コウメ太夫
1972年、荻窪生まれ。95年、梅沢富美男劇団に所属した後、97年にお笑い芸人に転身。2005年、「小梅太夫」(のちに『コウメ太夫』に改名)のキャラで『エンタの神様』に出演し、大ブレイク。近年は、俳優としても活躍中。
飲むのも、買い物も、記念日も、この町と共に
――梅柄の浴衣が素敵です。
コウメ太夫(以下コウメ) 夏はもうこればっかり。「タウンセブン」の6階で買ったんですよ。息子と7階の『サイゼリヤ』にもよく行くんで。あそこ行くと僕、ワインをがぶがぶ飲んじゃって、むちゃくちゃ酔うんですよねぇ。帰りに1階でお好み焼きを買って、朝、「わっ、覚えてねえけど、お好み焼き、食っちゃったっぽい!」ってこと、あります。
――わははは。お酒は毎日?
コウメ 毎日飲みます。後輩にも週3でおごってタクシー代も払ってあげちゃうんで、お金使い過ぎなんですよ。後輩、いつ連絡しても「今ちょうど終わりました!」って、荻窪に飛んで来ますから。昨日も、ちょうどよく『鳥もと』に来て、がぶがぶ飲んで。
でも肝臓の数値はいいです。2カ月に1回、僕が生まれた近くの病院で診てもらってますから。(ここで、男性が自転車で通り過ぎる)あっ、先生……。今のかかりつけ医の先生でした。僕に気づいたはずなのに、すごい勢いで行っちゃった。38歳から診てもらってて、コウメが僕って知ってるんですけど、この格好でびっくりしちゃったのか、恥ずかしかったのかな……。へこみました、今。
――そんな町内でも有名なコウメさんですが、どんな幼少期で?
コウメ 南口の幼稚園に一人で歩いて通ってたんですけど、途中で月謝袋を落っことしてお袋に怒られたことを覚えてます。親父(おやじ)が生きてた時は、同じく南口にあった「ロータス」って店に家族で行って、僕は大好きなドリアを食べて、親父はコーヒーだけ飲むっていうのが日課でした。
夕方にはお袋に手をつながれてお買い物。今「タウンセブン」があるあたりが市場だったんです。威勢のいい魚屋さんに、桶の中でうにゃうにゃ泳ぐウナギを「手づかみしてみろ」なんてけしかけられて、わあっ、ウナギってつかめねえ!って驚いたり。
――若くしてお父様を亡くされたと伺いましたが……。
コウメ 7歳の時に。親父には本当かわいがってもらって、甘やかし放題のバカ親っていうのかなあ。僕が「家に映画館があったらな〜」って言うと、「いいよ、誕生日に買ってやるよ!」って。楽しみにしてたんだけど、誕生日の前に亡くなっちゃった。
親父、芸能関係の仕事をしてたんで、お葬式には畠山みどりさんや新沼謙治さん、千昌夫さんが来てくれて。千さんの家には、家族で遊びに行ったこともあるんですよ。
荻窪と飯能を行き来した多感な青春時代
――なんとも華麗なご環境ですが、家庭教師も4人いらっしゃったとか。
コウメ やっ、もう、勉強できない子にあんなに勉強させちゃダメっ! 小学1年生の頃から先生の話が全然分かんなくて、家庭教師にも「ばかばかばか!」って頭ひっぱたかれてましたよ。でも、友達は多かったんです。ノリが良くてバカさ爆裂、ドリフが好きな明るいユニークな子でね。ウケたい一心で、子供の頃のほうが噓つきだったかもしんない。全然違う家の電話番号言うとか。今のほうが正直に生きてます、はい。
―― 中学時代はどんなでしたか?
コウメ 天沼の中学に通ってたんだけど、行かなくなっちゃって。ヤンキーがちょうど流行(はや)ってたんですが、僕は仲間とつるむヤンキータイプじゃない。一匹狼のほうがカッコいいな〜と思って、学校は休んでました。
――えっ? 休む!?
