「鉄文(てつぶん)」プロジェクト事務局
上野山(西日本支社)、豊田(販売部)、中村(Web「さんたつby散歩の達人」編集部)、吉野(『ジパング倶楽部』編集部)、渡邉(時刻表編集部)
戦争文学の鉄道、村上春樹『ノルウェイの森』の鉄道
戦後の文学を語る際に欠かせない戦争文学。そして、1960年代後半~70年代初頭を描く村上春樹(1949-)『ノルウェイの森』に登場する鉄道を読んでみます。
中村 : 物語の中の鉄道に別れの描写が多いという印象は、子供の頃に読んだ絵本や教科書の印象も強いかもしれません。今西祐行作『一つの花』は教科書だったかな……? 戦争に行くお父さんを見送るシーンがあって。
吉野 : 私は戦争の児童文学というと、あまんきみこ作『ちいちゃんのかげおくり』を思い出します。教科書に載ってました。
豊田 : 『ちいちゃんのかげおくり』も駅でお父さんを見送るシーンがありますよね。
吉野 : えっ、ありましたっけ!? 「かげおくり」の印象が強すぎて。思い出しただけで悲しくなります……。
上野山 : お父さんを見送るシーン、ありますね。「日の丸の はたに おくられて、れっしゃに のりました」。私も教科書ですが、みなさんも?
中村 : 載ってなかったような気がするな……。
渡邉 : 私も教科書ですが、載っていたら覚えてないってことがないと思うんですよ。やりますよね、「かげおくり」を。私は今でも 時々やります。
吉野 : 今でも(笑)。読んだ当時はやりましたよ。
豊田 : やりましたね。
上野山 : 『一つの花』は昭和50年(1975)、『ちいちゃんのかげおくり』は昭和57年(1982)。発表されたのが戦後30~40年の頃ですね。
『火垂るの墓』と三宮駅の戦争孤児
渡邉 : 鉄道というか、駅が出てくる戦争文学というと、野坂昭如『火垂るの墓』を思い出します。この小説が発表されたのは昭和42年(1967)です。
上野 : 実は、小説は読んだことがないんですよ。
渡邉 : ジブリ映画のほうは観ましたか?
上野山 : 観ました。そのマンガも読みましたね。
豊田 : 僕も観ました。小学校に入る前くらいの『金曜ロードショー』だった気がします。観た、というよりは観せられたというか。怖くて途中でやめた気がします。
中村 : 私も金曜ロードショーか何かで、通しでというよりは断片的に観た気がします。
吉野 : 映画の公開は昭和63年(1988)ですね。母親が「私は辛すぎて観られない」 と言ってたのを覚えているので、私も映画館ではなくテレビで観たと思います。
渡邉 : 私も最初は映画を観て、あるとき「原作も読んでみようかな」と思って。映画は駅で死んだ清太を見ている清太と節子の描写から始まりますが、小説の冒頭は完全に死にゆく清太の視点というか、清太の体になったような感覚で。駅に居着いてやがて動けなくなり、「耳だけが生きて」周囲の音を拾っている、その感じが生々しくて驚きました。
上野山 : この駅は三宮駅ですよね。
渡邉 : はい。書き出しは「省線 三宮駅構内浜側の、化粧タイル剝げ落ちコンクリートむき出しの柱に、背中まるめてもたれかかり…」。最後は「昭和二十年九月二十二日午後、三宮駅構内で野垂れ死にした清太は、他に二、三十はあった浮浪児の死体と共に、布引の上の寺で荼毘に付され、骨は無縁仏として納骨堂へおさめられた」。三宮駅に行ったら必ずこのことを思い出してしまうだろうと思って。“場所の記憶”みたいなものを考えさせられました。
上野山 : 堤防から見えた「阪神石屋川の駅は屋根の骨組だけ」、清太と節子が二人で暮らす「西宮満池谷横穴防空壕」、節子を連れて行った「夙川駅前の医者」。『細雪』の舞台とだいたい同じエリアですね。細雪が昭和11~16年の物語ですが、その4年後には焼け野原になってしまって……。あの四姉妹のことも思い出してしまいます。
渡邉 : 『火垂るの墓』も、戦争が本格化する前のゆとりがあった頃の思い出が挟まれながら、目の前の現実が息継ぎなしに展開して、これが昭和20年6月5日の空襲からたった3カ月ほどの間の出来事か……ということに圧倒されます。
村上春樹『ノルウェイの森』にも鉄道が
吉野 : 戦後というと、松本清張『点と線』が最初に発表されたのは昭和32年(1957)ですね。
渡邉 : 昭和35年(1960)に連載が始まった『砂の器』も鉄道の印象が強いです。冒頭の「国電蒲田駅の近くの横丁だった」が、『火垂るの墓』冒頭と少し重なったりもして。
上野山 : 省線、省線電車だったのが、すっかり国鉄、国電になっていますね。『砂の器』といえば仕事柄、木次(きすき)線や 亀嵩(かめだけ)駅を ゆかりの地として紹介する機会が多いです。
吉野 : 今回「名著の中に鉄道を読む」ということで、村上春樹『ノルウェイの森』はどうだっただろう? と再読してみたら、主人公と直子が再会したのが電車の中でした。
中村 : 別れじゃなくて、出会いの描写ですね!
