1984年に創業した『お菜処 ゆう』。店名は料理の師匠と娘の名前から

東京メトロ丸ノ内線新宿御苑から徒歩2分。駅近なのだが静かな路地に入らなければならず、まさかこんなところに店があるわけがないと思うのだろうか、なぜか迷ってしまう人が多いそう。「“迷った”って電話がかかってきて、迎えに行くこともしょっちゅうだよ」というのが、ご主人の渡部隆雄さんだ。

パリッとした白いのれんが清々しい。
パリッとした白いのれんが清々しい。

ご主人は、15歳で故郷の福島・会津下郷を離れ、両国の鳥割烹料理店で板前をしていた叔父さんを頼って上京した。4人兄弟の三男で、昔から料理は嫌いじゃなかった。

叔父さんの元でみっちり料理の基礎を学んだあと、神田の割烹料理店、新宿の和食店、箱根のホテルや亀戸の結婚式場などずっと日本料理の修行を重ねてきた。結婚し、子どもも生まれ、以前働いていた新宿の「ゴードン」のあとにオープンした津軽料理店を任されるようになった。

魚が中心の定食はどれにしようかときめくラインナップ。魚を選ぶのは決めていたが、焼き物か煮物で迷う。
魚が中心の定食はどれにしようかときめくラインナップ。魚を選ぶのは決めていたが、焼き物か煮物で迷う。

「その頃、料理のお師匠であった叔父さんがこの場所で店をやっていたんだけど、店を閉めることになったと。それでオレにここで店をやれっていうんだよ。ほかにもここで店をやらせてくれっていう人もいたんだけど、叔父さんはオレじゃなきゃ『ここは誰にも渡したくない』って。だから、じゃあ店をやるかってことになったの」。

シャイで朴とつとしたご主人の渡部隆雄さん。ほんわかした空気感がステキだ。
シャイで朴とつとしたご主人の渡部隆雄さん。ほんわかした空気感がステキだ。

叔父さんの名前は「ゆうきち」、ご主人の娘さんは「ゆうこ」だったため、2人の名前から店の名前を「ゆう」にした。

『お菜処 ゆう』がオープンした1984年ごろ、この辺りはまだ民家も多く、隣には長屋も残っていたという。ご主人は無口だが、素朴な性格と確かな料理の腕前で、お店は繁盛してきたのだ。オープン当初から続いているランチは、地域の人たちもよく食べにきていたが、「あっという間に周りがビルになって、住んでいた人たちも少なくなっちゃった。この辺りはにぎやかだったんだけどね」と、少し寂しそうなご主人だ。

日本料理一筋のご主人が提供する、ふっくらもちもち子持ちかれい煮

「ランチの魚は日替わりだけど、焼き魚2種、煮魚2種、肉メニュー2種、ここまでが800円で、あとは850~950円のちょっとお高めなスペシャルメニューが2種あります」と、店のお手伝いをしているてんてんさんが教えてくれた。

好物ばかりが並ぶメニューを目の前に、手のひらにのの字を描きながら迷った挙句、子持ちかれい煮850円を選んだ。自分でもスーパーで子持ちかれいを買って煮ることもあるが、どうも身と卵のあたりに生臭さが残る。ゆえに勉強も兼ねてプロの味をいただいてみたかったのだ。

子持ちかれいの煮付けには豆もやしとスナップえんどうが飾られている。みつばとわかめがたくさん入った味噌汁、ひじき煮、きゅうりとかぶの漬物、野菜サラダ。
子持ちかれいの煮付けには豆もやしとスナップえんどうが飾られている。みつばとわかめがたくさん入った味噌汁、ひじき煮、きゅうりとかぶの漬物、野菜サラダ。

「はい、どうぞ〜」。てんてんさんが、料理やお茶を運んでくれた。ご飯の量は少し多めかなと思ったが、ちょうどお昼を食べ損ねていたので臨戦態勢は整っている。

まずは味噌汁。具沢山で三つ葉がいい香りだ。喉を潤し、待望の子持ちかれいへ手を伸ばす。たっぷり煮汁を含んでいて口の中で卵の部分がホロホロとほどける。これはご飯がすすむぞ! 身は上品でしっとり、付け合わせの豆もやしやスナップえんどうがしゃくしゃくといい歯応えだ。