コウメ はい。でも、朝から夕方までテレビばっかりずうっと見てたら、だんだん頭がへんてこになってきて。学校の先生に「このままだと高校に行けません」って言われて、お袋が埼玉の飯能にある中高一貫の私立に転入させたんです。そこは東大に行くような優秀な人もいれば、僕みたいな人も受け入れてくれる学校で。
その頃からかな。芸能界に入りたいと思って、わーすかわーすか言ってお袋のすすめで劇団の養成所に入ったんです。来た仕事は『中学生日記』のエキストラ一本だけ。あっという間に高校生になり、早く稼ぐには芸能界入んなきゃ!って。養成所はお金がかかりますし、片親だからお袋を安心させたい。もともと小学生の時からマイケル・ジャクソンが好きで、ステージに憧れてましたから。
当時『デビュー』って雑誌があって、毎月応募しまくっていたのと、あとジャニーズ。六本木を歩いてたら事務所を見つけて、こんなところにあったんだ!って、住所をメモして写真を送ったけど、半年経っても返事が来ない。勇気を出して合否を聞きに行くっていうのを何回かやりました。毎回、丁寧に断られるんだけど。
家族愛にあふれる江戸っ子の母との暮らし
――飯能に通学しながら、夢に向かっても全力アプローチを。
コウメ 飯能までむちゃくちゃ遠いんで、そのうち学校には昼ごろ行くようになって、ますます友達もできず、夢もなかなか叶わず。そんなある日、どっかで財布を落として、こりゃやべえ!って、飯能から荻窪まで歩いて帰ったことがありました。
――歩いて! なぜ?
コウメ 家に帰んなきゃって一心で。正午に学校を出て、家に夜10時頃に着いたのかな。次の日、体中痛くて学校行けなかったんです。お袋も、「とんでもねえことだ!」って。
――愉快なお母様です(笑)。
コウメ お袋、浅草っ子なんで、昔からそんな口調です。怒ると「出てけ!」が口グセで、うちの息子にも、「おめえはぜいたく過ぎんだ! 出てけ!」ってしょっちゅう言ってます。今88歳なんですけど、誕生日に「何が欲しい?」って聞くと、だいたいバッグ。お袋、おしゃれだけはするんだよな。で、僕がちょっといいものを予約すると、「そんな高いのは買わなくていい!」って言って、「ルミネ」(荻窪)に一緒に行って気に入ったのを選ぶ。そのあとはお寿司かうなぎかすっぽん。
子供の頃から通う『東家』さんは、お袋も僕もお気に入りです。活きたウナギをさばいてくれるんで、焼き上がりまで時間がかかるんだけど、いいうなぎで親孝行してます。『すし屋の源』は、『エンタの神様』で売れた33歳の頃に初めて来ました。あの頃、財布の中にいつも30万円入れてたんです。どんな高級店でも30万あれば足りるだろう!って楽しくなってた時期で。アルバイト時代は、「松屋」で牛丼食べるのにも、ドキドキしてましたから。
――それまでどんなアルバイトを?
コウメ 「ルミネ」の洋食店で皿洗いとかスパゲティをゆでるとかさせてもらってましたよ。あとすごい昔ですけど、北口に果物屋さんがあって、お袋が「お前も早く働くことを覚えろ!」って言って、当時僕まだ中学2年なのに、「甘〜いイチゴいかがですか〜」って独特のセリフ回しでマイクで宣伝するっていうのをやらせてもらったこともあります。
――それがコウメ太夫の原点でしょうか。荻窪生活半世紀、最後におすすめのデートコース、または思い出のスポットがあったらぜひ。
コウメ え、デートですか……? カラオケとか、『なごみの湯』とか、岩手料理の『あさ水』とかですかねえ。思い出と言えば、昔、居酒屋で飲んでたら、「ごはん連れてってください♪」って声をかけられて、それが出会いになったってこともありました。別れも荻窪で、でしたけど。てかなんで今、こんな話してんだ?
――もしよかったらひと言……。
コウメ え……? チックショ〜?
コウメさんの行きつけはこちら
『東家 北口店』
おしどり夫婦が営む、地元に根付くうなぎ屋
1988年、南口の『東家』からのれん分けして創業。丁寧に下処理し、ふっくらと焼き上げるうなぎが絶品。「小上がりで食べるのが好き。うな重はもちろん白焼もおすすめ」とコウメさん。
・11:30~13:00LO・17:00~18:30LO、火休(臨時休あり)。
・☎03-3392-5232
『すし屋の源 南口店』
居酒屋使いもできる駅近のオアシス
本店は、同じく南口にある『日本料理 源氏』で、1989年に創業。コウメさんいち押しの食べ応えある高菜トロたく巻きは、この店限定だ。「いつもハイボールの次は、大きな南高梅入りの梅サワーを4杯くらい飲みます」。
・17:00~22:30LO、木休。
・☎03-3393-4634
出演情報
日本テレビ系ドラマ『紅さすライフ』
2023年7月24日より放送中。メイク男子・北條雅人(大西流星)と、すっぴん女子・皆本頼子(井桁弘恵)が、メンズコスメブランド立ち上げのために奮闘するラブコメディー。雅人と彼の兄・一馬(松島聡)の父・北條駿夫役として出演。
映画『うかうかと終焉』
京都大学吉田寮をモチーフに作られた、学生寮で最後の5日間を過ごす大学生の旅立ちを描く物語。2023年10月13日より東京『テアトル新宿』ほかで公開予定。
取材・文=さくらいよしえ 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2023年8月号より