吉野 : 「僕と直子は中央線の電車の中で偶然出会った。彼女は一人で映画でも見ようかと思って出てきたところで、僕は神田の本屋に行くところだった。(中略)降りましょうよと直子が言って、我々は電車を降りた。それがたまたま四ツ谷駅だったというだけのことなのだ」。二人は飯田橋、神保町、御茶ノ水を経由して「そのまま本郷に抜けた。そして都電の線路に沿って駒込まで歩いた」。
渡邉 : 結構な距離を歩いてますね。そして、都電!
吉野 : 物語の中でこのシーンは昭和43年(1968)5月ですね。昭和42年(1967)に第一次都電撤去が始まって、どんどん減っていく時期ではありましたが。
渡邉 : 本郷から駒込へ行く都電は19系統ですね。日本橋の通三丁目から王子駅前を結んでいた路線で、廃止になったのは昭和46年(1971)のようです。
豊田 : さらっと書かれてますが、その分、まだ日常風景の中に都電があった頃だと読めますね。駒込からは、「我々は山手線に乗り、直子は新宿で中央線に乗りかえた。彼女は国分寺に小さなアパートを借りて暮していたのだ」。
中村 : 学生運動全盛の時代ですが、当時の東京の学生の感じがよくわかりますね。
吉野 : それにしても中央線は、本当にいろいろな小説に登場しますね。 ねじめ正一『高円寺純情商店街』や、もちろん太宰作品も!
◆おわりに◆新たな“鉄道小説”の可能性とは?
渡邉 : 名著の中の鉄道に注目してみて、いかがでしたか。私は、同じ時代に書かれた小説の中の鉄道を読み比べてみるのも面白そうだな、と思いました。
上野山 : 鉄道が1等2等3等という等級に分かれていて、優等車両には列車ボーイと呼ばれる係員がいたり、食堂車があったり……鉄道は社会を反映しているなと思いました。鉄道の描かれ方で、時代背景もわかりますね。
中村 : これまで全く意識せずに読んだ作品のなかにも、鉄道がキーになっているものがもっと見つかるんじゃないかという気がしてきました!
豊田 : 今回あらためて“物語における鉄道”というものを考えてみて、乗り降りの容易さや不特定多数の人間との空間の共有といった点が、ほかの乗り物にない鉄道の特徴であり、物語に使われやすい理由なのかなと思いました。でもそれが全てではないと思うので、「なるほどこんな役割もあるのか!」と思うような作品をもっと読んでみたいです。
吉野 : 『人間失格』の「トラ」と「コメ」の話。今でも「わかるー!」となるのが不思議でした。この話題なら今でも太宰とも盛り上がれそう。それと同時に、「鉄道」に対するイメージはずっと変わっていないんだなと思いました。もし、鉄道を「コメ」として描く小説があれば読みたいですね!
渡邉 : 作品募集中の「鉄文(てつぶん)」文学賞でも、書き手や読者のみなさんと一緒に、鉄道の新たな一面に気づかせてくれるような作品に出会えるといいですね!
出典一覧
あまんきみこ 作 上野紀子 絵『ちいちゃんのかげおくり』(あかね書房、1982年)
野坂昭如「火垂るの墓」 『アメリカひじき・火垂るの墓』(新潮文庫、2003年改版)
松本清張『砂の器(上)』(新潮文庫、2006年改版)
村上春樹『ノルウェイの森(上)』(講談社文庫、2004年)
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