白井権八と遊女小紫
白井権八(本名・平井権八)は、江戸時代初期に実在した元鳥取藩の武士です。
実父を侮辱した同僚を斬殺し、罪を逃れるために向かった江戸の町で、権八はある女性と出会います。
その女性とは、新吉原にある三浦屋の遊女・小紫。
小紫は和歌が上手く、教養のある優雅な優しい女性で、江戸一と評判の高い花魁でした。
二人は互いに惹かれ合い、深く愛し合うようになりますが、最高位の遊女である花魁の小紫に会うには、その度に莫大な資金が必要です。
困窮した権八は、小紫に会う資金を調達するため、130人もの人を殺め金品を奪うという犯罪に手を染めるようになります。
やがて権八は辻斬りで捕らえられ、25歳の時に品川の鈴ヶ森刑場で処刑されました。
権八が死んだことを知った小紫は嘆き悲しみ、吉原を秘かに抜けだし、権八の墓前で自害したと言われています。
フィールドワーク①比翼塚がある目黒不動瀧泉寺へ
東急電鉄目黒線・不動前駅から、権八と小紫の比翼塚を目指します。
不動前駅は昔「目黒不動前駅」という名前でしたが、このあたりの住民が目黒不動を「お不動さん」と呼んでいたのであえて駅名から「目黒」を抜き、不動前駅になったという話もあるようです。
駅を出たらかむろ坂を武蔵小山方面に進みましょう。
今回訪れる「比翼塚」とは、心中、あるいは後追い心中した男女を一か所に合祀した塚のことです。
「めおとづか」とも呼ばれ、権八と小紫の比翼塚だけではなく、東京都文京区の「お七と吉三郎の比翼塚」や、宮城県宮城郡の「蜂谷小太郎と紅蓮尼の比翼塚」、京都府京都市北区「吉野太夫と灰屋紹益の比翼塚」など、日本各地に存在しています。
交差点「かむろ坂上」に来たら、目黒不動商店街に入ります。
商店街をしばらく歩いていくと、目黒不動尊が見えてきました。
フィールドワーク②白井権八と遊女小紫の比翼塚
こちらが比翼塚のある、目黒不動尊です。
なお「目黒不動尊」は通称で、正式名称は泰叡山護國院 瀧泉寺。
808(大同3)年に建立されたと伝えられている天台宗の寺院です。
江戸三大不動の一つでもあり、不動明王を本尊としていることから「お不動さん」「目黒不動」と呼ばれています。
こちらが権八と小紫の比翼塚です。
取材時も綺麗な菊の花が手向けられていて、史跡として大切にされていることが伺えます。
歌舞伎や浄瑠璃でこの二人をテーマにしたものを「権八小紫物」と称し、特に「御存鈴ヶ森(ごぞんじすずがもり)」は上演頻度の高い歌舞伎の演目として200年近く愛され続けているそう。
なお冒頭のお話では、辻斬りをしていた権八が「捕えられた」という表現を使いましたが、「自首した」という説もあると言われています。
そちらの説では、権八が目黒不動瀧泉寺付近にあったとされる東昌寺に匿(かくま)われ、尺八の演奏を身につけ虚無僧(こむそう・尺八を吹き全国を巡る僧のこと)になったそう。
そして虚無僧のまま故郷の鳥取へ向かうも、両親はすでに亡くなっており、そこで自首することを決めたという話になっています。
比翼塚の説明の英語版には、アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード(イギリスの外交官・作家・貴族)による『昔の日本の物語(Tales of Old Japan)』の一節が引用されていました。
調査を終えて
権八と小紫。武士と花魁という、身分の違いが引き起こした二人の恋の悲話でした。
会いたい時に会いたい人に会えることが当たり前で、身分や職業による格差などない現代に生きる人間からは、とても想像がつきません。
小紫に会いたいがために他の人を殺め続け、辻斬りとして処刑され、やがて一番大切であったはずの愛する小紫も死を選んでしまう。
比翼塚の前で「そうせざるを得なかった」二人に思いを馳せ、静かに手を合わせました。
【参考サイト】
日文研データベース「シヨクの墓(比翼塚)」https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/en/detail/?gid=GL035008&hid=881&p=5
取材・文・撮影=望月柚花