当日は、37℃快晴。午後の新宿駅にやってきた。
新宿駅の地下道情報は少なくて、ワンデーストリートの入り口が見つからない。
5歳のころから最寄のターミナルは新宿駅で、馴染みのつもりでいる。迷うなんて、とても心外。
スマホで、写真付き道案内を発見。京王新線の新宿駅の奥、別の地下道の先にワンデーストリートの入り口を見つけた。
ワンデーストリートは、曲がったり、階段があったり、高層ビル街に向かう分岐があったりと、面白い地下道だった。
出口O-1の階段を上がると、目の前の高層ビルの1階に「文化学園服飾博物館」があった。
ロビーにはこんな素敵な絵が。
100年前にフィレンツェで作られた、大理石製の壁画だという。
「文化学園」の母体である「文化裁縫女学校」が創設されたのが1923年。同じ年にファッション画をもとに作られた、と書かれていた。100年前のファッション、全然古くない。
「文化学園服飾博物館」は、研究のために集められた衣服や染織品などを公開する博物館。「 衣 を通して日本と世界の文化を知る」をテーマに、年4回の企画展を行っている。私が訪問した日は、企画展「世界のビーズ」が開催中だった。
初期のビーズは、貝や骨や木や石など地域によってさまざま。現在よく見られるガラス製の色鮮やかなビーズは、15世紀のベネチアなどで作られて世界に流通したものだという。
ビーズを通して見る世界は、本当に多様。
「文化学園服飾博物館」の前の広場には、こんなモニュメントが。
看板を読むと「この場所を玉川上水が流れていたが、今は地下にもぐって暗渠になっている」とある。なんと明治時代には暗渠化されて新宿駅の地下を流れていたらしい。
モニュメントは、明治時代の暗渠をモチーフとしていて、当時の煉瓦も一部使われている。
後ろの桜並木が玉川上水が流れていた跡だそうで、言われればそれらしく見えてきた。
都内のあちこちで出会う玉川上水。こんなところも流れていたとは。
地下道ワンデーストリートから帰ろうとした時、気になる下り坂を見つけてしまった。
懐かしい風景に呼ばれた気がして、ふらふらと下りていく。
時間は16時台。
太陽は少し勢いを弱めていて、なんとか散歩できそうだ。
歩いてみると、気になったものたちが見えてきた。
ミニストップの向かい側には「藤倉電線 千駄ヶ谷工場発祥の地」のモニュメントがある。
何もない中に建つ工場の写真が埋め込まれていて、興味深い。甲州街道と玉川上水が通っていて、工場にはいい場所だったのだろう。
右に見えている看板は「家庭クラブ会館」。ホームページを見ると、「全国21万人の高校生の家庭クラブ活動を支援するため運営している会館」らしい。21万人の高校生は、家事のスキルがめちゃくちゃ高そう。
坂の上で懐かしい感じがしたのは、次に現れた団地群のせいだった。
壁はきれいだけれど、すべり台の雑草の背が高すぎる。長い間人が住んでいないみたい。
「千駄ヶ谷住宅という名前で、今年度か来年度に解体する」と看板が出ている。
初めて見たけれど、見納めかもしれない。
ゆるい坂道を下りたところで左を見ると、こんな景色だった。
ドコモタワーが見える細い道。ニューヨークから間違えて来ちゃった風な姿が好きなので、つい写真を1枚。
「あれ?ここ知ってる」
そうそう、以前参加した暗渠を巡るツアーで連れてきてもらったんだった。
「このあたりを代々木川が流れていた」という解説を思い出す。
絶妙な坂道は、代々木川が作ったんだな。
次に出てきたのは、田山花袋の旧居跡。
歩いてきた道を、わずかに右に折れたところにあって、冒頭の写真のように、さっぱりと「田山花袋終えんの地」と書いてある。
田山花袋といえば、散歩の大先輩。
明治後期から大正の東京を書いた『東京近郊一日の行楽 』の文庫本を、私は大事にしている。徒歩でめちゃくちゃ歩いて書いて、そういえば、住まいは代々木だった。
「終えんの地」の碑の前では、古い大きな家をリノベーションして、「パン屋塩見」と「FarmMart & Friends」が営業している。どちらも素敵な店だ。「パン屋塩見」で食パンを買いながら、この家と、田山花袋の関係を聞いてみた。くわしいことはわからないようだったが、食パンは忘れられないおいしさだった。
「田山花袋終えんの地」から、「平田篤胤神社」を通りすぎると、坂の下に小田急線の線路が見えた。
南新宿駅から帰ろうとして、線路沿いでまた道に迷った。
駅のホームは見えているけれど、行き止まり。ぐるっと回って、南新宿駅へ。迷子になる町は、困るけど面白い。
今日歩いた場所は、住所でいうと渋谷区代々木。
代々木というとJR代々木駅のイメージだけれど、新宿駅から地下道でつながる文化学園の裏にも町が広がっていて、次々面白いものが現れた。代々木は奥が深い。
家に帰って『東京近郊一日の行楽 』を開いたら、代々木のことを「前は田畑だったのに、今は勤め人が増えた」と書いてあった。川と玉川上水が流れて、丘があって小さな駅があって、いい景色だったろうな。今でもいいですもん。