「町民鉄道」と言われるゆえん
常磐線馬橋駅で流鉄流山線に乗り換えようとホームに下りると、にわかに旅情がわく。ICカードは使えないため切符を購入、無人の改札を抜けると木製の柱が立っている。入線してくる車両はカラフルだが、どこか懐かしい形式だ。運転士さん自ら乗り遅れのお客さんがいないか確認したのち発車。全6駅、約11分。車窓はゆっくりと進んでいく。
このこぢんまりと愛らしい路線は、大正5年(1916)3月、流山軽便鉄道によって敷設されたことに始まる。流山はみりん産業で栄えた土地で、当時は人や物の移動には江戸川を渡る舟を利用していたが、常磐線が開通すると接続するための路線開設の気運が高まる。そこで、流山町(当時)の有力者が中心となって会社を立ち上げ、住民がお金が出しあって路線を開通させた。「町民鉄道」と言われるゆえんだ。
地域の人たちに親しんでもらうために
「開業当初は、石炭がなくて本日運休ということもあったとか。会社の経営が上向いてくるのは1960年代、鰭ヶ崎(ひれがさき)駅あたりに戸建て住宅が建ちはじめて、通勤で利用する人が増えてきてからです」と北原さんは話す。
現状、経営は常に苦しい。「流山線は駅間が短いので、一駅や二駅だったら歩けない距離ではないんです。天気が良ければ歩いちゃう。だから我々のライバルは、自転車と徒歩です。雨が降ると、お客さんは乗ってくれます」。冗談かと思いきや、実際に小金城趾駅では雨が降ると乗車数が1.5倍になるという。通勤通学に利用する人は定期券だから、天候に左右されないのではと思うが、「定期券と普通券、ご利用数は半々くらいなんです。特に最近はリモートワークの方も増えましたから、回数券のご利用もあります。通勤でも定期券は買わず、行きは歩いて帰りは鉄道という方もいらっしゃいますね」。
つくばエクスプレスの開業など悩みの種はつきないが、地域密着の鉄道会社ならではの光景がある。松本さんは、「朝、馬橋駅の改札のところに立って挨拶をしているんですが、みなさん挨拶を返してくださいます。そういう距離感は自動改札では味わえないですよね」と話す。「子供たちが電車に向かって手を振ってくれたり、休日にご家族で乗って、子供がすごく好きなんですよって声をかけてもらったりすると、ほんとうにうれしいです」。
車両のカラーリングと色に合わせた愛称は、流鉄の特長の一つだが、現在走っている「オムライス電車」の名付け親は、沿線の子供たちだ。「車両故障の苦肉の策で、赤と黄色の車両をつなげて走らせていたら、それを見た子供たちがオムライスみたいって。最初は、職員も戸惑っていたんですが、せっかくだからオムライスでいってみようと」。災い転じて福となし、沿線の飲食店では、実際にオムライスを提供。地域を巻き込んだ町おこしにつながった。
短いからこそ地域に根付き、世代を越えて親しまれている流鉄流山線。町民鉄道としての遺伝子が引き継がれている。
貨物専用ホーム跡
開業時から1977年まで貨物輸送を行っていた。流山駅と平和台駅からは引込線が伸びていたほか、流山駅には駅留めの荷扱いもあったという。
流山駅ホームからは、当時の貨車専用ホーム跡(青い建物の土台部分)が見える。
貨物引込線(万上線)跡
駅前から続くカーブの道路は、流山駅から野田醤油株式会社流山工場(現・流山キッコーマン株式会社)をつなぐ引込線跡。1929年から1969年まで使われた。かなり広い幅の道路が残っている。「万上」とは、「マンジョウ本みりん」から。
流鉄のあゆみ
1913年(大正2年) 流山軽便鉄道株式会社設立
1916年(大正5年) 営業開始(軌間762mm)
1922年(大正11年) 流山鉄道株式会社に改称
1924年(大正13年) 貨車直通運転開始(軌間を1067mmに改軌)
1933年(昭和8年) ガソリン客車使用開始
1949年(昭和24年) 電化・電車運転開始
1951年(昭和26年) 流山電気鉄道株式会社に改称
1967年(昭和42年) 流山電鉄株式会社に改称
1971年(昭和46年) 総武流山電鉄株式会社に改称
1977年(昭和52年) 貨物運輸営業廃止
1979年(昭和54年) 大型電車導入、初めて愛称(「流星」)を命名
2008年(平成20年) 流鉄株式会社に改称(路線名を流山線に改称)
2010年(平成22年) 終日ワンマン運転開始
取材・文=屋敷直子 撮影=鈴木愛子 昔の写真提供=流鉄株式会社
『散歩の達人』2023年4月号より