白沢峠のダッジを知っているか?その一言が始まりであった
場所は山梨県の北東部、秩父往還(国道140号線)と青梅街道大菩薩峠(国道411号線)の間にある倉掛山付近の尾根です。一帯の山々は登山ルートになっていて、件のトラックがある白沢峠は倉掛山頂の北側の標高1522m地点の尾根の地点です。登山道が四方に分岐し、東側または南側の道はその昔林道であったとのこと。
“白沢峠のダッジ”とは廃墟愛好者や一帯の山々を登山する人々の中で言われているようで、ダッジとはアメリカの車メーカーDOGE社を指し、林業に使用されて林道を走っていたけれど、何かの理由で尾根に遺棄されたらしい。私達2人はその程度の情報は得ていましたが、深く調べもせず、軽登山の装備をして現地へ向かいました。なお、この廃車は2022年現在でも変わらずに存在しているとのことです。
重い機材を抱えて険しくなる登山道へ。その先に現れる廃トラック
白沢峠へは4つの登山道がアクセスしており、青梅街道から分岐して東側から入るルートを行く人が多いようです。私達は西側の秩父往還の白沢橋を起点にいきました。
が、しかし。この道はハードでした。
通常の山登りであればリュックに登山靴でよかったのでしょうが、廃車を撮るので大型フィルムカメラを抱え、なおかつハスキー三段という大きな三脚を持ち、荷物はずっしりとしていました。
白沢橋から林道を歩き、舗装路からダートへ。たしか砂防ダムがあったのですが、それを越えていくたびに険しくなっていき、車が走れそうな幅はいつしか本格的な登山道へとなっていきました。
登山道は険しくなり、嫌な予感がするなぁと思ったら案の定、崖っぽいところにか細い桟橋が崩れかけるようにあり、そこを渡って行かないと先へ進めません。三脚はあるしカメラはあるし、それらを抱えて桟橋を渡るのは難儀しました。晩秋の快晴は冷え切っておりましたが、厚着もしていたこともあってかなり汗だくでしたね。道中の写真がないのはご了承ください。
「こんな道がまだ続くのかぁ」と辟易しながら、ところどころ笹で覆われた道を右へ左へ。登り坂をよっこいしょっと登っていき、いい加減疲れ果てそうだと思ったころ、前方の木々が急に開けてきました。「おお!あと少し!」勇み足となって進むと……到着しました! 白沢峠!
そして、息を整えつつ右に目をやると「いたー!!」廃トラックの錆びきった荷台が見えました。
噂通り、荷台から木が生えています。「すげー……」感嘆の声を上げるも、いきなり現れた山の上にあるトラックの存在に、あまり言葉が出なかったと思います。
とにかくよかった! ちゃんと尾根にいる。もし何も存在しなかったら、この登山は無意味だったことになっちゃいます。
このトラックはDOGE社製の1940年台の軍用トラックだそうで、民間に払い下げられて林業に従事したとか。後ほど簡単に調べてみると、たしかにボンネットまわりとフロントグリルはDOGEのWC型軍用トラックに似ています。WC54型だとのことですが確証は得られませんでした。
荷台から生えている2本の木がますます存在感を強くさせている
さて、周囲は面白い場所です。スキーコースかと思われるほど、幅広に木々が伐採されており、それが南北に渡って続いています。どうやら防火帯のようですが、ちょうど白沢峠が底辺となって南北に坂道が続いているので、クロカンコースにも見えてきました。その防火帯の中心部分に鎮座する廃トラック。それだけで強烈なインパクトがあります。とにかく実車をじっくりと観察します。
まず目を引くのが、シンボリックに荷台から伸びる2本の木。山桜のようです。山桜はV字状に分かれて枝を伸ばし、その様を遠目から眺めると、まるで羽が生えているような……。いや枝の形状が鹿の角のように見えるな。
だとしたら、このトラックは自身の姿を強く示しているのか。落葉の季節に訪れたからすっかり葉が落ちていて、それがかえって角に見えてきて、なんとなく威嚇されている気分になってきました。それとも、この山の主なのかとも思えてくる……。
それがかえって角に見えてきて、なんとなく威嚇されている気分になってきました。それとも、この山の主なのかとも思えてくる…。
強い。とにかく存在が強すぎる。大自然の山中にポツンと置かれたトラックの存在感、形状だけでなく姿そのものが強い。ボンネットタイプのフォルムは半世紀以上昔のものとすぐに分かります。右タイヤはもげてしまって脇に倒れ、その他は半分地中に埋まっている。窓ガラスはとうになく、ボンネットから笹が生えている。左ドアに貫通している複数の穴は、まさか弾痕ではないよな。
遠くからでも近くからでも、どう切り取っても存在感がある廃トラック。
こんな尾根に遺棄されたのは、不要となって捨てたのか、壊れたからか?
あるいは泣く泣く遺棄せざるをえなかった事情があるのか。どうしてここを終焉の地としたのか、想像がいっぱい膨らんでいきました。
12年前の記憶が薄いといいながらも、写真を見直していると何かと思い出すものです。
強烈に記憶していた部分が思い出されてきましたが。
そういえば私達が撮影しているとき、他にも2人組の登山者が到着してトラックの撮影をしていました。その方々もじっくりと撮影していて、やはりここは知られている存在なのだなと再確認した覚えがあります。
秋は日がかげるのが早いため、撮影が終わると僅かな休憩をして下山しました。何せ、帰りもあの桟橋を通らないといけないので……。麓のほうから数時間で到着できる場所ですが、行かれる方は装備をしっかりと。同行者がいると安心ですね。ネットの情報ですが、どうやら付近では熊の出没した場所もあるようです。十分にお気を付けください。
取材・文・撮影=吉永陽一