立ち食いそばらしからぬ冷やしたぬき
『はるな』があるのは、メトロ本郷三丁目駅のすぐ近く、本郷通り沿いだ。東京大学や順天堂医院などの医療機関も多く、歩いていると、なんとなく背筋が伸びてくる。そんな必要はまったくないのだけれど。
『はるな』の冷やしたぬきを食べていると、毎回「これで立ち食いそばなの?」と思ってしまう。たぬきにきゅうりと錦糸玉子にわかめ、薬味のネギと紅しょうががきれいに配置されたビジュアル。かえしのきいた東京らしいツユに、しなやかでありながら存在感ある自家製麺のそば。正統派の町そばで出される冷やしたぬきのクオリティなのだ。
話を聞けば納得。『はるな』のルーツは本格的なそば店だったのである。
『はるな』がこの地でオープンしたのは1986年のこと。店主の小林さんは、それ以前、上野で炉端焼きの店をやっていた。炉端焼きとは、囲炉裏端に座った店員が魚や野菜を炭火で焼き、焼き上がったものを長いしゃもじのようなへらで客に渡す、居酒屋のこと。70年代後半にブームとなったのだ。
学んだ先は町そばの店
今と同じ『はるな』という店名だったその店も繁盛していたが、立ち退きのため閉店。また飲食店をやろうとしたのだが、見つけた物件が手狭だったため、ここでもできる商売をと考えて業態を立ち食いそばにしたのだという。本郷は医療器具の会社が多く、サラリーマンのランチ需要が見込める、という事情もあったようだ。
しかし、炉端焼きはやっていたが、そばは未経験。そこで小林さんは知り合いのつてで、秋葉原・岩本町にあった「浅野屋」で働きながら、そばの作り方を学んだのだという。小林さんいわく「うちのそばは浅野屋のまんま」。『はるな』のそばは、そもそも町そばの作り。立ち食いそばであるのは、物件の事情だった。冷やしたぬきがあのビジュアルなのも、納得なのである。
さて、町そばとなると試してみたくなるのがカレーライスだ。スパイシーさはいらない。カレー粉をダシツユでとくカレー南蛮の汁とは別物。あえていえば食堂で出てくるカレーの味わい。頼んでみると、やはりそれが出てきた。
もったりとしていて柔らかめの味わい。これを食べながらすするツユとの相性は抜群。スルスルと入り、ウィークデイの昼めしにはうってつけだ。
本郷では貴重なそば店
聞けば本郷にもかつてはまちそばの店がたくさんあったのだが、今はほとんどなくなってしまったという。『角萬』があるが、町そばとはちょっと違う。同じ2丁目では『そば處 ほていや』が唯一だろうか。
町そばらしさは、天丼もそうだ。天丼セットで出されるそれは、えび天、いか天、かき揚げが乗る豪華なもの。甘辛い天つゆがたっぷりかけられて、なんとも気分なのだ。ちなみに写真のカレーセット、天丼セットともに、追加でキス天を追加している。キス天があるってところが、なんともいいじゃないですか。(名物のハゼ天は2023年5月現在休止中)
天ぷらは各種あるが、どうしても揚げ置きになってしまうため、時間がたってもしんなりしないよう、衣や揚げ具合に気を配っているそうだ。その日の湿度によっても、微調整しているのだとか。このへんの気遣いが、ただの立ち食いそばではないところだ。
『はるな』はオープンから数えると2023年で37年になる。ここまで長く続けられたのは「健康だからだね」とのこと。家族経営のため、無用なストレスが少ないのも、よかったのだろう。
最近は立ち食いそばだけでなく、町そばも高齢化や再開発などで店の数が減ってきている。『はるな』も町そばの味を伝える立ち食いそば店として、できれば長く頑張ってほしい。
取材・撮影・文=本橋隆司