「こもる愉悦」を並べてみる

だって、そんなヒマないですものね。どこかへ旅すれば、物思いなんてしてられないほど現代は見どころやアクティビティが豊富ですし情報もたっぷり入ってきますから、私にしても部屋に閉じこもる時間はどうしても少なくなります。

それでも、ああ、これこれ、ときっと思っていただける、旅館の部屋に「こもる愉悦」を以下並べてみたいと思います。突然なぜって? そりゃあ、小銭を追うのに忙殺されてどこへも旅へ行けないからですね……。

……さてまずは、お茶菓子。座卓のかたわらに急須と湯呑があって、一緒にまんじゅうなんかの土地の銘菓が2つ3つお茶請けに置いてあります。これがいいんです。重い旅荷をおろし、あれを頬張りながらズズと熱い茶をすすりつつ、土地の名所のパンフに目を通す――あのひととき、妙に幸せを感じませんか? 時々、まんじゅうじゃなくて佃煮とかしょっぱいものの場合もあって、じつにお茶によく合います。そして、ことごとくが宿の売店で購入できるようになっていますが、買って帰っても実はそれほど……。あの場所で、ほんのちょっと食べるのがいいんです。

もうひとつの悦びが、「地元スーパーでの買い込み」。宿の近くのスーパーは土地の人達が日頃飲み食いしているものが必ず並んでいます。地酒に限らず、総菜コーナーには日頃みかけない煮物や漬物なんかが並びます。これを買い込んで、部屋にこもるわけです。私はまったくお酒の知識もないし日本酒などは飲みつけていませんが、このときばかりは買います。ワンカップの地酒だったら、量的に何種類か楽しめるのもうれしいです。酔ってふらふら、意味もなく廊下に出て、自販機コーナーで酒を追加購入してみたり、製氷機コーナーから氷をとってきたり。こんな部屋飲みの時間が好きです。

トドメは、例のスペース(広縁)。

あそこに座って、ぼんやり窓の外を見る。この時間は、ほかのあらゆる時間と違う固有の癒し、悦び時間だと思います。こんなときは、ええい! ケチケチするな!と自分をふるいたたせ、冷蔵庫に備え付けの冷えた瓶ビールを勢いよく引き抜きます。

プシュっと栓をあけて顔を上げると、凪いだ海。静かな山。ああ、今日は外出全部キャンセルして、部屋に居よ。そう思わせます。

けれど結局、思うだけ。少々こもったあとは、限られた時間を上手く使おうといつも部屋を飛び出しいくことになります――。

知らず知らずのうちにコスパ意識に毒された私に、いつか、本当の「こもる日」が来るんでしょうか。

文・写真=フリート横田

ラーショ。東京から右側に出たあたりに住む人々であれば、この言葉に甘美な響きを感じ取れるもの。そうです、今日は北関東の人間が10人いたら、大体10人から11人は好きな、「ラーメンショップ」の話です。
オリンピックの選手村を作るために様子がすっかり変わってしまったのですが、晴海ふ頭を歩くのが好きでした。あのあたり、戦後はまだ、ねじり鉢巻きで麻袋を担ぐたくましい男たちが荷の積み下ろしに汗を流していましたが、昭和も40年代に入ってコンテナが登場してくると、風景にさびしさが混じっていきました。同じ東京港でも、品川や大井にはガントリークレーンでどんどんと積み下ろしができる「コンテナふ頭」が生まれ、レゴブロックをはめこむように規格の揃った箱を一挙に運べる大量輸送時代へ向かっていきます。晴海ふ頭は、その波に乗り切れませんでした。
子どもの頃、母はとても忙しかった――年寄りの世話と家事に明け暮れ、父は仕事で遅くまで帰らず、目が回るほどの日々だったと思います。その頃、母が私と妹に年中食べさせていたのが、納豆ご飯、そして「ナポリタン」でした。口のまわりをオレンジ色に汚しながら食べる、幼い兄弟の古い写真が実家に残っています。※写真はイメージです。