外に出て辺りを見渡すと、緑のトレーナーにジーパン姿の中年男性が数m先から我が家を眺めていた。「はい?」と声を出し存在を示すと男性はハッと驚いたような顔で近づいてきた。「えーと……すいません、今度この辺りで工事があって……うるさくするかもしれないので一応ご挨拶に回っていて」。時間にして数十秒。話を聞き終え扉を閉めた後、のぞき穴から男の様子を確認したが、特に不審な動きもなく去っていった。

実は会話の途中からこの人は業者を装った空き巣なのではないかと疑っていた。建設業者が挨拶回りをするなら普通は作業着かスーツを着ているだろうし、挨拶回りで何べんも繰り返しているはずの説明もしどろもどろに感じた。私がもし留守にしているとわかればそのまま空き巣に入られていたかもしれない。推測はそう突飛なものではないように思われた。なぜなら私は今、新宿区内の一軒家に住んでいるからだ。

高田馬場駅から徒歩10分の閑静な住宅街。もとは知人の実家で少し前に空き家になっていたところに安い家賃で住まわせてもらうようになった。この辺りに住んでいるのはきっと裕福な家庭が多いのだろう。高級分譲マンションや土地の売買に関するチラシが我が家のポストにもよく入っている。不動産の運用を勧める営業マンが訪ねてきたこともあった。新宿区の一軒家に住んでいるというだけで資産家扱いされるのが愉快だったが、それに伴う不安もある。私は東京に住んで以来、玄関に鍵をかけたことがほとんどなかった。私のようないかにも金の無さそうな者の家にわざわざ入る空き巣などいないと思っていたからだ。だがこの家に住んでいる限り、傍目には比較的裕福な人間と思われてもおかしくない。今や私は空き巣から優先的に狙われるターゲットなのだ。その自覚を持って生活しなければならない。

板金が浮いている?

疑惑の来客があった数週間後、また昼間に部屋で寝ていたらインターホンが鳴った。今度は作業着を着た30歳前後の男性が立っており、「今週の木曜から近くで工事をやるので挨拶に来ました!」とこのあいだの人と同じことを明るく言った。いぶかしむ私を尻目に彼は続けた。「あと屋根の板金、浮いてますよ。うちの親方がついでに直してあげろって言ってたんでよかったら修理しますよ」。私は、強引に床下の点検をおこないありもしないシロアリの被害を主張し、駆除の名目で大金をぼったくる詐欺業者の話を思い出した。実際に板金が浮いているのかどうかも、板金が浮いていたら何の悪いことがあるのかも私にはわからない。今のところ特に支障もないし、そもそも自分の家じゃないし、屋根の板金が浮いていようがいまいが正直どうでもいいのである。

しかし浅黒い肌にガッチリした体格の若者は、いかにも昔はヤンチャしてましたといった雰囲気を漂わせ、明るい口調ながらも相手に有無を言わせない圧があった。せめて「それってお金かかるんですか?」と聞きたかったが、こちらが詐欺を疑っていることを表明する形になってしまいそうで気が引ける。「……ああ、そうなんですね。板金が……へえ」とモゴモゴ言いよどんでいると、彼は「今度工事に来た時ついでに直しますよ。木曜はご在宅ですか?」とどんどん話を進めていく。「いや、木曜か……どうだったかな……いないかも」とうやむやに終わらせようとしても、「じゃあ来る時に電話で確認しますんで電話番号教えてもらっていいですか?」と話をまとめられていく。そのとき私は気づいた。若者の両目の横にピエロの涙のような小さいタトゥーが彫られている。個人的な感覚で恐縮だが、これは一番怖いタイプのタトゥーだ。咄嗟(とっさ)に適当な電話番号を教えようとしたものの、その場でかけ直され噓が発覚したらどうしようと思い本当の携帯番号を伝えてしまった。

終始不審がる私の気配に気づいたのか、若者は首から下げた名刺を掲げると「私こういうもんです」と会社名と名前を見せてきた。

若者が帰った後、会社名をググったら確かにその会社は実在した。本当に悪気も何もなくて、ただ住まいのほころびを見逃せないプロ意識か、あるいは純粋な親切心から利益を度外視して修理を申し出てくれたのかもしれない。電話がかかってきた場合の対応を決めかねたまま木曜になった。朝方、携帯が鳴ったが聞こえないフリをして二度寝した。その後も数時間おきに二度ほどかかってきたがやっぱり無視してしまった。私はこれでよかったのだと思うことにした。仮に詐欺業者だった場合、一度電話に出てしまえばそこから流れを断ち切る自信が私には無いし、ただの親切な業者だったとしても私には屋根の板金などどうでもいいのだ。

そう自分を納得させ再び眠りにつこうとしたが、朦朧(もうろう)とした頭の中で、親方「あの人、やっぱり電話出ねえか」若者「道具も準備してきたんですけどね」親方「板金浮いて困ってそうだったから直してやりたかったな」若者「やっぱ俺がこういう風体だから怖がられたんスよ」親方「お前はしっかり仕事してくれてるじゃねえか。見た目で人を判断するクソ野郎ならこっちから願い下げだ!」若者「親方……ありがとうございます!」のような会話が浮かんできて寝つきが悪かった。

新宿区にある吉田の自宅にて撮影。
新宿区にある吉田の自宅にて撮影。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2023年6月号より

大学卒業後も就職先が決まらず、主にギャンブルが原因で借金が膨らみ首が回らなくなっていたとき、バイト先の先輩が「俺んち部屋空いてるから家事とかやってくれるなら住んでいいよ」と言ってくれた。お言葉に甘え阿佐ヶ谷のアパートから高田馬場の先輩宅に転がり込む形となった。以前は先輩の祖父母が住んでいたという一軒家は、新宿区としてはかなり広かった。1階はリビングと私の部屋。2階の半分が先輩の居住スペースで、もう半分は賃貸アパートとして2部屋貸し出されていた。そこには60代くらいの夫婦と、その隣には中高年の女性がひとりで住んでいるようだった。ようだった、と推測することしかできないのは、私が入居の挨拶などをせず、家の前でたまたますれ違う程度にしか2階の住人について知らなかったためだ。当初は生活を立て直すまでの間だけ先輩の家に仮住まいさせてもらい、お金が貯まれば出ていく予定だった。だから形式張った挨拶も不要と考えた。しかしその後なんとか就職するも、浪費癖のせいで一向に貯金はできず、そのうち会社もやめてフリーターとなり、長い居候生活に突入してしまう。そうなっても今さら、2階の住人に対して明るく振る舞うことはできない。ボソッと「こんにちは」と会釈をして通り過ぎるだけの関係性のまま数年が過ぎていった。私の寝起きする部屋の前の庭を2階の住人はよく通り過ぎた。部屋には床から私の背丈くらいの高さのガラス窓があり、そこから派手に散らかった部屋の様子が丸見えだったはずだ。せめてまともな人間だと印象付けたかったので、できるだけカーテンを閉めて部屋の中が見えないように工夫していたが、カーテンを閉め忘れたまま外出することも多く、私のただれた生活態度は覆い隠せていなかったと思う。
学生時代、サークルの先輩がトータス松本の「明星」という曲をよくカラオケでうたっていた。サビの「何もかも 間違いじゃない/何もかも ムダじゃない」という歌詞は、世をすねていた私の心にも真っ直ぐに響いた。