「おいしく煮るコツは、目が澄んでる新鮮な魚を買ってあまり長く煮過ぎないこと。放っておけば数時間で味がしみていくよ」とご主人。
「おいしく煮るコツは、目が澄んでる新鮮な魚を買ってあまり長く煮過ぎないこと。放っておけば数時間で味がしみていくよ」とご主人。

「毎朝、長く付き合っている豊洲市場の仲買いさんから魚が届くんだけど、さっと捌いて仕込みするんですよ。そんなに特別なことをしていないですよ」というのだが。卵の部分はまったく臭みがなく、パクパクと食べ進められた。いやでも、煮魚って本当においしいですよね〜。

日本料理ひとすじのご主人は、彩りのよい盛り付けにもこだわる。
日本料理ひとすじのご主人は、彩りのよい盛り付けにもこだわる。

副菜のひじきの煮物やかぶときゅうりのぬか漬けもなかなかの飯どろぼう。というか、そもそもこのご飯もつやつやのピカピカでふっくら炊き上がっていておいしい。しまった、もっとご飯をもらっておくべきだった! 10分前に小食ぶりっ子をしていた自分を呪った。

っく〜〜! 卵たっぷり、身は柔らかくて全然臭みがない。かれいのうまみが溶け込んだ煮汁はご飯にかけて食べたい!
っく〜〜! 卵たっぷり、身は柔らかくて全然臭みがない。かれいのうまみが溶け込んだ煮汁はご飯にかけて食べたい!
こちらは生鮭の照焼800円。分厚い鮭が出てきてこのお値段! 「もっと食べたければ主菜だけプラス500円で食べられますよ」と、てんてんさん。
こちらは生鮭の照焼800円。分厚い鮭が出てきてこのお値段! 「もっと食べたければ主菜だけプラス500円で食べられますよ」と、てんてんさん。

常連さんが夜な夜な集うこの店。「お客さんにゆっくりと楽しんでもらうために、一生懸命やるだけです(笑)」

こちらはほとんどが常連客。冒頭にも書いたが、場所がわかりづらく一見さんが入るにはちょっと勇気が必要な店である。ご主人は70歳を超え「もう若くないから……」と思うこともあるそうだが、ほとんど毎日訪れるお客さんもいるため辞めるわけにはいかないらしい。

「サラリーマンよりは自営業の人が多いんですよね。あとは近所の人が多いかなあ。町内会長さんもよく来てくれてます」とご主人がいうと、てんてんさんがすかさず、「でもほら、けっこう女の子がひとりでふらっと入ってくることも多いよね。“おいしいお魚を食べに来ました〜”みたいな。私もそうだったけど(笑)。あ、私、今も夜に客として飲みにくるんですよ」。

ポンポンとテンポのいい2人の掛け合いが続く。

元気で明るいてんてんさんは、もともとお店に飲みに来ていた常連さん。「古くなったのれんをエプロンにしちゃった」と笑う。2人は息ぴったりだ。
元気で明るいてんてんさんは、もともとお店に飲みに来ていた常連さん。「古くなったのれんをエプロンにしちゃった」と笑う。2人は息ぴったりだ。

ご主人は「でもね、お客さんがゆっくりと楽しんでくれるのがいちばん。おいしいね、といって帰ってくれるのがいちばんうれしいんですよ」と言って、ほわほわ〜っとした笑顔を見せてくれた。

ちなみにご主人の得意料理は煮魚と天ぷらだそう。夜のメニューは四季折々の素材を使った料理が登場する。「郷土の会津料理も前もって予約をしてくれたら対応できます」という。こづゆに山菜の煮浸しなんて最高だよな〜、と空想に浸り、夜の営業にも必ず来るぞと誓う筆者であった。

落ち着いた店内。美空ひばり『裏町酒場』のカラオケ映像のロケ地として使われたこともある。
落ち着いた店内。美空ひばり『裏町酒場』のカラオケ映像のロケ地として使われたこともある。
住所:東京都新宿区新宿2-4-1 第22宮廷マンション106号/営業時間:11:30~13:30LO・18:00~22:00LO(土はランチ休)/定休日:日・祝/アクセス:地下鉄丸ノ内線新宿御苑駅から徒歩2分

構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