複線幅の老跨線橋は日本鉄道が荒川に架橋した橋梁の生き残り
橋梁は複線分の幅を有すポニーワーレントラス構造のトラス橋です。明治16(1883)年、私鉄の日本鉄道が上野〜熊谷間を開業しました。このとき、荒川橋梁は木橋でしたが、2年後に鉄製の単線トラス橋へと架け替えます。鉄道輸送量が増えて複線トラス橋へと架け替えるにあたり、日本鉄道が英国のコクラン社(COCHRANE&Co,)へ発注。遠路はるばる日本へ輸入されました。コクラン社はバーミンガム北西の工業都市ダドリー(DUDLEY)に存在した会社で、約100年前に閉鎖(倒産?)したとのことです。
ポニーワーレントラスとは、径間70フィートや100フィートクラスの短い橋に用いられたトラス橋の一種です。ワーレンはトラス橋側部の斜材を「W字」に配置した種類。ポニートラスはトラスの上弦材を結ぶ上横構が無く(上の部分)、トラスを構成する左右の主構は、下弦材を結ぶ横桁で繋ぎ、線路を支えています。トラスの高さが低い姿から、ポニー(仔馬)と名付けられました。トラス橋に限らず、橋梁は様々な形状と役割によって名称があり、興味が尽きません。
明治28年に単線トラス橋から架け替えられた荒川橋梁は、川の部分が4連の複線ポニーワーレントラスでした。その後日本鉄道は国有化されて、東北本線の荒川橋梁となります。しかし大正12(1923)年の関東大震災で被災してしまい、荒川橋梁はレールが湾曲するほどの被害となりました。この損傷が原因で橋梁を架け替えることとなり、4連のトラスは再利用され、別の場所へ散りました。
4連のポニーワーレントラスは、川崎の旧・新鶴見操車場を渡る道路橋「江ヶ崎跨線橋」、群馬県水上町の利根川を渡る道路橋「大鹿橋」、そしてこの十条跨線橋にそれぞれ1スパン(径間)が再利用されました。最後の1スパンは不明です。これらは全て道路橋となり、鉄道橋としては使命を終えました。
江ヶ崎跨線橋は2013年に架け替えられ、大鹿橋もだいぶ前に架け替えられ、今や現存する日本鉄道時代の荒川橋梁は十条跨線橋のみです。ただ、不明の1スパン分がどうなったか気になるところで、複線幅のトラスなので対面通行の道路には使えそうだから、どこかで現役ならば嬉しいのですが……。
この十条跨線橋も架け替え計画が北区から出されている以上、いつまでも安寧とは言えまい。観察できるときにじっくりと眺めましょう。十条跨線橋は昭和6(1931)年の下十条駅開業に合わせて架橋されました。道路橋としての再出発です。下十条駅は昭和32(1957)年に東十条駅へ改称しています。線路を支えていた底部は道路にするため、コンクリート床板を敷き詰めました。左右の主構部からの落下防止のため側板を増設しており、昭和6年の古写真を見ると架橋段階から施されていた様子です。
ピン結合の古典的な構造など興味が尽きないポニーワーレントラス橋
東十条駅南口改札前には、リベットが凛々しいポニーワーレントラスがドンと構えています。トラスの両サイドは後年に増設された歩道橋にサンドイッチされていますが、その存在感たるや、「元々は蒸気機関車を支えてましたよ」と言わんばかりの重厚さ。いかにも元鉄道橋でしたというオーラが、冬の淡い逆光の中で煌めいています。かっこいい。
歩道橋は全体像を見るのに邪魔かなと思ったのですが、トラス部を間近で観察できるので助かります。明治時代に輸入されたトラス橋は、トラスを構成する部品の格点(接点)がピンで結合しているのが特徴で、ピントラス橋とも呼ばれています。大正期からはリベット結合が主流となり、ボルト結合や溶接結合へと進化していきました。
十条跨線橋は典型的なピン結合です。トラス構造(主構)を見ると、斜材、端柱、上弦材の格点には大きな六角形のピンがあります。それが等間隔で並び、鋼材に打ち込まれたリベットと共に陽光で浮かび上がります。なんと美しい。
上弦材と下弦材を繋ぐ「斜材」を見ます。こういう部材は2つのプレートを組み合わせて構成され、プレート同士は靴紐のように小さな鋼板を交差しながら組む「レーシング」で結ばれています。十条跨線橋の場合は、レーシングが施されている斜材と施されていないもので組成されており、このように二種類あるのはトラス橋にかかる力の作用によるものだと思われます。
歩道橋を歩き、線路を渡り終えて対岸へ。お地蔵さんを横目にして下の道へ降りると、橋の下側へ出ます。潜り込むようにして真下へ行くと幅広で、複線用の橋梁だったのがよく分かります。目に入ったのは横桁が曲線を描いて膨らんでいるところ。優雅な曲線の鋼材が等間隔で並び、うっすらとリベットも浮かぶ造形美に見惚れます。横桁が膨らんでいるのは、重量物である線路と鉄道車両を複線分支えるための補強でしょうか。少し離れて観察すると、ピン結合と横桁が好対照となって視界へ入ってきます。
眼福です。
再び上がります。先ほどのお地蔵さんを横目に、十条跨線橋から続く道路を進むと上り坂です。この辺は下り坂と上り坂が入り組んでいて、武蔵野台地の終端部なのだなと実感します。
上り坂の途中で振り返ると、奥に東北新幹線の高架橋があって、跨線橋の傍らには桜の木がシンボリックに立っています。それが情緒的なんです。派手さはないのだけど、じわっとくる懐かしい空気とでも言いましょうか。冬の光がそうさせているのかもしれない。
取材・文・撮影=吉永陽一