平安時代に『源氏物語』を愛読していた女性
〈意訳〉
当時の私は、物語のことだけを考えて生きていた。
「今はそこまでかわいくないかもしれないけど、私も大人になったら、美人になって、髪もすっごく長くなるはず。そしたらきっと光源氏の愛した夕顔や、薫に愛された浮舟みたいになれるはず!」
そう思っていた当時の私って、一体……。
今思うとアホである。
〈原文〉
物語のことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、盛りにならば、かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめと思ひける心、まづいとはかなく、あさまし。
(原文は『新編 日本古典文学全集26・和泉式部日記/紫式部日記/更級日記/讃岐典侍日記』〈犬養廉ほか訳注、小学館、1994年〉より。訳は筆者意訳)
これを書いた作者は、菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)。彼女が綴った『更級(さらしな)日記』には、平安時代の『源氏物語』の感想が残っている。そう、平安時代後期を生きた女性たちもまた、私たちと同じように『源氏物語』を楽しんでいたのだ。もちろん当時の貴族にとっては現代よりも身近な物語として読んでいたのだろうが……それはそれで罪深いのかもしれない。
どういうことかというと、『更級日記』は菅原孝標女が、大人になってから少女時代以降を回想する形で綴っている日記文学だ。彼女は幼少期を常陸国(いまでいう茨城県の南西部を除いた地域)で過ごしたので、都の貴族文化が身近ではなかった。そのため貴族社会で育っていた母や姉から彼女は「『源氏物語』は面白い」「こんな場面があって」という噂をひたすら聞いて育つ。「早く私もそれを読みたい」と憧れを募らせた彼女は、とうとう都への引っ越しの機会を持つのだった。
「きっと大人になったら、夕顔か浮舟みたいになるはず!」
都でやっと読むことができた『源氏物語』の魅力を彼女は存分に日記に綴る。昼に夜に物語を読み込んだり、物語に夢中で仏道修行を疎かにしたり……共感できる現代人も多いのではないだろうか。
なかでも冒頭に引用した、「今はそんなにきれいじゃないけれど、きっと大人になったら美人になって、夕顔か浮舟みたいになるはず!」と書いてある箇所は「そこで登場するのが夕顔や浮舟なんだ!」と驚く。
というのも、きっとこの記事を読んでいる方ならご存じのとおり、『源氏物語』にはたくさんのヒロインが登場している。最も有名な女性キャラクターといえば、光源氏に幼少期から育てられた紫の上だろう。あるいは光源氏最愛の女性として、物語の中心となる藤壺の宮だろうか。そのほかにも、朧月夜(おぼろづきよ)や明石の君、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)や葵の上など、光源氏にとって重要な女性キャラクターはたくさんいる。しかし菅原孝標女は、日記に「自分が大人になったら夕顔か浮舟みたいになりたいわ」と書いたのだ。妄想するなら紫の上とか藤壺とかになりたいと述べてもいいのに!
しかし……私はちょっとわかるなあ、と笑ってしまう。というのも夕顔も浮舟も、「そこまで恋愛に前のめりではなく(どちらかというと受け身)、貴族社会においては高すぎる身分ではない、けれど光源氏や薫の君が勝手に気にかけてくれるキャラクター」であるからだ。
千年以上も読まれ続けた理由
夕顔も浮舟も、積極的な女性ではない。むしろ受動的で、光源氏や薫に振り回されているような印象すら受ける。それはなぜかというと、彼女たちが積極的になり得るような身分ではなかったからだ。身分が低かったのである。……もちろん庶民ではないのだが、貴族の中では中の下。それこそ、菅原孝標女と同じくらいの身分、なのである。
このあたりに『源氏物語』が千年以上も読まれ続けた理由があるのかもしれない、と私は思う。千年以上前に綴られた物語であるのに、紫式部は物語にさまざまなキャラクターの女性を登場させ、そして、その身分は多様で、結末も多様だ。このたくさんの人々の感情移入を可能にするキャラクター装置こそ、紫式部の才能が発揮された箇所のひとつなのかも、と私は思う。
菅原孝標女が「大きくなったらこんなキャラクターに……」と妄想したように。現代の私たちも、『源氏物語』を読めば「私が一番感情移入しやすいキャラクターはいるかなあ」と考えることができる。
『源氏物語』に触れ、京都を散歩する
幸い、今年一年を通して紫式部や平安貴族への理解度が上がった人も多いだろう。京都を散歩すれば、彼女彼らの生きた世界を今もなお垣間見ることができる。その状態で『源氏物語』をはじめとする平安時代の作品に触れてみると、よりその魅力が迫ってくるかもしれない。
ぜひ京都を散歩しつつ『源氏物語』に触れてみてほしい。千年以上読み継がれる理由が、そこには、たしかに存在しているのだ。
文=三宅香帆 写真=PhotoAC