以前、知人がオープンしたお店の開店祝いへ友人の佐藤さんと連れ立って行った時のこと。あまりなじみのない四ツ谷の駅で合流後、佐藤さんがスマホで店の場所を調べ始めた。私も同じ事をしても意味がないと思いつつ、ただボーッと突っ立っているのも気が引けて一応スマホを取り出し地図を見た。佐藤さんが「よし大体わかった、行こっか」と歩き出したのでスマホをしまい世間話をしながら進んでいると、最初の交差点を佐藤さんが右に曲がっていく。そっちじゃない気がする。私がさっき地図を見た感じでは店は北の方角にあった。しかしこの交差点を右折すると東へ向かってしまう。ただ私もちゃんと調べたわけではないので、自分の認識が間違っている可能性も大いにあり得る。私は会話を続けながらさりげなくスマホを取り出し再び地図を見た。やはりこの交差点は真っ直ぐ進むべきだ。
佐藤さんには今までいろんな場所で私をエスコートしてもらった恩義があった。いつも先導してもらっている手前、若干言い出しづらかったが、あくまでもさりげなく「あ、お店の方向こっちみたいですね」と向きを変えようとすると、佐藤さんは「いや大丈夫、こっちだから」と言うので「ああ、そうなんすね」と仕方なく交差点を一緒に曲がった。その後会話が途切れた隙間に三たびスマホを見ると現在地を示すマークはやはり目的地とは全く別の方向へ向かっていた。これはもう間違いない。今この瞬間も我々は目的地から遠ざかり続けている。それをすぐに指摘するべきだと思った。だが今になって言い出すと、この数分間、私はずっと道の間違いを気にしつつ何食わぬ顔で会話を続け後ろをついてきただけだと思われてしまうのではないか。逡巡(しゅんじゅん)しながら歩き続けるうち、いつしか私は指摘することを諦めていた。そのまま5分ほど歩いてようやく佐藤さんが「こっちじゃないかも」と言い出し、私もスマホを取り出して「ほんとだ、あっち方面みたいですね」とつぶやき、さも何事もなかったかのように最初から思っていた方角へ進路を変えたのである。
緑は千代田線では?
東京ミッドタウンでの仕事終わり、同行していたマネージャーと帰る時にも似たようなことがあった。マネージャーに「何線で帰るんですか」と聞くと「千代田線」だと言う。私も以前千代田線で自宅へ帰った記憶があり一緒に帰ることにした。少し歩くと「乃木坂駅」の駅名の横に緑色の丸いマークが表示されている看板が見えた。私は乃木坂駅を利用したことはなかったが、緑はたしか千代田線の色だったはず。看板を指差し「あ、千代田線の駅ありましたよ」と伝えると、マネージャーは「うん、まああっちから行った方がいいかも」と私の発言を軽くいなし、看板をスルーして歩き続けた。仕事柄、私より彼のほうが六本木近辺を訪れる回数は多いだろうし、もっと効率の良いルートを知っているのかもしれない。そう自分を納得させようとしても、「千代田線に乗るならここから以上に良い選択肢なくない?」という疑念は払拭できなかった。いや、もしかしたら「千代田線」という言葉自体が私の聞き違え、あるいはマネージャーの言い間違いだったか。どちらにせよ乃木坂駅はどんどん遠ざかっていく。そのうち私は思考を放棄し「まあどの駅から乗っても家に帰れればいいか」とただ彼の後ろをついていくことにした。
その後歩き続けること15分、到着したのは赤坂駅だった。やはり聞き間違いではなく赤坂は千代田線の駅だった。じゃあやっぱりさっきの乃木坂駅でよかったじゃないか。せめて自宅に近づいたのなら電車賃が多少安く済むなどのメリットもあったかもしれないが、赤坂駅は我々が帰る方面からすると乃木坂駅よりも一駅逆方向に行った駅だった。つまりわざわざ一駅分、何の意味もなく歩いたことになる。電車に乗り込んですぐ「次は乃木坂です」というアナウンスが聞こえた。「やっぱ乃木坂駅から乗ったらよかったですね」とは言えなかった。
要するに私の意見は他人から信用されていないのだろう。今まで自分で道を調べる労を惜しみ他人任せにし続けた結果として「また吉田が適当なこと言ってるよ」と思われてしまっているのだ。だが、自分が正しいと思っている場合でさえ他人の意見に従っていたのでは今後さらに信用を失っていく一方だ。
もっとも、「自分が完全に正しい」と自信を持って言えることなんて私にあるだろうか。理不尽な出来事に遭っても「でも俺が間違ってる可能性もあるのかな」などと考え、怒りを表明することに躊躇(ちゅうちょ)してしまう。あるいは結果的に自分が間違っていたことに気づき恥をかくのを恐れているのかもしれない。仮に自分の勤める会社が明らかに不利益になる方向へ向かっていたり違法なことに手を染めていたりしても「まあ俺が間違ってるかもしれないし」と素直に命令に従ってしまうだろう。自分の意見を言えないせいで犯罪の片棒を担いでしまうのか。そうでなくとも、どこかでこの流れを止めないとより一層無気力な指示待ち人間になっていく未来は目に見えている。とりあえず今度からは目的地までのルートを人よりも率先して調べればいいのだろうか。
文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2023年7月号より