうことを伝え続けているお寺という場があると思うだけで、何かが動き出すかもしれませんね。
次回は、智量さんが事務局長を務める「自死・自殺に向き合う僧侶の会」でお付き合いのある曹洞宗のお寺、正山寺さんに伺います。延立寺さんが八王子に移転する前、三田の街でご近所だったというご縁もあり、どんなお話につながるのか、楽しみです!
松本智量さんプロフィール
延立寺第十三代住職を経て、現在は前住職。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長、自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長、寺ネット・サンガ事務局員を務める。
延立寺ホームページ http://enryuji.a.la9.jp/1/
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アミダステーションFacebook
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松本智量さんTwitter https://twitter.com/daimatsu
取材・文・撮影=増山かおり