不死鳥カラス
『浅草開化楼』のカリスマ製麺師。大仁田厚の元マネジャーにして、自らもリングに上がったという異色の経歴を持つ。つけ麺ブームの火付け役としても広く知られる存在。
樋口敬洋
日本のイタリアンを牽引する「サローネグループ」統括料理長。2002年にイタリアへ渡り、修業を積む。2006年入社以降、『サローネ2007』や『ロットチェント』の料理長を経て現職。
「あらゆる麺を食べてきている日本人に、この麺は絶対刺さる」。声を重ねて確信するのは、『浅草開化楼』の不死鳥カラスさんと、イタリア料理人の樋口敬洋さん。接点なんてまるでなさそうな2人が生み育んだこの麺は、互いの名前を取って「カラヒグ麺」と呼ばれる。
最大の特徴は、低加水。つまり水分量を極力抑えて打つパスタだ。形状はストレートの太麺で、断面はほぼ正方形。ゆで時間は2〜3分と短く、かむと歯切れが心地よく小麦の香りが弾ける。また、時間が経っても伸びず、くっつかないのも特筆すべき点だ。忙しいランチタイムには乾麺より時短で提供できるし、お酒を飲みながらゆっくり味わうにもふさわしい〝二刀流〞と言えよう。カラスさんがつけたキャッチコピーは「乾麺よりもちょっとおいしい生麺」。……って、謙虚過ぎるような。
始まりは一本の電話。新たな麺の誕生は突然に
2人の出会いは2012年に遡(さかのぼ)る。
樋口さんが、シチリア修業時代に食べていたパスタを探すもどこにも売っていない。「自分で作ろうともしたけど生地はぼろぼろ、パスタマシンは壊れてしまう」。樋口さんが求める歯切れのいい麺は低加水が必須だが、水が少ないと小型マシンは悲鳴を上げるのだ。そんな時、たまたま入った店で食べたラーメンに心をひかれた。
「シチリアで食べたのと似ていて、懐かしいって感じたんです」
料理人魂が揺さぶられたのだろう、製麺所を突き止めて電話をかけた。電話の向こうにカラスさんがいた。
「御社の麺を食べて南イタリアのパスタが思い浮かんだんですが、この感覚って何ですか?」
樋口さんの率直な質問に、
「知らねーよ!」
と、答えたが、心の中ではなんて真っ直ぐで素敵な問いなんだろう、と感じていたという。
華やかなプロレス界から、『浅草開化楼』に転職したカラスさん。1950年創業の下町の製麺所はオートメーションではなく、早朝から人の手が止まることのない活気ある町工場だ。「この製麺所だからこそできること。人の真似ではなく、俺のやり方で」と、闘志を沸き立たせ、デュラム粉を取り入れた独自の配合で打つ麺は、ラーメン・つけ麺界でムーブメントになっていった。
電話の後、この麺をみやげに樋口さんを訪ねたのを皮切りに交流が始まった。イタリアで修業した錚々(そうそう)たるシェフたちも皆が絶賛した。ところが、樋口さんが大問題を指摘する。
「食後のゲップに、かんすいを感じて、コースに組み込めない」
カラスさんは直ちに受けて立った。
「じゃあ、入れずに作ってみようか」
どんなに有名になっても初心を忘れず取り組むカラスさんにとって、かんすいを使わない麺への挑戦は、興味深いテーマだったに違いない。
中華麺で培った技はタダものじゃなかった。練り水を塩水に変えて、わずか2回の試作で見事成功。未だかつてない低加水の麺がこの世で産声を上げた瞬間だ。以来、口コミで需要が増え、10年が過ぎた今、「俺はもうこれ以上やってられないから、他でやってくれっ!」と、「日清製粉」と共同開発した低加水パスタフレスカ(生麺の意味)専用粉が販売され、製麺レシピもすべて公開している。
目下、2人のミッションは、日本中にカラヒグ麺を広げること。「うちみたいな古い機械で出来るんです。設備投資はいらないから(笑)」と、カラスさん。中華麺を作る設備があれば、明日からでも製麺できるって、すごい。全国の製麺所がカラヒグ麺を作れば、日本の麺の新スタンダードになるはずだ。2人は再び声を重ねる。
「まだまだ、道半ばです」
【ROUND 1 これがカラヒグ麺の作り方だ!】
\材料はシンプル/
専用粉のファリーナ ダ サローネ+全卵粉とアルカリイオン水使用の塩水+生卵、オリーブオイルが材料のすべて。
①
朝7時。中華麺を作るのと同じ機械をきれいに清掃し、材料を次々に投入。14分前後ミキシングするとしっとりまとまってくる。
②
よく混ざった生地に触れると、さっらさら!
手で流し進め強圧力をかけて延ばす。まとまりにくいので丁寧に2度複合して巻く。
③
1ロール約8kg(4本で小麦粉1袋分)。打ち粉を振り、水分を全体にまわすため一定時間寝かせ、麺切りの出番を待つ。
④
8時30分。中華麺の作業を終えたカラスさんが麺切りに取り掛かる。切り出しの製麺機からリズムよく出てくる麺は1束200g。見るからに張りがあり、角断面が美しい。
木箱にクラフト紙を敷き、丸めず棒状のまま取り上げ、天地を返しながら全体に空気を入れる。
【ROUND 2 ランチでカラヒグ麺を味わおう!】
『biodinamico』[渋谷]
麺誕生のルーツが息づく本格イタリアン
麺が生まれたプロセスを知る2人の若き料理人が、カラスさんと樋口さんの思いを大切に創意工夫を続けている。
「この麺自体が1つの立派な食材。対峙すると闘志が沸いてくる」とは、竹下遼シェフ。栗山義臣シェフもまた、「気温や湿度で微妙に変わるので、今日はどんな麺が届くんだろうと緊張感があります」と語る。定番も月ごとの限定メニューも、力強いソースを合わせて麺に負けないバランスに挑む。
【延長戦 カラヒグ麺は煮干しにも合うのだ】
カラスさんに都内の「カラヒグ麺を使ったおすすめ店」を聞いて訪ねてみれば、あそこもここもキラリと光る看板パスタは、煮干し系!ラーメンの煮干し系とは似て非なる、オリジナルのおもしろき発想で生まれたメニューに思わず前のめり。
『sisi 煮干啖 虎ノ門店』[ 虎ノ門ヒルズ]
定番かつ基本メニューの「にぼたん」は、煮干しを粉砕して調味した煮干しパウダー、バター、ユズを麺に絡めるシンプルな和パスタだ。ニンニクやトマトのほか、モツ味噌炒めやルッコラをトッピングするなどバリエーションがある。表面がざらつくほど煮干し粉をまとった麺は、かむたびに広がる煮干しと小麦の風味と、赤タマネギのシャキ感、ユズの酸味が大波小波。やめられない止まらない!
『高円寺ウシータ』[高円寺]
ゆで時間が短い麺を探していたシェフ・深谷郁也さん。
理想の食感はイタリア・ヴェネト州で出合った伝統パスタ「ビーゴリ」で、カラヒグ麺を食べた瞬間、「これだ!」。ランチパスタの一押しは、深谷さんが好きな煮干し系ラーメンをヒントに創作したジェノヴェーゼ。丁寧に下処理した煮干し、新鮮なバジルを使う力強い風味が麺と共奏する。
煮干し粉入りパン粉をかけるだけのおつまみ麺もいける。
取材・文=松井一恵 撮影=高野尚
『散歩の達人』2022年12月号より